序章 ダイイング

 
 下弦の月。

 瞬く星屑たち。

 夜空を区切る電線。

 街明かりのせいで仄かに明るい闇。

 冬風にさらわれて視界の隅に落ちていく枯葉。

 世界中どこを探しても、こんな絶景を見つけることはできないだろう。東京の底から見つめる天空の景色には、宇宙の神秘と人類の叡智と自然の営みの全てが詰まっていた。

 ありきたりなはずの都会の夜空がこんなにも美しく目に映るのは、消えかけの命の出来心だろうか。

 すぐ近くの信号が色を変えたのか、エンジン音が遠ざかる。再び静けさに包まれる。

 歩道橋下の地面に、小山(こやま)遊馬(ゆうま)は横たわっていた。かろうじてまだ意識はあるものの、身体を起こすことはできそうに無い。呼吸の乱れと後頭部の痛みが加速する。首の後ろに右手を回すと、ぬめりとした感触を覚えた。

 恐る恐る、右手を月へ伸ばしてみる。赤黒い指先を目にした瞬間、右手が地面に落ちた。自分の運命を悟り、急に力が抜けたのだ。

 誰が悪かったのだろう。

 どこで間違えたのだろう。

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 考えたところで、未来が変わるわけでは無い。もうあきらめるしか無い。それしか選択肢が残っていない。

 月が滲んでいく。瞳の奥で光が乱反射する。残酷な現実と向き合いたくなくて、遊馬はそっと目を閉じた。

 そのときだった。

 これまでの日々が瞼の裏を流れていった。20年分の記憶が光のような速さで駆け抜けていく。ひとつひとつの思い出は一瞬で過ぎていくけれど、そのときの感情を、匂いを、音を、全てを、この心が確かに思い出す。

 まるで夢のようだった。

 どんな旅行よりも胸がときめく、記憶の旅。

 もう目が覚めることは無いと知りながら、この命は人生最後の夢の旅路を歩き出した。



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