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芥川龍之介の『桃太郎』が面白い!

桃太郎といえば、川上からどんぶらこどんぶらこと桃が流れてきますが、そもそもあの桃はどこからやってきたのでしょう? 疑問に思ったことはありませんか? 赤ん坊一人が入るくらいの大きさの桃は、どこからやってきて、川を流れ、おばあさんの手によって拾われることになったのか、芥川龍之介の『桃太郎』ではまずその謎と向き合うところから始まります。

【#166】20211212

人生は物語。
どうも横山黎です。


作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。

今回は「芥川龍之介の『桃太郎』が面白い!」というテーマで話していこうと思います。



☆桃太郎にはまりだしたきっかけ


僕は今、新しい『桃太郎』をnoteで共同制作しようという企画を進めています。今の時代にふさわしい桃太郎を追求した方が良いよねという考えのもと思い付いたアイデアです。「共生」をテーマに再構築しようと考えてます。

ということで、『桃太郎』にはどんな歴史があるのか、これまでにどんな桃太郎が綴られてきたのか、ずっと調べているうちにどっぷり沼にはまってしまったわけでございますが、そもそも、新しい桃太郎を作りたいなあとぼんやり考え始めたのは、芥川龍之介の『桃太郎』を知ったからなんです。

大学の授業で紹介されて、とても感銘を受けたんですね。そして、新たな発見をしました。何かっていうと、「時代によって綴られる物語は違う」ということ。簡単に説明すると、芥川の『桃太郎』は反軍国主義の作品とみられることが多いのです。この物語がつくられたのは1924年。これから軍国主義がますます色濃くなっていくわけですが、それを風刺するようにつくられたのが、今回紹介する『桃太郎』なんです。


それを知ったときに、だったら、これからの時代には、それに適した新しい『桃太郎』の物語が求められているに違いない、そう考えるにいたったわけです。

前置きはこのくらいにして、今回は一体どんな物語なのか、紹介していきますね。




☆桃はどこからやってきたのか?


桃太郎といえば、川上からどんぶらこどんぶらこと桃が流れてきますが、そもそもあの桃はどこからやってきたのでしょう? 疑問に思ったことはありませんか? 赤ん坊一人が入るくらいの大きさの桃は、どこからやってきて、川を流れ、おばあさんの手によって拾われることになったのか、芥川龍之介の『桃太郎』ではまずその謎と向き合うところから始まります。


結論はこうです。


巨大な樹に成っていた桃を、

ヤタガラスがついばんで落として、

川におっこちた

……です。


神話のような世界観で始まるんです。雲よりも高くそびえる大樹は、地の底の黄泉の国まで根を伸ばしています。そんな大きな樹の枝に、一万年に一度実をつける桃を運命という名のヤタガラスが人間界に落としたんです。


おっこちた桃の行方は、みんな知っていますよね?いまさら話す必要もないですね、みたいな感じで終わるんです。



で、第二節は、桃太郎が鬼ヶ島征伐を思い立つところから始まります。理由は、全うなものではなくて、お爺さんとかお婆さんみたいに、山や川に出かけて仕事するのが面倒だからというもの。


で、お爺さんもお婆さんもそんな桃太郎に対して愛想をつかしていたので、黍団子やら陣羽織やら、必要なものを用意してせっせと送り出すんです。というより、追い出すんです。




さて、鬼退治に出かけた桃太郎は犬、猿、雉をお供にするんですが、ここでも従来の桃太郎に比べてクセのある設定や描写があります。


たとえば、桃太郎は黍団子を半分しかやらない、とか、三匹とも仲が悪い、とか。

しかし彼等は残念ながら、あまり仲の好い間がらではない。丈夫な牙を持った犬は意気地のない猿を莫迦にする。黍団子の勘定に素早い猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭の鈍い犬を莫迦にする。


という本文から分かる通り、まあまあちゃんと仲悪いんですよね(笑)犬猿の仲という言葉があるから、犬と猿が仲悪いのは何となく分かるけれども、雉とも仲悪くて、そんな三匹をお供に、桃太郎は鬼ヶ島を目指すんです。



☆平和的な鬼、侵略的な桃太郎


そして次、第三節。


なんとここでは、舞台は鬼ヶ島、鬼の話が展開されるんです。

鬼ヶ島にはヤシが茂り、極楽鳥がさえずり、とても美しい場所だと説明されています。そして、そこに住む鬼たちは平和を愛している、心優しい存在として描かれます。鬼の生活や文化にも触れられていて、とても安らかな様子が見受けられます。


そして、年老いた鬼の台詞でこの節は終わります。


「お前たちも悪戯をすると、人間の島へやってしまうよ。―(中略)―人間というものは角の生えない、生白い顔や手足を下、何ともいわれず気味の悪いものだよ―(中略)―嘘はいうし、欲は深いし、やきもちは焼くし、己惚は強いし、仲間同士殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」


第四節では、桃太郎の鬼退治の様子が描かれます。それはそれは惨い殺し方が描かれるのです。犬も、猿も、雉も、みんな鬼たちを圧倒し、降参させます。長である鬼が最後に桃太郎に訊ねます。


自分たちにはまったく心当たりがないのに、どうしてあなた様は征伐なさったのか。もし何か罪を犯していたとしたら、教えてくれませんか。


そんな風に丁寧に腰を低くして訊いたんですよ。しかし、桃太郎はまるで中身のないことを言います。答えになっていない答えをさも当たり前かのように言うのです。


三匹のお供がいたから、鬼退治にしにきた。そのお供たちが鬼退治したかったから、連れて来たんだと、答えるのです。


どうしようもない桃太郎ですよね。



お分かりの通り、芥川龍之介の『桃太郎』は、善の存在として「鬼」、悪の存在として「桃太郎」という構図でできているんですよね。ここまで読んできて、鬼が可愛そうだと思ったし、桃太郎に苛立ちを覚えたのではないでしょうか。



詳しいことは次回の記事で述べますが、まるで自分を善の存在のようにみる、悪の存在『桃太郎』の残虐性を風刺する物語として捉えることができると思います。したがって、冒頭の話に繋がりますが、この作品が書かれた時代背景などを考慮すると、反軍国主義の作品とみられることが多いことがご理解いただけるかなと思います。


ということで、今回は芥川龍之介の『桃太郎』について紹介させていただきました。次回は、この作品をさらに深掘りしていこうと思います。


断言します。めちゃくちゃ面白いです(笑)



最後まで読んで下さりありがとうございました。
横山黎でした。



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