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どうして岡山県は『桃太郎』の街なのか?

【#148】20211124

人生は物語。
どうも横山黎です。

作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後までよんでいってください。

今回は「どうして岡山県は『桃太郎』の街なのか?」というテーマで話していこうと思います。



☆岡山県は桃太郎の街


僕は今、新しい『桃太郎』をnoteで共同制作しようという企画を進めております。明治時代からほぼ変わっていない『桃太郎』だけど、今求められているのはもっと違うヒーロー像で、違う物語なのではないか、そんな疑問から始まった企画です。


で、最近は『桃太郎』についていろいろ調べているんですが、今回は岡山県のことについて述べていきます。


桃の産地だし、「吉備」だんごだし、『桃太郎』とは縁が深いと思われている岡山県ですが、一体全体どうして岡山県は『桃太郎』の街とされているのか、ちゃんとしたことはあまり知られていませんよね。

僕も調べるまで知らなかったんですが、実は、岡山県に伝わるある伝説が大きく関わっているそうなんです。それについてざっくり共有したいなと思います。


その名も、「温羅うら伝説」。


☆温羅伝説


これ何かって言うと、吉備津彦命きびつひこのみことという人物が温羅を退治する」という伝説のことです。


吉備津彦命とは、大和朝廷から派遣された人物で、温羅とは鬼神です。



むかーしむかし、温羅という鬼神が備中の国(今の岡山県の西のあたり)で悪さをしていたんです。鬼ノ城という山城に住みついていました。


で、朝廷から吉備津彦命(このときは名前が違ったよ)が派遣されて、温羅にめがけて矢を放つんですね。温羅も温羅で対抗して矢を射てくるので、防御されてしまいます。そこで、一度に二本の矢を放ったところ、一方の矢が温羅の左目に命中。血が噴き出たといいます。


ここからいきなりファンタジーになるんですが、温羅は鯉になり逃走し、吉備津彦命は鵜になって追いかけます。やがて吉備津彦命が温羅をとっつかまえて、温羅は降伏するんです。



ざっくり温羅伝説とはこんな話なんですが、もうお気づきの通り、桃太郎の構図に似ていますよね。ちなみになんですが、イヌ、サル、キジのモデルとされる人物も登場しているんです。


主人に忠実で、勇敢な犬飼武命いぬかいたけるのみことは「イヌ」の、賢い家臣の楽々森彦命ささもりひこのみことは「サル」の、鳥飼に優れた家臣の留玉臣命とめたまおみのみことは「キジ」のモデルとされています。


桃太郎に通じる確かなものがある「温羅伝説」に目をつけた岡山県が、「桃太郎のふるさと」として大々的にPRしていったんです。




☆岡山県が総力をあげて桃太郎をPR


観光ルートとして、「鬼ノ城」――温羅が住みついていた場所、「楯築遺跡」――温羅との戦で使われた盾とされる巨石が並ぶ墳丘墓、「矢喰宮」――吉備津彦命と温羅の矢がぶつかって落下した場所、「血吸川」――温羅の血で染まった赤みがかった川などを巡るものがあるそうです。


岡山駅前の広場には桃太郎の銅像が立ち、後楽園に通じる「桃太郎大通り」が伸び、夏には「おかやま桃太郎まつり」が開催されるなど、桃太郎づくしです(笑)




実をいうと、岡山県といえば桃太郎のイメージがついたのって、まあまあ最近なんです。


ほんの数十年前の1960年頃のこと。三木行治という岡山県知事がいました。彼が、桃太郎を最初に活用したのです。温かく実行力のある人柄で、風貌が桃太郎に似ていたそうです。桃太郎の本当の姿を誰が知っているんだよ!ってつっこみたくなっちゃいますが、「桃太郎知事」という愛称で親しまれたみたいですね。


実は、先程にもちょっと触れた桃太郎像が、駅前に立ったのも三木さんのやったことで、1960年のことです。それを皮切りに、「桃太郎観光宣伝隊」を派遣したり、1976年に「春の岡山まつり」が「岡山桃太郎まつり」に改称されたり、1984年に駅前の大通りが「桃太郎大通り」に改称されたりしました。

その甲斐あってか、1990年頃になると、民間でも「桃太郎」の活用が多くみられました。公共施設の名前、広告や看板に、「桃太郎」の名前や姿が用いられたそうです。


いかにして、決して短くない年月をかけて、「岡山県は桃太郎の街」という伝統が創られたわけです。


なかなか興味深い歴史だったのではないでしょうか。




☆伝統を創るためには物語が必要


今回参考にしたのは以下の論文なんですが、その中に興味深い記述がありました。


https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=13571&file_id=162&file_no=1


岡山県の長期的な観光計画の指針となった『のぞましい観光―置きゃ真健観光基本計画』(1979)では、魅力ある観光資源に必須の要素として「物語性」を挙げた上で、有力な事例として、「総社市の鬼ノ城に発する血吸川、矢喰の宮、鯉喰神社、吉備津彦神社にいたる“温羅伝説”とそれを裏付ける文化財及び観光資源にまつわる物語』(岡山県 1979:31-32)を挙げている。



簡単にまとめると、「観光資源には『物語性』が必要で、『温羅伝説』と結び付ければいいんじゃね?」ってことです。



文化や伝統を作り上げることはそう簡単じゃありません。一人の人間が努力でどうこうできるものではありません。決して小さくない規模のコミュニティが、決して短くない時間をかけて作り上げなければいけないのです。そうしなければ、定着しないのです。



で、そこで大切なのが、「ストーリー」なんですよね。



ばらばらの考え価値観を持った人々が一つの方向を目指さなきゃいけないとなったときに、「物語」があると便利ってことです。それを「教科書」として、誤解を恐れずいえば「聖書」として、みんなが共有することによって、同じ未来を見据えて、共に歩き続けることができるんですね。



無理やり自分の話に繋げますが、「共同制作」という文化を築き上げられるかどうかは僕一人の力では不可能で、一緒に作り上げる同士がいてこそ希望を見出せるものです。



新しい桃太郎を一緒に作りませんか?


そして、共同制作という文化を創りませんか?



興味を持たれた方は、是非、下のマガジンを覗いみてください。




最後まで読んで下さりありがとうございました。
横山黎でした。


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