私という存在を宇宙の大きさと比較してみる
私という存在は、この映像で見るように
宇宙からすれば、ほんとうに塵のように小さな存在です。
そんなちっぽけな私に価値はあるのでしょうか
もし、「あんたなんか価値が無い」と言われたら、
「いや、価値がある」と、絶対思いたいですよね
人に言われるままに「どうせ自分なんて価値が無いんだ」と思ってしまったらそのまま自殺したい心境になってしまうでしょう。
明治36年に日光の華厳滝に身を投げて自殺した藤村操という青年がいました。
彼は、遺書に
「不可解」。
我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る
という言葉を遺している。
遺書には、人生への懐疑と煩悶が記されている。
優秀なエリートとして有望されていた青年の死
どこまでも考えると人生が無のようにわからなくなってしまうのだろう。
孔子は、
「朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉を残している。
意味は、「朝、人の道(正しい道理)を聞いて、その真意を悟ることができたら、その日の夕方に死んでも悔いはない」ということです。
そうやって、正しい道理を求めて来ました。
死を前にした孔子は、死を気にするよりも人生の生き方を学ぶことの方が大切であると弟子たちに教えたとされています。
私という存在は、ちっぽけな存在ですが、
確実に今、広大な宇宙の中に生かされて生きています。
自分で決意して生まれて来たわけではなく、気が付いたら私という存在だったのです。
では、私の存在理由とは何でしょうか
そんなこと考えていたら頭おかしくなるから考えるな
というので、私たちは自分の頭で何も考えないように馬車馬のように働かされて、毎日を生きていますが、
果たしてそのまま何もわからない人生で良いのでしょうか
もし、教えてくれる人が居たら聞いてみたい
そう、学校の先生も、親も、誰も教えてくれないのです。
このブログに辿り着いた方で
もし、生きる意味や人生の目的や価値を知ってみたい
と思う方は、
ぜひ、この動画をご覧ください
この動画の内容にご興味、ご関心をお持ちの方は、動画の概要欄からぜひ続きをご研究ください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?