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俳優と役を結びつけているのは誰

ある登場人物がいて、その人物の台詞として書かれた文字を俳優が読む。演じ方によって俳優、役のシンクロ率は大きく変化。観るもの全員が俳優の存在を忘れるような演技も、観るものが「この俳優は今、役として台詞を読んでいる」と人物像の補完を促されるような演技も、演劇には存在。シンクロ率は変動がある。物凄く役に入り込んだ演技をする俳優も、ある場面では突然、俳優の本人性が浮き上がり、透けて見える。俳優と役の距離感が揺らぐ。演技、演出、戯曲の構造により意図的に揺らされることもある。

戯曲にはある種の支配力があり、シンクロ率の幅を最初から制限する。ある俳優が「老婆の『イ』の音が独特で、口をひしゃげるように発声してしまう。身体が役に引き寄せられる。そうならざるを得ない。」と話していたのが印象的。不確定な要素はまだある。当然、観客の感受性は変動がある。同俳優の演技を見た者でも、役のシンクロ率の感じ方は人それぞれ。1つは役に対するイメージが異なるから。

演技において、これらの関係性―俳優と役の関係、俳優と戯曲の関係、観客と俳優の関係、観客と役の関係―の全ての次元で役、俳優のシンクロ率が定められ、揺らがされ、操作されていると考える。最早、演技は俳優が何処まで役を獲得できるかの試みではない。俳優を役と結びつける力は俳優、戯曲、観客も持つことが可能。演劇、演技は特殊な繊細さの芸術性によって可能性の開かれた表現として在る。演劇のことを考えているのは凄く楽しかったり、悔しかったり。

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