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7日間ブックカバーチャレンジ DAY 1

アルベール・カミュ(1947)『ペスト』(宮崎嶺雄訳、新潮社〈新潮文庫〉、1969年)

 カミュは20世紀の小説家である。決してペストの時代に生まれ落ちた作家ではないし、歴史家というわけでもない。注意深く読んでみると、「ペスト」は疫病そのものではなく何かの換喩であると思われる場面にたびたび出会う。

彼はその記述のなかで、ペストは虚弱な体格の者は見のがし、特に強壮な体質の者を破壊するということを読んだのを思い出した。(p.65、太字筆者)
ところが、この病気の畜生のやり口ときたら、そいつにかかってない者でも、胸の中にそいつを抱えてるんだからね(p.167、太字筆者)
僕はこの町や今度の疫病に出くわすずっと前から、すでにペストに苦しめられていたんだ。(p.363、太字筆者)

 これについて、訳者の宮崎嶺雄は解説でこう述べている。

ペストに襲われ、外部とまったく遮断された一都市のなかで悪疫と戦う市民たちの記録という体裁をとったこの物語において、ペストの害悪はあらゆる種類の人生の悪の象徴として感じとられることができる。(p.464、太字筆者)

 実は、1947年の出版当時もこの本の人気は絶大だったようだ。『ペスト』が爆発的な成功を収めた理由について、同じく解説にカミュ研究家アルベール・マケによる考察が記されている。

この作品の簡潔なリアリズムが、さまざまな角度からきわめて明瞭な象徴性をもっていて、読者の一人一人がその当面の関心を満足させるものをそこに見いだしうる(p.464、太字筆者)


 おそらく、この作品はペストの猛威と闘う登場人物たちの奮然たる姿を直接的に描こうとしたものではない。実際、『ペスト』の中でカミュは第二次世界大戦中におけるレジスタンスの経験をペスト流行になぞらえて描写しているのだという。
 そして、本書の最後はこう締め括られている。

ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、[…]そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。(p.458、太字筆者)


 ペストは過去に何度か流行しており、その度に「ペスト文学」と言われる数々の文学作品が生み出されてきた。代表的には、14世紀イタリアの詩人ジョヴァンニ・ボッカッチョによる『デカメロン』、18世紀にイギリスの作家ダニエル・デフォーが書いた『ペスト』(『ペストの記憶』『疫病流行記』)などがある。それぞれに特徴があるので、読み比べてみるとおもしろい。

 ちょうど、カミュの『ペスト』のエピグラフにはデフォーからの引用がある。出典は『ロビンソン・クルーソーの敬虔な内省』(1790年)序文とのこと(参考:現代ビジネス 2020.05.01「コロナウイルス時代にデフォー『ペストの記憶』が教えてくれること」)。

ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったものである。

 疫病との闘いという類似点から昨今の急激な売り上げ上昇につながっているという『ペスト』であるが、そこにはカミュの深い思索が張り巡らされていた。現代に得られる示唆は想像以上に大きい。今読まずとも風化しない名作であるが、今だからこそ読み取れることはきっと数多いはずだ。

 なお、『ペスト』をこれから読みたい/読み直したいという方には100分de名著をおすすめしたい。著者や作品の内容、作品が生まれた時代背景やその読み解き方など、25分×4回の計100分で様々なことが学べる。馴染みのある古典文学から難解な哲学書まで、幅広い名著を扱っているのが魅力的だ。読む前に見れば自らの読解に補助線を引くことができ、読んだ後に見れば違う解釈が得られる。どの回も非常に勉強になるこの番組であるが、先月再放送された『ペスト』全4回は、いずれもすばらしい解説だった。

 東洋経済ONLINEにて『ペスト』の冒頭部分も公開されている(前編後編)。ご関心の向きは、ぜひ一読していただきたい。

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