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『Being』な生き方への移行



Let's have a "Being" life


普段僕が考えていることが非常に言語化されてて、さらにすごく学びになった記事があったので共有です。


以下抜粋







存在目的(purpose)をビジョン(vision)やミッション(mission)との横並びから定義づけた場合、その違いはあまりないという印象を受けるかもしれません。

しかし、その違いは、ビジョン(vision)とミッション(mission)の間にある差異と比較して、格段に大きいと考えています。


それは、存在目的(purpose)と、ビジョン(vision)・ミッション(mission)では、起点となる視座が全く異なると考えているからです。


ビジョン(vision)・ミッション(mission)の視座は、「成りたい・成らなければならない(have to)」というものです。

他方、存在目的(purpose)の視座は、「在りたい(be)」です。
自分たちの在りたい姿がまずあり、その姿で在れるために何をしたいか、ということを決定するアプローチです。







この記事の原文を読んでいただくとわかると思うのですが、「在りたい」を突きつめる方が可能性に大きく開かれ、物事が勝手にうまく回りはじめます。


それは一部の人だけでなく組織全体、みんながやれることでもあると思っています。(purposeは組織に宿っていて、そこに耳を傾ける準備ができているなら自ずと勝手に在りたいを突き詰めることになるので"やる"ことでは無いかもしれないけど。)


『Doing』(何かを"成す"、すなわち have to が先行する状態)それ自体を否定するつもりはさらさらありません。しかしDoingな価値観にのまれがちな社会に対して建設的批判精神をもって見てみると、Doingな価値観から発せられる高度な未来予測や計画・目標能力を健全に利用するためにも、Doing的な発想は、Beingに属する方が全体として収まりが良いと思っています。

そして、Doing先行のときも「Being」はもちろんあります。それ自体が人間活動の根本的な源泉であるためBeingが無いことはありえないものの、Doingの陰に隠れます。

そのとき、そこにある「人間」(human Being) が、何かを創造するための「手段」として道具化されます。それはBeingがSource(源泉)としてあらゆる結果を生んでいる状態ではなく、Resource(資源)としてDoingに従属する様子をさします。

反対に、BeingにDoingが従属するとき、人々は自らの存在目的(Purpose・行動)とつながったまま、あらゆる面で健康的な活動の形をとれます。そして自然体なやり方は、長期持続的な変化をもたらすでしょう。

(長期持続的な変化すなわちバランスのとれた変化とはいったい何なのか?については今度書きます。)


そして問題は、Beingを追求する在り方を志向しても、『手段』のレベルでは、前時代的なDoing的発想が色濃く残るスキル/道具しかほとんど無いのが現状だということだと思います。


それによって、いかにBeingな生き方・組織活動を志向したとしても、それを貫徹することができる環境に無いのが現代社会だと思います。

理想論から具体的な行動に降りれば降りるほど、既存のやり方に引っ張られます。

ゆえに、その都度新しいやり方を開拓していくしかないでしょう。そういう意味で、このBeingな生き方という新しい道は、事前にキレイな道筋が見えているのではなくてて、実際に歩こうとする人の後ろに足跡として創られる状態です。
(もちろん先進事例からヒントは得られます。加えて、先進事例が流通するようになることが非常に望ましいです。)


 
ただ、現時点でこのような「在りたい」組織であるためには、ある程度の強靭さの継続が求められると感じています。(原文より)

この「強靭さの継続」には、こスキル/ツールなど新しい『手段』『道具』も、すぐに社会から与えられるものを使うのではなく、自分たちで作り出していく必要があるということもおそらく含まれるのではないでしょうか。手段まで創造的になることが、真に創造的であるということですね。




『Creation』:Businessの限界から抜け出すための治療薬的発想方法


私はBeingを追求していくのに
我々は Business をやるのでは無い。Creation をやるのだ。」という意識を持つことが、現代社会のdoing的発想により現れた"手段"への囚われを防ぐ1つの方法だと思っています。

Businessの分野でよく使われている用語、それぞれがめちゃくちゃたくさんの「囚われ」を象徴しています。

既存の言葉を使っている時点で、何かしらの固定観念に囚われていると思っても差し支えないと思います。


売上が〜とか、事業計画が〜とか、競合への優位性を〜とか、市場が〜〜とか、普通に使われている用語たちそれそのものが持つ根本発想が自分たちの成し遂げたい根本目標への到達をさまたげているということに気づくのは至難の技かもしれません。
(「会社という迷宮 経営者の眠れない夜のために」石井 光太郎 著  が参考になりそうでした)

最近の経験としては、ほとんどの会社は、すで既存の社会的文脈の上で構築されているおり、その状態でBeingなやり方に変化させようとするのはけっこうしんどいし、そこまで"ナチュラル"な作業では無さそうです。

ちなみにこの場合、Beingなやり方に変える作業自体のスキル的/技術的な意味での しんどさ と、精神的な意味での しんどさ の2種類のしんどさがのしかかってくると感じています

おそらくそのような組織での、"ナチュラル"なBeingへの移行のやり方としては、今までと全く同じツールを使ったり、同じ事業をやっていても、そこに潜む囚われが認知されていること、自分たちの活動が新しいニュアンス(深み)で捉え直されること、情報の透明性があがること、内省的な会話が増えること、メンバーのサポート体制が構築されること、などによって健全に変化していくことがあり得ると考えています。

そのような組織においては、既存の資本主義レースの文脈で培われたスキルたちが全く役に立たなくなるなんて方向性はしんどすぎるので、その既存のスキルをより良く活かすにはどうしたらいいか?、という問いを追うことで、ナチュラルな変革を推進していけるのではないか?と考えています。希望的観測である可能性もあります。


"既にあるスキル"をより良く活かすためには、今まで全く目を向けてこなかった盲点となるような分野で、既存のスキルを活かすには?と考えると発想の幅が広がります。また、事業活動では使ってこなかった種類の(よりプライベートな分野で培われてきたような)眠っているスキルを活かすには?と考えると、人も組織も、ナチュラルに(=勝手に)Being的な移行の可能性があると感じています。これは、社会的な自己が見失っているものを、プライベートな自分の場面から復活させてくる治癒・治療であると言えます

つまり、Being的な運営が理想だよね、と言うだけではBeing的な運営への道は遠く、そうではなくて「ポテンシャルが最大限発揮されて、イキイキと働ける環境になったらいいのにな。」という願いを愚直に追う(既存の文脈から視点を切り替えながら追う)ことが、本当の意味で、Beingな世界観へと我々を誘ってくれる、と思っています





『手段』レベルでDoingに飲み込まれない

また『手段』のレベルで、Doing的発想が色濃く残るスキルに飲み込まれないためには?という話がまだあります。

例えば最近は、学習用コンテンツとしての資料づくりなどやってますけど、ここで他社の事例をそのまま引っ張ってきて、そのフォーマットをマネしようとするときに気づくのが、フォーマット(テンプレート)自体が、基本的にはDoing偏重の価値観による構成になっていたりするので、鵜呑みにはできないということです。(Doing的な「デザイン思想」と言ってもいいかもしれません。)

これをもっと深く堀ると、例えば「資料がスライドで作成されている」とか、「ホームページの構成」とか、「タスク管理にスプレッドシートを使っている」とか、そんなところから再考していいと思っています。

例えば去年一年間事業づくりをしていて気づいたのは、スプレッドシート(エクセル)という道具でタスク管理をするのは非常に便利で、計画・管理・実行をしやすくしてくれるのですが、そもそもあのツールを使っているという時点で、思考が自ずと線形的思考に縛られる特徴があるということです

線形的思考がどういうことかと言うと、いま僕はこのnoteに文章を書きながらスプシの利点として「計画・管理・実行をしやすくしてくれる」という言葉が自然とでてきましたが、計画・管理・実行というのが科学的管理法のパラダイムの象徴のような言葉たちですね。

実際に起こっている現実・目の前の経験・リアリティや、構造化しづらい微細な情報をキャッチするよりも先に、タスクリスト/数字に目が行ってしまうのは、多くの場面において、人を、生きる価値・創造する凄みと喜びから遠ざけます。しかしこれがあたり望ましいことでは無いと分かっていながらも、われれは使うツールと、そのツールを使うような習慣によって、ついつい線形的思考・物事を対象化して操作する思考に引っ張られてしまいます。このようなことか、我々が日常で使う道具や、居る環境によって引き起こされていることは容易に想像がつきます。

これは、"気づいたら"起こっているのがポイントだと思います。僕には、思考の外注をスプレッドシートのタスクリストに託していることで、非人間的感覚への誘引が発生していました。もちろんツールなので使う人の力量に寄るものではあると思います。気を付けて使えば、思考は濁らないという話でもあると思いますが、それでも多くの人の思考や行動の"ベース"となる部分は、そのようなツールの背景にある思想に、実は引っ張られやすいゆえ、社会のインフラ的ツールそのものは積極的に再考したいと思っています


線形的思考の限界を超えて、いわゆる非線形、流動的/統合的な思考をするには、もっとヌメヌメ動く、回り、巡るようなツールが必要なのでしょう!
日常の習慣レベルで勝手に統合的な思考、身体感覚にアクセスできる思考ができるようなツールは、非常に世の中の状況を良くするんじゃないか?と(短絡的かもしれませんか)僕は信じています

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Beingな生き方が主流になる

まぁそんなこんなで、仮に理想として設定したときの「ティール」や、Beingに目を向けようと言ったときに、それが具体レベルでどうなるか?と言うと、既存の社会に溢れている「手段」を根本的に疑って、自分たちのやり方を1から生み出していくことが現状めちゃくちゃ速いでしょう。ということが言いたかったnoteでした

Beingな生き方が社会の主流になり、そして社会全体の幸福度を押し上げることはたしかだと思っているので、労力はかかってもトライすることに大きな価値があると思います。


いつだって未来は過去の延長線上にはありません。未来は、既存のパラダイムの限界点が見極められたその先にチラつく新パラダイムの中にあります。
コペルニクス的転回つまり「パラダイムを変えた発想」は、現代ではここまで書いてきたようなBeing的発想を持つことだと思っています

おわりに

Beingな生き方への移行のやり方は、結論はシンプルで、ただ既存のものをマネするだけじゃなくて、自分たちの目的(それはしばしば自分の内側を"感じること"で気づく)に照らすと、どんな手段をとったらいいか?再考しようということ。つまり「自分たちのWay(やり方) を生み出そうぜ! 」みたいなワクワク感好奇心に集約された一人一人の創造性の発露こそ、新しい自分たちの状態を生み、そしてそれが時代を切り拓く一歩となっている!と思っています


Don't think, Just feel

And make a new way!

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