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ボランティアで満たされる自己顕示欲
ボランティアと言うと見返りを求めずに人のために時間や労力を費やすこと、という定義が当てはまると思います。基本的には時間や労力に対する対価は報酬です。なので、報酬がない=ボランティアという認識になっている人が多いです。このことについて私自身思うところがありますので、今回はそのお話をしたいと思います。
カウンセリング業界でボランティアというと、例えば「いのちの電話」などがあります。厚労省のホームページでも案内している無料カウンセリングサイトです。ボランティア相談員が自殺を考えている方からの電話に対応する、そういったサービスです。
「いのちの電話」の存在意義は大きなものであると思いますが、私はボランティア相談員によって構成されている点に関して危惧している点があります。それがタイトルの部分ですね。
人間には自己顕示欲があり、周りの人から認められたい、褒められたいという気持ちを持っているものです。それを満たしてくれるものの1つにボランティア活動があり、その中でも究極のものが「いのちの電話」の相談員だと私は思います。無償で人の命を救っている、これ以上のことはなかなかないでしょう。
しかし、「いのちの電話」の評判は必ずしも良いものではありません。致し方ないものもありますが、私が気になっているのは「寄り添ってくれない」という声です。実はここに自己顕示欲が絡んでくるのです。
人のために何かをする際に、どちらかの表現になります。
「してあげる」「させて頂く」
どちらの表現も人のために何かする、ボランティアとして活動する際に思う内容です。もうお気づきだと思いますが、「してあげる」という感覚でボランティア活動をしている方は、自己顕示欲を満たすために行っています。その際に「いのちの電話」であれば「寄り添ってくれない」となってしまいます。
私は無料カウンセリングが不要だとは思いませんが、積極的にお勧めできない理由はこういったところにあります。本当のボランティア精神は対価が全くないのに「させて頂く」という気持ちで活動できる心。素晴らしい精神ですが、残念ながら私は持ち合わせている自信はありません。皆さんはどうですか?
有料のカウンセリングでもサービスの質に統一性はありませんが、それでも対価をもらってサービスを提供させて頂くという気持ちで、全力でご相談者様に向き合いカウンセリングを行っているはずです。
対価がなくて「してあげる」は普通の感覚、対価があって「してあげる」は傲慢であると私は思います。どうまとめれば良いか分からなくなってきましたが、ちゃんとしたカウンセリングを受けたいのであればやはり有料のカウンセリングを受けることをお勧めします。ということで、リ・ハートの電話カウンセリングまでの流れを載せておきます。
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