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受け取り方の自由度

ものごとの受け取り方というのは、人それぞれです。

どんな受け取り方が良いとか悪いとかでもなく、使い古された言い方をするのであれば「みんな違ってみんな良い」ですね。

今日はそんなことを10分くらいで考えてみたいと思います。


ものごとを受け取るとは

ここで言う『ものごと』というのは、目の前に生じた現象であったり出来事、もしくは誰かに言われた言葉、自分と他者が関わるエピソードなどのことを指します。

よく言われる例ですが、目の前に水が半分だけ入ったコップがあったとして、「まだ半分ある」と捉えるのか「もう半分しかない」と捉えるのかによって、印象は全く異なってきますね。

他者との関わりという意味の例を挙げるとすれば、上司に言われる「もっと頑張れ」という言葉なんかが多様な解釈ができますね。

上司との関係性によって、「(お前は全然頑張っていない、成果もあげていないから)もっと頑張れ」と受け取ることもできますし、「(お前には期待しているから)もっと頑張れ」と受け取ることも可能です。

上司の発言の意図は「もっと頑張れ」という発言の際の表情や声色などによって判断できる部分はあると思いますが、上司と受け取る側(自分)の関係性によってその取り方も修飾され得ることを考えると、受け取る側の捉え方次第だと言えるのではないでしょうか。


どう捉えるのが幸せか

ヒトが生きる目的を考えたとき、幸せになるために生きるべきだと考えています。

個人の幸せと集団の幸せ、もしくは個人の幸せと他の個人の幸せとが両立できない場合は難しいですが、基本的にはヒトは幸せを追求すべきだと考えています。

前節で書いたように、同じエピソードも受け手側の捉え方次第で全く逆の意味として受け取ることができてしまうということを踏まえると、自分が幸せに感じられるような受け取り方がベターなのだろうという結論になります。

それができれば簡単なのですが、自分の捉え方を決めるのも自分なので、少しずつでもそのような捉え方・受け取り方ができるように自分をコントロールしていくしかないのだろうと思います。


それってリハビリテーション

このように、受け取り方が変わることによって、幸せを感じられる。

これって、リハビリテーション(全人的復権)以外の何物でもないと思うのです。

理学療法士が何を言い出すのか、と言われるかもしれませんが、リハビリテーションを考える上では無視してはいけない領域ではないでしょうか。

人は余裕がなくなると、他の事象に対してもネガティブな受け取り方をしてしまう傾向があります。

身体が動きづらかったり、痛みがあったりすると、エピソードに対する意味付けもネガティブになりがちです。

そんなのを疼痛分野では『破局的思考』と言ったりするのですが、何をしていても落ち込んでしまったり、もう良くならないと思い込んでしまったりしますよね。

理学療法士は基本的に身体や運動にアプローチを行いますが、それを通して人の心理や幸せにまでアプローチできる可能性は考慮しておいて良いのではないかと思うのです。


おわりに

テーマが壮大になりすぎて、12分43秒も書いてしまいました。

この辺で終わりますが、本当に壮大なテーマなので、色々な分野・領域に拡大して考えられそうです。

また書くと思いますし、みなさんのご意見を聞かせていただけても嬉しいです。

では、また。


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