見出し画像

言葉が丁寧に扱われているのが好き。

私、言葉というものがすごく好きなんだけど。
だから、言葉の使われ方とかすごく気になるんだけど。

でも、そこまで気にしない人が多いんだなぁ、と日々感じてしまう。
もちろん、こういう場で文章書くような人は、なんだかんだと意識しているんだろうと思うし、だから読みやすいものが多いかなとも思うけど。

*

言葉の使われ方って、正しいかどうかっていうのがあると思う。
誤字脱字がないかとか。送り仮名とか。
同音異義語で間違えてないかとか。似たような言葉で違う意味の言葉間違えてないかとか。

ちょっと自信ない言葉だったらぐぐればいいだけなのに、なんでそんなに間違えたまま使ってるんだろう?って思う。
変換ミスかなって思うようなのもあるけど(それも気を付けたらいいんだけど)明らかに勘違いしたまま使っているなぁとわかるのも多い。

あと、敬語。
敬語もわからなかったら調べたらいいじゃん?なのに、敬語っぽい雰囲気で全然だめな文章になってるのもよく見る。
やたらへりくだりすぎて何言ってるかわからなくなっているのとか。
そもそも敬語が間違っているのも多い。謙譲語を相手方に使っているのとか二重敬語とか。丁寧語でいいようなところを過剰に使っているとか。

本来の意味は?意図は?って考えてみたらいいのになって思う。

*

で、それも気になるんだけど、言葉の使い方が正しければいいってもんではない。

言葉の組み合わせとか相性みたいなのあるじゃない?
なにがだめっていうルールとかではなくて、なんかこういうところでこんな感じの文章が合わないとか。
明らかにおかしいっていうのではなくて、なんかちょっとしっくりこないっていうのがある。

なんとなくざらつく感じとか、逆につるつるとすべってしまう感じとか、じっとりした感じとか、そういうの。
かたいとかやわらかいとか、明るいとか落ち着きとかそういうのも。
場や人の雰囲気にひっぱられた感じとか、その場や人の質そのまま出てたりとかで、文章に現れているのかなと思う。
声とか表情とかでなく、文章自体がもっている質感みたいなの。

そういうのが、内容と合ってるかどうかとか、場や状況と合ってるかどうかとか、発している人に合ってるかどうかとかで、しっくりくるか違和感あるか変わる気がしている。

違和感があるとき、意味はわかるし、正しいし、別にただ伝達するという意味では困らないけど、なんだかなぁっていう感じになる。
文章としては理解しました、って思う。でも伝わってくる感じがないなって思う。
テキストとして理解できるけど、読みやすいとか聞きやすいって感じがないと思う。すーっとはいってこない。

だから、そうならないように、書きたいこととか言いたいこととかにしっくりくる文章を考えたいといつも思っている。できてないけど。考えすぎると書けなくなるから気にしないで書くときも多いけど。

だけどそういう違和感を気にしないとか、そもそも感じない人多いなぁと思う。それがだめとか言いたいわけではないんだけど、気にならないんだなっていう。

*

正しく言葉を使うのも好きだし、それはそれで大事だとも思うけど、正しくなくてもしっくりくることもある。それはその人の言葉なのだその人の文体なのだと思う。
だから、正しく言葉使えないのどうなん?って思うけど、それとは別次元で、正しさ関係なくいいなと思ったり読みやすいって思ったりもする。

形の問題ではないのだと思う。
意図して言葉を使っているかどうかというか。

国語的に正しくなくても、好きだなと思うような文章は、ちゃんと考えてそういう文章にされている気がする。
わざと正しくないようにしたということではなく(そういうのもあるとも思うけど)、なんとなくでなく、言葉を選んでそうつくっているのではないかなぁと。

言葉をリスペクトしている感?

そこまで思ってなくても、丁寧に扱っている感じ。

正しい言葉でないのとか、敬語使えないとか、違和感ある文章気にならないとか、私の中ではその逆に感じるものなんだろうと思う。
雑に言葉を扱っているという感じ。

*

自分の好みの問題だとわかってはいるけど、でも私は言葉を丁寧に扱いたい。(それは、きれいな言葉遣いとかいうのではない。場に合うとかそのときの感情に合うなら汚い言葉使うのもありだと思う。)
そして丁寧に言葉を扱う人が好きだと思う。

*

言葉を扱うって、結局、思考や感情をどんな言葉選んで表現するかってことだし、どんな思考をつくるかとか、どんな感覚をもてるかってところになるよね?とも思う。

だから大事にしたいのかもな、言葉。


この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?