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団地の花子さんと死にたい死神くんの人生実況解説動画 第7話


 その出会いは突然だった。
 お昼休みが終わってしまうと、エレベーターに駆け入ろうとした時である。私は肩をぶつけられてすってんころりん。お尻も痛いけど、足も痛い。あ、ヒールのゴムがポロンと取れとる。あーあ、また接着剤で止めなきゃ。

「す、すみません! 俺、急いでて……」

 うん、仕方ないね。私も急いでたんだもの。チンタラしてたら、受付秘書の人に話しかけられちゃうし。また津田さんじゃないのが厄介なの。「実は津田さんってさぁ~」て花咲かせられるほどの陰口のネタを、御手洗花子、二十四歳、派遣社員は持っておりませぬ。

 最近、津田さんは庶務に部署が変わったらしい。私の部署にも、たまに電球を替えたりしにやってくる。こないだは、そのついでにデデニーのお土産をくれた。チョコクランチに恨みはないから有り難く頂戴したけど。給料貰って一週間、今月も食費はピンチになりそうな気配ビンビンだからね。貴重なカロリー源だ。

「あの、大丈夫っすか?」

 そんなこんなで、私はこんな日常に少しずつ慣れている若輩者です。神様、サプライズはいりません。私は平穏無事にイベント限定ミハエル様をお迎え出来ればいいのです。……はぁ、また帰りに魔法のカードを買って帰らねば。

 だからね、イケメンくん……そんな額に汗流したキラキラな顔で、こんな私に手を差し伸べないでくれないかなっ⁉

「はははははは、はい。お、お気遣えなく……」

 私、君のこと知ってる。噂の営業部の若手エースでしょ? 新年会で隣の席だったよ。名前はすまん、失念しておりますが……私にいきなり『可愛い』とほざいてきたやつ。しかも噂では婚約者持ち。いやあ、流れるようなリップサービスにお姉さんビックリですよ。なんか、私より若いらしいじゃん? 二十三歳だっけ? たった一学年かもしれないけど、一年頑張ればけっこう人生変わる。リセマラ前の初心者が廃課金と睡眠時間カットで攻略配信者級チート上級者にだってなれるのだ。

 なのに……いや、だからこそ? 人生を日の当たる場所で全力で生きてきただろうハイスペックイケメンは、その整った眉根を寄せた。

「でも……足、大丈夫なんすか?」
「だ、大丈夫。ありがとね」

 うん、だからイケメンよ。早く立ち去ってくれ。私と不毛に会話する時間を取るくらいなら、少しでも朝寝た方がいいと思うの。絶対その髪型セットするの大変じゃん。ワックスとかよくわからないけど。さっきから受付さんたちの視線が怖いったらありゃしない。

 私が座り込んだまま愛想スマイルを浮かべれば、イケメンくんは「じゃあ……」と懐から何かを取り出す。名刺だ。

「医療費とかかかったら、あとで請求してくださいね。きちんとお支払いしますんで!」
「ど、ども……」

 それじゃあ失礼しまっす、と素早く頭を下げて、イケメンくんは小走りに去っていく。歩きながらスマホを取り出して……営業電話かな。さすがエース、大変だなぁ。

 さて、私もいつまでも床に転がっているわけにもいかない。

「イテテ……」

 まぁ、足は軽く捻った程度だ。湿布を貼る必要もなさそう。そんなことより、きちんとヒールのゴムを回収しておかないとね。靴買い換えるお金があるなら、今は一回でもガチャを引かねば……。

 ――と、そこで私は、とあるストラップを見つける。金色の羽に水色の石がキラッと光るチャームが付いている。そして、皮のフープの部分には『レイチェル』と筆記体で描かれていた。なんで読めるか? そんなの決まってる。これは半年前に行われたアプリゲーム『MVS(マジカル・ヴィラン・ソード)』の三周年リアルイベントで限定発売されたレイチェルストラップなのだから。

 私はそれを拾って、入り口を見やる。ちょうど、先程ぶつかったイケメンくんが会社を出て行ったところだ。

「んなわけないか……」

 そのまま、誰かに捨てられたら可哀想だ。私はこっそり回収した。泥棒じゃないよ。いつか探している人がいたら、ちゃんと返してあげたいと思う。だから受付とかにも預けられない。

 だって、私もヲタクの端くれですから。同志の気持ちはいたいくらいわかる。ヲタバレはしたくないよね。でも、だからこそ大切な宝物。今はオークションで何万円とかになってたと思うし。いつか返せた時、少しだけゲームの話が……出来たらいいな。

「花子ちゃん、何してんの?」

 私がストラップをポッケないないしていると、綺麗な黒ストッキングの脚が見えた。見上げれば、今日もゆるふわセット完璧な元受付秘書、津田真愛さんが勇ましく脚立を持っている。なんか受付にいた時より似合うな。言ったら絞められそうだけど。

 私は小首を傾げる津田さんに向かって、呆然と報告した。

「転んでた」
「それは見りゃわかる」

 でーすーよーねーっ! 
 とっても気恥ずかしくなった私は、慌ててそそくさ立ち去りましたとさッ☆


 私は夕飯の絶品カニ炒飯を堪能した後で、死神くんに詰め寄る。
 無論、我が家にはカニ缶すらないのに、どうしてカニの味が口の中で乱舞したんだありがとうございます、てことではない。

「――てなわけで、死神さま。このヒール上手に直せませんかね?」
「こんな時ばかり敬られても……ちょうど買い替え時じゃないですか? もうゴムだけじゃなく、本体も斜めに削れているじゃないですか。靴屋さんもお手上げだと思いますよ?」
「そこをなんとか……!」

 お家に帰り、今日もなぜか美味しい炒飯セットをいただき。お部屋では今日も同じ歌謡曲をエンドレスにかけながら、私は当たり前に家政婦してくれている死神くんに懇願した。なんか器用そうだから、きっと靴も上手に直せるに違いない。

 ちなみに赤いラジカセから流れる曲は、最近ようやく変わったの。今度は女の人がゲラゲラ騒いでいる曲。またカッコいい雰囲気だよ。でもでも相変わらずこの曲ばかりなので、「ばーにんはーと」のタイミングは覚えてしまった。

 そんな古臭い曲が大好きな死神くんは、色素の薄いふわふわの髪の、幸薄そうな超絶美形。細長い四肢を白シャツと黒ズボンに収めた大学生くらいに見える彼は、今日もアプリゲーム『まほうの騎士さま』に登場する最推しミハエル様にそっくりだった。そんなイケメンの困り顔……滾るよね♡

 でも、別に私は死神くんで遊んでいるわけではない。

「我が家にそんな贅沢品を買い換える余裕があるとでも?」
「仕事用の靴って必要経費ってやつなのでは?」
「今月は生きるための必要経費でカツカツです」
「……その魔法のカード? 何枚目って言ってましたっけ?」
「まだ三枚目ですよ。一日一枚と決めてますから!」

 えへんっと胸を貼る。偉いでしょ? 私は我慢が出来る女なのだ。
 対して、死神くんは真面目な顔で説いてくる。

「一枚一万円でしたよね? それ一枚我慢すれば、今の時代きちんとした靴買えるんじゃないですか?」
「は? |三九〇〇円(さんきゅっぱ)以上の靴なんて買ったことありませんが?」

 ……うん。団地の六畳半のリビングで、我ながらシュールな会話をしているな。

 死神くんがため息を吐く。

「まあ、明日もお仕事でしょうから……とりあえず応急処置頑張ってみます」

 そして死神くんは黙々とハサミを駆使してヒールを削り出した。器用だなぁ。まぁ、うちにヤスリなんてモノはないもんね。

 きゃあ、がんばれー♡ と心の中で黄色い声援を送って、私はスマホを取り出す。死神くんが頑張ってくれているんだもの。私もデイリー消化とイベント周回消化に勤しまないと! イベント周回は協力プレイならそれほどなんだけど、個人プレイで全報酬分集めるのは大変なのだ。ん? オンラインで知らない人とマルチプレイするのは論外よ。魔窟だからね。

 だからひとまずは、

「あ、そろそろまた動画も配信したいので、ターゲットを決めてもらえませんか? 出来たら今度のお休みにでも録画しません?」

 どうせ予定ないんでしょ、と失礼に当たり前なことを聞いてくる死神くんは後回し。周回開始の前に、魔法のカードの番号を打ち込み……いざ尋常に勝負の時間っ!

「ばーにんはーとっ!」と口ずさみながら、ガチャ十連ボタンをポチろうとした時だった。ピコンッとメッセージアイコンがミハエル様の顔を邪魔してくる。

「は? 津田さん?」

 私は思わず舌打ちした。だって、邪魔してきたのがよりにもよって津田さんだよ? なんか無理やり連絡先を交換させられて以来、私からは一度も連絡したことがない。たまに津田さんからは、こうして大したことないメッセージが飛んでくるけど。

 どうせ今日もくだらないことだろう……と、致し方なしにメッセージをチェックする。既読すらしないでいたら、翌日マジ泣きされたのだ。既読スルーは嫌味で済むからギリセーフ。

 メッセージには一言、こう書かれていた。

『頑張ってね♡』
「は?」

 何を? 靴のこと? それとも生きること?

「どうしましたか?」

 壊れた靴と格闘中の死神くんが、視線を向けてくる。

「……津田さんが死神くんに頑張れって」
「んなわけないじゃないですか。僕の存在、この現世では花子氏しか知らないんですから」
「で、ですよねー?」

 死神は、あの世とこの世を繋ぐ『黄泉』へ所へ死んだ人の魂を連れていく人のことらしい。天国逝きか地獄逝きか、閻魔様が決めきれない人たちの就くお仕事だとか。その死神の仕事に落ちぶれて『娯楽課』なんてよくわからん部署に左遷されたのが、私の隣にいる死神くんなのだけど……こんなよくわからないのが一般常識だったら、そりゃあビックリだな。

 死神くんと出会って二週間。私もたまに「これ夢かな?」て未だ思う時あるもの。主に超絶美味しいご飯を作ってもらった時。いつもそんな豪華な材料はないはずなのになぁ。本当にビックリだよなぁ。

 まぁ、今更そんなこと考えていても仕方ない。津田さんのことは無視して、再びミハエル様チャレンジしようとした時だった。またメッセージが邪魔してくる。

「もうっ!」

 今度は読まずにタップした。既読マークさえ付ければいいんだ。メッセージ画面を開くだけ! 

 だけど、『いきなりの連絡に驚かせてしまい、申し訳ありません』の書き出しに、思わずその後も読んでしまった。あれ、津田さんじゃない……?

 そのメッセージには礼儀正しい文が書かれていた。


 いきなりの連絡に驚かせてしまい、申し訳ありません。
 昼に社内エレベーター前でぶつかってしまった橋元です。お怪我は大事ないでしょうか? 御手洗さんの連絡先は庶務課の津田さんから聞きました。常識外の行動だとは思いますが、何卒ご容赦いただきたいと思います。
 今日の詫びに、ぜひ今度の休日にでも食事を奢らせていただけないでしょうか?

 返信をお待ちしております。
            営業部 橋元雄大


「ふわぁっと⁉」
「わー、花子氏。いつの間に英語をマスターしたんですか?」
「ごめん。今ちょっと微妙なボケにツッコむ余裕ない」
「……あなや」

 あなや、てどこの言葉ですか? 今の返しだとしたらやっぱり英語? そのしょんぼりした様子からして……と思わず脱線してしまいそうになるが、死神くんの顔を見て気を取り直す。そう――私にはミハエル様が待っているんだから! 普段の洋装から和装に着替えたミハエル様が「まだなのか?」と、今もそんな切ない顔をしているんだ。こんな問題とっとと解決して、早く清々しい気持ちで肩のはだけたミハエル様をお迎えしなければ!

 私は意を決して、死神くんに今起こった事実を告げる。 

「なんか、婚約者持ちにデートに誘われた……」
「でええええええええと⁉」

 死神くんは直しかけの靴と接着剤を放り投げ、絶叫した。いや、死神くん……見たことないくらい派手なリアクションですね……どちらかと言えば、きみは何事にも飄々としているキャラだったと思うのですが?

「そんな……花子氏が、ででで、デートだと……? 相手はどこの誰ですかな? 場所は? ぜひに拙者を同行させていただきたく」

「ねーねー。口調が動画仕様になってるよ」

「まずは赤飯を炊くべきですかな? それとも相手を討ち取るべく……」

 ブツブツと顎に手を当てて立ち上がる死神くん。え、どこに向かうのかな? 玄関? そして手に取るのは傘立てに置いてある鎌ですか? 

「ちょっ、なんで鎌? お赤飯は⁉ 喪女の私がデートなんてハッハッハ一世一代のびっくりジョークですねノリツッコミとしてお赤飯炊いてあげますよ的な流れではなく⁉」

「あーその……ほら、お相手のスプラッタで真っ白な衣装が赤く染まる様はまさに赤飯?」

「やだよ笑えないよ私ホラーは苦手なんだから!」

「エネミーをキルする時はヘッドショットがポピュラーですが、拙者は昔からナイフ縛りが好きですな」

「それナイフってサイズじゃない! しかもゲームじゃないリアルだから! しかも胡散臭い英語語りやめて。私英語いっちばん苦手だったの!」

「おや、英語ゲームを始めたのは花子氏だと記憶しておりますが?」

「すみませんでした。とりあえず鎌を置いて、こちらをご覧ください」

 私は安い土下座をしてスマホの画面を差し出す。笑顔の死神くんが怖いんだよー。なんで怒ってるんだよー。それ指摘したら余計にめんどくさそうだから言えないけどさー。

 ともあれ、大きく息を吐いた死神くんが私のスマホを取る。そして画面を一読して「ふむ」と頷いて、ラジカセの音量を下げた。

「この橋元雄大という方は旧知なのですか?」
「きゅうち?」
「昔からの知り合いですか? という意味です。ちなみに『あなや』もこれも日本語。花子氏は英語の前に日本語の勉強をやり直した方がいいですね」

 いや、にっこり笑ってますけど、言葉がとてもトゲトゲしいです。思わず私は正座します。

 もう。なんでデートに誘われただけで、こんな目に遭わなきゃならないのさー。

 だけど……死神くんを見上げれば、そのトゲトゲしい笑みがむしろご褒美のような気がしてくるから……あぁ、耳たぶが薄いミハエル様に見下されてるぅ♡

 私は素直に告白した。

「知り合いというには微妙です、この人、社内ですっごい有名なイケメンでして。二十三歳で今年一年目の新人くんらしいんですけど、すでに難しい営業をバンバン成功させて、トップくらいの成績を取っているらしいです。以前新年会でたまたま隣になった時、ちょっとだけ話したことあるけど……」

「ほう、どんなこと話したんですか?」
「い、いきなり『可愛い』と言われました」
「…………」
「きょ、今日名刺ももらいましたよ!」

 無言が怖くて無理やり会話を展開させるべく、私は掛けてあるスーツのポケットの中身を取り出す。津田さんから貰ったお菓子の包み(あの後私の部署に来た津田さんがお見舞いにとくれた)と、拾ったレアストラップ。それと名刺だ。

「これです、これ」

 名刺を両手で差し出せば、死神は一瞥した後、ビリッと破り捨てる。

「万死」
「だから鎌は置こう! 鎌はまずい。せめてナイフ! 小ぶりの隠しやすいサイズにしよう⁉」

 でも、ちょっと考えてみれば。
 私がイケメンくんにデートの誘われて、死神くんが怒ってくれている……これってまさにご褒美では? 嫉妬ってやつだよね。ヤキモチってやつだよね。

 そう考えると……ニヤニヤしちゃっても仕方ないよね♡
 対して、腕を組んだ死神くんは冷たい視線を向けてくる。

「どうしたんですか、花子氏。顔がいつもより気持ち悪いですよ。今日ぶつかった拍子に頭のネジも飛ばしてきたんですか?」

「うんうん。辛辣ありがとう。死神くん淡白に見えてこんなに情熱的だったんだね♡」

「…………はぁ。おかげで冷静になれました」

 やれやれと肩を竦めた死神くんが、私の隣に座る。そしてどこからともなく、眼球くんと耳惠ちゃんを出してきた。え、本当どこから出したの? 今さも当然のように畳を捲っていませんでした? 畳ってそんなにすぐ外れるものでしたっけ? 団地の四階に床下収納ってあったの?

 だけど、死神くんはテキパキと机の上を片付け始める。

「準備しているので、花子氏は今のうちにお風呂に入ってきたらどうですか?」

 お湯は湧いてますよ、と良妻ぷりを遺憾なく発揮してくれる死神くん。
 だけど脈絡がなさすぎて、私はポカンだ。
 そんな私に、死神くんは真顔で言った。

「今夜は寝れませんよ?」
「……ぱーどぅん?」
「あ、英語ごっこ続けるんですね。今からハッピーうれぴー動画撮影をするからです。エネミーを知るには盗撮からでしょう?」

 いや、敵を知るには己からではなかったでしょうか?

「動画……? 休日言ってませんでしたっけ? 明日もわたしゃ仕事ですよ?」

 今日は週のまんなか水曜日。時計の針は夜の十時半をを指していた。うん、このままお風呂入ってスムーズにお布団に入れば〇時くらい。明日も六時半に起きるとすれば、いい感じの生活リズムだね。

 しかし、死神くんは片目を閉じる。

「I won't let you sleep tonight.」

 そのカッコ良すぎる発音で、私の睡眠不足は確定した。



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