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ADHDの私が第一子、第二子出産後、うつ病と診断を受けるまで①

漠然と、結婚したら子どもが欲しいと思っていた。
20代後半になったら結婚ラッシュが来て、周りと同じように自分も結婚して
新婚生活を楽しんで、しばらくした子作りを始める。
私と大好きな夫に似た可愛い女の子と男の子、どちらも出来たら幸せな家族が出来て、毎日笑顔の絶えない家庭の中にいられるのだと。
周りの人たちがそう願うのと同じように、自分もそんな将来を思い描いて生きていくのだと思っていた。
デフォルト通りに自然の流れに身を任せて、何も考えずにただ前に進んでいけたら幸せな未来を掴めるハズだと、受け身で、ただ空気を吸うことだけは忘れずに生きてきた。

結婚して、2年経っても子どもが出来ず、不妊症と診断を受ける。
長年正社員として勤めていた職場を退職し、様々な不妊治療を受けた。
タイミング法、人工授精、体外受精。
片道1時間の距離の病院まで月経周期に合わせ、こまめに通院をして、夢にみた妊娠を目標に、医療の力を信じて夫婦二人三脚で治療を頑張った。
体外受精までステップを伸ばしたのに、妊娠に至らず、毎月生理が来るたびに落ち込んで、重たい生理痛(持病の婦人科疾患によるものにもがき苦しみ、心身ともに疲弊していた。
それでも、パートの仕事が当時の自分に合っていて、良い息抜きの時間になっていた。

長期間通院を続けたのちに、専門のクリニックに転院して、すぐに第一子を妊娠し、念願叶って、嬉しくて嬉しくて夫婦で泣いて喜んだ。
産まれる直前までパートの仕事を頑張って、子の誕生への期待と仕事へのやりがいを毎日感じながら、充実した日々を送っていた。
周りの家庭と違っても、自分達が幸せならそれでいい、と思えていた。

学童期から、「真面目で頑張り屋さん」と周囲から評価を得ていた私は、
第一子が産まれてからというもの、可愛くて仕方がなくて、
長泣きをしても、夜泣きをしても、ウンチを漏らされても、会話が出来なくても、我が子のために、自分の時間を犠牲にしても良いから、何でもしてあげたい。と無償の愛というものを強く感じた。
育児本通りに成長の過程を歩めるように、関わる時間を密に密に、増やしていった。首のすわり、寝返り、おすわり、ハイハイ、たっち、一人歩き…月齢通りに成長が進んでいったし、食も良く、言葉を覚えるのも早かった。
1歳まではあっという間に時間が過ぎて、自分の努力がきちんと報われていったことに達成感もあった。
笑顔や言葉で素直に返してくれる子どもがとても愛おしくて、育児が楽しいと感じる時間の方が多かった。


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