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初めての男性育休(1年間)のゴール「人生の正午」

前回のnoteでは、育休生活でのファミリータスクのゴールとして想定したこと、そして、タスクの中での気づきを含めてまとめました。

育休を開始してから、ファミリータスクも含めて、1年間という限られた貴重な育休期間に、何を求め、誰のために、何をなすのか、そんなバラエティ豊かなタスクとゴールを、タスク管理ツールTrelloにまとめ始めました。

そのタイトルは「人生の正午」

人生の正午に改めて、死=有限な時間を意識したからこそ、人生の充実に真剣に向き合えます。私にとって、この先の人生の充実のために、過去に築いてきた価値観や理想、当たり前の数々は、いったん度外視して、次のアクションを考えたい。
そんな思いのもと、構築中の「人生の正午」と名付けたゴールとタスク。今回は、特に仕事と人生に関する部分をほどいていきます。

必要とされない私

育休に入ってしばらくは職場のメンバーから、「あれはどうなっているの?」「これはどうしたらいいの?」という引き継ぎフォローのための連絡をもらっていた。それが、3週間ほどでほぼ途絶え、仕事とは疎遠に。
つまり、勤め先からは、「必要とされない私」

率直に言って、寂しい。

もちろん、育児休業の意味はよく分かる。勤め先はその意味を私以上に理解し、最大限の努力を持って、仕事を私から遠ざける。
アイデンティティの揺らぎに関するnoteで書いた通り、「私が”自分であること”を支えてきたものは、勤め先を前提とした、期待されたもの、求められたもの、与えられたもの、決められたもの。」だった。一方、それに気づいたところで、すぐにそれ以外の自分の拠り所に引っ越しできるわけもなく、だからと言って、自分には家族しかないと家事育児のみに邁進しても、育児休業が明ければ、それのみで生活していけるわけではない。

役割があり、仕事があり、求められることを失って初めて、そのことの幸せを実感する。そして同時に、ひとたび仕事から離れれば、自分の存在意義すら揺らいでしまう自身にひどく頼りなさを覚える。
さらに、もしかすると、この喪失感は、定年後に味わうものに比べるとまだまだ可愛いものかもしれないと考えると、背筋が冷たくなった。

私のこのような感覚には、共感してもらえる方とそうでない方の両方がいて当然だろう。また、育児休業中にこのような喪失感を感じさせることについて、組織的な課題認識と対処も必要かもしれない。

ともあれ、「当たり前に必要とされないこと」は、いわば、「当たり前」であるのに、自身は組織勤めの中で当たり前に必要とされ続けると錯覚していた。ここには、組織に滅私奉公する代わりに、豊かな生活を保障してもらおうとする自身の甘えのような姿勢があったように思う。
そんな甘えを捨てるなら、育休復帰後も同じ組織で働き続けるにしろ、組織との新しい関係を築かなければならない。それは、物理的な関係や役務ー報酬という外形的な関係ではなく、純粋に私の内面的な組織に向き合う姿勢に他ならない。

本名を探し当てるには

「新しい自身の内面的な組織に向き合う姿勢」を築くことは、アイデンティティを再構築する(=本名を探し当てる)ことと表裏一体かもしれない。

その考えのもと、次の二つの課題について、手あたり次第にインプットと仮説としての主にはTwitterでのアウトプットを始めた。

  1. 組織への依存関係にない自分に向き合う

  2. 組織との新しい関係を築く

”本来の自分”や、”自分探し”といった自己啓発のテーマは、ビジネス書やセミナーとして、近年でも多くの悩める人に消費し続けられている。しかし、そこにもっともらしく述べられている正解は、消費を前提とした”正解らしきもの”であって、万人にとっての正解ではおそらくない。そして、私のこれまでの人生で得た知恵を振り返ってみて、正解が見当たらないのだとしたら、これまで行ってきたこととは全く異なるインプットが必要かもしれない。
そう考えて、とりあえず上記のゴールに向かうタスクとして、以下を定めた。

  1. 100名の会ったことのない人の意見を聴く(セミナー参加)

  2. 100冊の新しい書籍から知恵を得る

  3. 1000件の自己主張tweet

数字に特に意味はない。けれど、これまでの自分とは違う行動をするには、何かキリのいい目標を掲げることで、何かに近づいている感触を得ることができるかもしれない、と思った。

価値に目を向ける

また、組織との依存関係にない自分に向き合うことは、組織を抜きにした自身の価値に目を向けることも意味する。
組織における自身の価値は組織が決めるのと同様、社会(市場)における自身の価値は社会が決める。しかし、日本の組織は従業員の価値が低減していってもそれを無暗に排除しないけれど、社会(市場)は容赦なく、価値のないものを排除する。

  • 現在の私が社会に提供できる価値は何か

  • 現在の私が社会に提供したい価値は何か

それを問うための試行を繰り返す。
組織と違い、失敗したら、自身が痒かったり、痛いだけ。その感触にも新たな気づきがあるかもしれない。

何しろ、「人生の正午」。太陽は真上に上り、傷ははっきりよく見える。
この試行錯誤の視界の先に、年甲斐もなく、ドキドキワクワクを胸に秘める。

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