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初めての男性育休(1年間)のゴールを眺める(その1:ファミリータスク)

育休生活に入るにあたり、怒涛の慌ただしさと心のざわざわで、どんな生活になるのか想像できずに育休をスタートすることになりました。
育児に専念するという自明な目的の休業なのに、「ゴールを眺める」という表現はおかしく見えるかもしれません。しかし、前回のnote”アイデンティティの揺らぎ”に綴ったとおり、「名前探し=アイデンティティ再構築」という大きな課題が私の育休生活の前に立ちはだかります。

ともあれ、家事育児の分担も含め、休業を開始してから初めて、専業主婦の妻ともしっかりとした相談を始めました。
ひとまずは、育休期間を通じて、大きく次の3つのタスクにかかるゴールを想定し、行動しています。

  • ファミリータスク

  • キャリアタスク

  • ライフタスク

薄靄の中でも動けば見える景色は変わり、晴れていく世界もあります。
今回は、上記のうち、ファミリータスクにおいて目指す先をほどいていきます。

義務感とは違う

育休の準備に関するnoteにて言及したとおり、0歳男児を迎えようとする我が家において、それぞれがありのままでいられるような家族のバランスが今後どのように変化していくのか不安があった。

父であり、夫である自身が、一般的にしなければならないと考えられているファミリータスクは山のようにある。しかし、「しなければならない」は、誰かの意見の総集。そんなやらされ仕事で幸せになれるとは思えない。
まずは、家族がありのままでいられるための家族の課題について、妻とも相談して、次の私の「やりたい」をゴールとした。

  • 息子(0歳)の成長の瞬間をともに

  • 娘(小1)と外に

  • 寝不足の妻に朝のゆとりを

世界が広がる瞬間

0歳児の日常は成長の瞬間に溢れている。何しろ、生まれたては視力もほぼなく、声も弱々しい。自身の手さえ認識できない。それが日々刻々と、モノに手を伸ばす、力強く泣く、オムツ交換に抵抗する、その全てが成長を意味する。

そんな一瞬一瞬に触れられる幸せを実感するためには、育児の全て、育児そのものに自らが参画することが一番の近道だった。また、それを、夫婦や娘、家族で共有できることが幸せに輪をかける。
こうして初めて、自身が長女の育児にまともに参画できていなかったことを知った。

小1の我慢

弟の誕生を両親に負けないほど心待ちにし、毎日、弟に「大好き」と語りかける娘。
一方、両親がこれまでのように、自身の思いに応えてくれないことに苛立つ場面も増えた。また、両親に似ずアウトドアな娘は、弟の誕生後なかなか家族で外に出られない状況に我慢を重ねていた。

だから休日はなるべく娘と外に出る。父または母と二人のときもあるし、家族みんなのときもある。買い物でも、サイクリングでも、近くの公園遊びでも、ただ娘のしたいことに向き合うことで、娘の考えていること、興味・関心が、どんどん広がり、形を変えていっていることに気づいた。

朝の凝縮したタスク

毎夜の授乳は、母の精神力の強さの為せる技としか思えない。細切れで短い睡眠時間は、何も良い結果を生まないと、自身の経験は断言する。だからせめて、小学校に通う娘をはじめとする朝支度など、朝に必須のタスクを私が担う。
このことに対し、妻は「助かる」と言ってくれるものの、もっと私ができることがあるんじゃないかと思えてならない。


私たちの当たり前を再構築する

こうして考えてみると、ファミリータスクの担い手に当たり前なんてない。家事育児は、妻が、母が、という当たり前がまだまだ社会に蔓延っているけれど、それは誰に都合のいい当たり前なのか。夫であり、父である自身にとっても、何らメリットのない当たり前。
誰かが幸せになる当たり前なら、それを尊重することの合理性もあるかもしれない。でも、少なくとも、私の家族には今のところ必要とは思えない。
"お姉ちゃん"についても同じ。大人が作話した個性を度外視した当たり前に、子どもの可能性は先細っていく予感がしてならない。娘には、体いっぱいに、自分なりの"お姉ちゃん"を体現し、幸せを感受してほしい。

そして残るは、キャリアタスク、ライフタスクに関するゴール。アイデンティティの揺らぎを受けて、こちらではいっそう、当たり前から順に再構築していこうとする姿勢が顕著となるが、その内容はまた次回に。

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