noteで誰かに向けて書く。書く行為を続ける。 それは、誰かは分からないないけど、誰かのことを考えることになる。 どう表現すれば伝わりやすいか、自然と考える。 その行為を通じて、必然的に自分を見つめ直すことになる。 何かを伝えたいと思うと、自分の中で、なにがしかが、まとまっていないといけないから。 これを繰り返すことで、 「人のことを考えて生きる習慣」 が身につくのでは、と思った。 漫然と生きていると、人のことを考える意識がもてない。 最も身近にいる、妻のことを
引き続きやめている。 こころはおだやか。 かつての親友。 その姿は朧げになりつつある^ ^ * noteは2ヶ月ほど離れていた。なんとなく twitterは継続 朝の断酒カウントは、引き続きの習慣 ** 酒をやめるメリットは数々あるが、それは飲むという前提からの視点。 曰く ・時間ができる ・お金が貯まる ・健康によい ・読書ができる ・風呂で溺れない 飲まないことが常態化すると、もはや酒という異物(依物:依存するので)を意識しなくなる。 するとメリットが
引き続きやめている。 こころはおだやか。 かつての親友。 その姿は朧げになりつつある^ ^ * 昨日、3回目のワクチン接種を受けた。 私は、2回目接種の後、断酒を決意した。 それほど、固い決意ではない。 接種後に係の方から、「飲酒は控えてきくださいね」と言われ、その流れでその日やめたみた。 「 ‥‥‥ 」 何ともないやん^ ^ それ以降、半年続いている。 * 断酒による気づき 今当たり前と感じていることは、当たり前ではない。 私は、自分が
「学校やだな〜。友達に会うことぐらいしか楽しみないよ」と三男(小3)。 友達に会うのが楽しみであれば問題ない。 友達付き合いは、双方向のやりとりが求められる。受け身の学習よりレベルが高い、知的で人間的な行為。 ◇ 親にできることは、見守ること。 友達に会うのが楽しみの状態で見守れていれば、百点。 子どもの自由な興味に目を向け、共感することに意識を向ける。 先導するでなく伴走する。 🏃♂️🏃♀️ 以上、今日も「考える葦」に来ていただき、ありがとうございました☺
「学校行きたくないなぁ」 という三男(小3) 私:なんで? 三男:だって面倒くさいんだもん 私:何が? 三男:授業とか聞かないといけないから。 私:そうか これで終わり。 ◇ 子どもは、やりたく無いことを直接的に吐き出す。それでバランスを図っている。 大人は、こうあるべきと考え、本当の気持ちをなかなか素直に吐き出さない(出せない)。そしてあるべきを、相手にも自分にも課す。それが世間体や誰かの期待に基づくものであった場合、無意識のうちに不満という名の澱が溜まっていく。
瞑想。半年。感謝。 瞑想は、時間的にも、身体的にも、精神的にも余裕がないとできない。 それが出来ているのは、ただの偶然である。 大病したり、事故にあったり、失業したり、家族が病気したり、戦争に巻き込まれたり、諸々のことが起きていないだけである。 だから、 半年続けているのではなく、 続いている 生きているのではなく、 生かされている 自分のできることは小さい。 それに気づき、受け入れ、今に集中する。 日々は、その積み重ねでしかない。だからどこに行くかは分からない
何もないテーブル そこでは何か始めたくなる トランプ、宿題、パソコン、お絵かき 何もないと埋めたくなるのか 何かを始めるシンボルになる リセットして また始める 人生とはそのくりかえしなり 以上、今日も「考える葦」に来ていただき、ありがとうございました☺️
私の考え。 もし自分に思いがあり、本当にその気持ちが強いのなら、何をおいても主張するべき。髪振り乱して、泣き叫んで、腹の底から怒って要求する。そうあるべき。 しかし、妻はそうではない。 妻の考え方。 わがままである事は、悪である。自分が相手に何か伝えて、相手が拒否するのであれば、自分が引き受けるしかない。自分がやるしかない。しょうがない。 それは妻が育った環境、父母との関係、兄妹との関係、これまで付き合ってきた男性との関係を反映しているのかもしれない。そこで培った対応
結局自分のやりたいことは、 決まっていて、 20年前から変わらない。 具体的イメージが出来ていないから、 言語化できていないから、 金銭的にクリア出来ていないから、 いろんな理由をつけて、 今はやれていないだけで、 いつかやるだろうな、 いつか言うだろな、 と予感している。 一度の人生だから 自分で起こすこと。 思いつく以上のことは起こらない。 やりたいことしか、やれない。 最後まで、ごまかし続けることもできる。 忘れてしまったように生きることもできる。 しかし、
読了。 【響いたフレーズ】 成功など、人として為すべきことを果たした結果生まれるカスにすぎない。まったく気にする必要はない。 その日、その日を精一杯、こころを込めて生きることこそが尊い。 以上、今日も「考える葦」に来ていただき、ありがとうございました☺️
仕事終わって、夕食買い物に行って、夕食作って、片付けて。 はぁ〜疲れた。少し休もう。 と、そのとき、 「人生ゲームやろう!!」と息子(二年生) 昼間からやろうと言われていたので、疲れをおして、やる。 しんどい。長い。頭が痛くなってくる。 あくび連発 気持ちは、ゆっくりしたい。風呂入りたい。早く終わらないかなあ。楽しんであげたい。悪いなあ。色んな感情が入り乱れ、さらに疲れる。 なんやかやで終わる。はぁ〜疲れた。やっと終わった。じゃあゆっくり風呂入ろう。 と、そのと
5時ごろ起きる。 ①お茶を沸かす ②「今日は素晴らしい日になる」と声に出して言う。 ③妻、子どもに感謝する(思い浮かべて伝える) ④断酒の継続日数をTwitterにあげる ⑤妻と共有しているTimeTreeを確認する ⑥瞑想する(15分ぐらい) ⑦note作成(テーマ無いときは飛ばす) ⑧リビングを片付ける ⑨ゴミを捨てにいく ⑩コンビニまで散歩(往復15分) これを無意識にできるまで繰り返す。 修行に近い^ ^ 自分にはこのスタイルがあっている。 同じことを繰り返す能
引き続きやめている。 こころはおだやか。 かつての親友とは、音信不通である。 ◇ 半年前、自分が酒をやめていることなど1ミリも想像していなかった。 しかし今はやめている。 それは驚きであり、人生をみる目線が変わった。 つまり今また想像していないことでも、やろうと思えばなんでもできるということ。 それは世俗的に評価されたり、分かりやすいことでなくてもよい。 自分の中でパラダイムが変わること。 それは自分でおこすことができる。 断酒が教えてくれたこと 以上
桜をみて思う 誰に言われることもなく そのときが来たら咲き始める 花が散ったら着々と 次の年に向け準備する 暑さ寒さを乗り越えて 淡々と準備する 誰に言わることもなく 以上、今日も「考える葦」に来ていただき、ありがとうございました☺️
35年前のnote。 ふと思い出した。 その日は書くことがなく、 書くことなし と一行書いた。 先生の返事は 返事なし だった^ ^ 以上、今日も「考える葦」に来ていただき、ありがとうございました☺️
今日は苗床づくり。 発芽した種籾をまく。 畑でいうところの畝である、田んぼの苗床に種籾をまく。 パラパラと適当に^ ^ そこに、竹ぐしを逆Uの字にたて、ビニールをかける。いわゆるビニールハウス。 これが育って苗になる。 育った5月に田植えとなる。 以上、今日も「考える葦」に来ていただき、ありがとうございました☺️