『愛してるって言っておくね』を見ての感想・考えたこと

  Netflixで配信されてるアニメーション作「愛してるって言っておくね」を観て考えたことを書いていきます。映像表現に関してのみ触れます。
 
え、これがアカデミー賞??
と思った。米アカデミー賞がそこまで芸術性を重んじない賞であることは知っていたが、ここまで映像の完成度が低い作品が受賞したことはあったのだろうか。

 何より、fps(1秒間の動画中にある静止画の枚数)が低すぎる。おそらく4、6fpsぐらいではなかろうか。どの場面でも動きはカクカクでぎこちない。ビデオコンテを見てるのかと思った。絵を始めて動かした学生作品のようだ。
 
  水彩画のような淡いタッチは本作の繊細なストーリーを語る上で不可欠だったとは思う。しかし、「水彩のタッチで描く」ということは諸刃の剣である。セルルックのアニメーションと比較して柔らかな雰囲気や繊細な感情など絵として表現できるものの幅も拡がるが、その分一枚の画にかける手間も増え、技術も必要になる。だから絵と動きのクオリティの両立は難しく、ライアン・ラーキンの「walking」など一部のアート系アニメーションを除きあまり行われてこなかった手法である。本作では「動き」が「絵」の犠牲になってしまっていると感じた。
 
  アニメーションにおいて、「動き」は静止画の絵にいかに生命を宿らせるか、という点で常に重要視されてきたはずである。初期ディズニーの長編が、徹底的に動きのリアリズムを探究したのは観客に「絵」であるキャラクターに生命と実在感を感じさせ、感情移入させるためだ。そのためにアニメーターは1秒間に24枚もの絵を描いてきたのである。「日本のアニメはコストカットのために海外基準の24fpsに比べて低い8fpsで制作されてきた」という話は有名である。動きの滑らかさを犠牲にしてもデティールを描き込んだり、セリフ、テキストの情報量でキャラクターの存在感を持たせる方向性が日本のアニメの独自性となっていったのだ。
 
 そのため、動きより会話のテキスト、一枚の絵の密度を重視している本作は日本のアニメの影響を強く受けているのでは?と感じた。(同様の傾向はUPA作品などの60~70年代アメリカアートアニメにもみられるのでその影響の可能性もあるが)また、 本作のキャラクターの造形はどことなく日本のアニメっぽい(特に眼の描き方)。アジアの作品ではなくアメリカで制作したものであることには驚きがあった。
 
  アメリカにおいても”アニメ”が広がり当たり前に存在する現在、イラストを実在感をもって認識し、感情移入することはもはや当たり前の約束事となり、「絵を滑らかに動かす」ことがアニメーションの最低限のマナーとされてきた時代は変わったのかと感じた。

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