【短編】七日後の完全犯罪 一話
昭和四十二年八月十四日。
夏真っ盛り、お盆祭りの只中に、ある町で殺人事件が発生した。凶器は出刃包丁、背中を二箇所刺されての犯行だ。二回目の刺し傷で心臓を貫かれて被害者は即死した。
死体発見現場には草履の足跡が二人分あり、捜査の末、容疑者も八名まで絞れた。
すぐに犯人は捕まる事件だと思われたが、八名とも犯行時のアリバイが成立し、他の容疑者も浮上せず未解決事件となった。
◇
コツ、コツ、コツ……。石床の廊下に男の革靴の足音が響く。
天井に設けられた電球は一つ一つの距離があり、薄暗がりと明るさが交互に続く。
廊下の傍らに備えられた灰皿へ終わりかけの煙草を押しつけ、男は歩き続けた。長い長い回廊を。
この廊下は螺旋階段のような造りをしており、突き当たりを右へ曲がってゆけばゆっくり、ゆっくり下っていく。
廊下も外壁も、始めは石膏や白土、床も洒落た石板を敷き詰めたものから大理石といった上品なものへ。それらが下ってゆくにつれてコンクリート、木材へと変わる。
回廊二十三周目にもなれば床も壁も天井も木造となり、光源は壁掛けのランプへ。しかし火ではなく電球である。
目的の部屋へ到着した羽柴憂志郎は、引き戸を開いた。
【奇怪縁害対策課・八係】
奇怪に纏わる事件、縁に危害が及ぶ事件などを解決する部署。合計十三係ある。
「戻りましたぁ」
疲労の具合が窺える声を発して憂志郎は入室した。
部屋にはコの字に合計九席の机と椅子が備えられており、入り口から右の一番奥が憂志郎の席だ。
どっしりと椅子に身体を預けると、色褪せ、くすんだ若草色に廃れた革製の肩掛け鞄を床に落とし、背もたれに上半身を委ねるが如く大いに凭れた。
「疲れたぁ」
声の調子と呆然と天井の電球へ向ける目の様子から疲労感は相当なものだ。
「ははは、お疲れお疲れ」
コの字の中央席に座る係長に声をかけられた。係長の背後の天井付近の壁には、光沢のある茶色い額縁に納められた力強い太字の『縁災阻止』の書画がかけられている。
膨よか体型に温和な顔立ち、白髪が混じる黒髪の係長・安西紀伊助は憂志郎の疲れ具合を理解してる。
「『阿見崎通りの殺人』は面倒だからね。本当にご苦労様」
気遣う紀伊助を余所に、憂志郎の向かい席でそろばんをはじき、経理に励む女性・阿代桃代は一瞥くれるだけで、すぐに作業を続けた。
八係の人員は各々の持ち場に出払っていて、部屋にはこの三人しかいない。
「それだけじゃないですよ。奇怪の『青池の睡蓮』、面倒臭いのなんの。あれ絶対、桜子ちゃん案件ですよ。消耗品の道具全部使い切ったの、道具課に口利きお願いしますよ」
「嘆かないでよ。みんなも別件で忙しいんだからさ」
「係長、なんでこんなに多いんですか? しかも“昭和”ばかり」
奇怪縁害案件は各時代で起きている。担当員はその時代へと赴き解決に励む。
「残念ながら他も同じくらい多いよ。“平成”中期以降は機械文明が進んでるから少なくなってるけど。そっちはそっちで小難しいのが多いから頭痛めてるみたいよぉ。十から十三係の前で今みたいに愚痴らないでよ、本気で睨んでくるから」
経理仕事を一段落終えた桃代は、引き出しから書類が入った茶封筒を手に取り憂志郎の前まで向かった。
「羽柴さん、どうぞ」
表情に変化のない桃代は感情が読めない。本人は普通にしているだけなのだが、次の仕事を与えるこの時ばかりは、疲れ切った憂志郎の目に冷徹な鬼として映る。
「えぇぇ……、しばらくやす」
「現場で休んでください。どうせ煙草ふかしまくってますよね」
“煙草をふかす”が、休んでいると認識する桃代の偏見に、憂志郎は「いやいや」と否定の言葉を挟む。
「煙草は大人の嗜み」
「吸うのは休憩です。何十本も吸ってるなら充分休めてます。あと、吸い殻はちゃんと吸い殻入れか灰皿へお願いします。清掃の石江さんがぼやいてましたよ。廊下に灰落とすなと」
くわえ煙草で出歩いている機会が多い憂志郎は、本社へ戻ってきてもその癖が抜けずについつい廊下で吸ってしまう。
あらゆる階層で指摘されているのでぐうの音も出ない。
「では、よろしくお願いします」告げてから紀伊助の方を向いた。「では係長、行ってきます」
「うん。よろしく頼んだよ」
部屋を出た桃代の行き先を紀伊助は憂志郎へ教えた。
「阿代君、遠征ね」
「遠征?」
「そ、“明治”担当の三係。人手不足なのに奇怪案件の方が多いから、そっちに」
奇怪縁害対策課では各署で人員を要請することがある。この要請を遠征と呼んでいる。
「桃代ちゃん、奇怪は得意だから仕方ないか」
背もたれへ深く背を預けて天井を眺めていると、いつの間にか紀伊助が隣に立ち、笑顔で覗き見た。こういう顔をする紀伊助には嫌な予感だけが働き、本心では今すぐ逃げ出したい憂志郎であった。
「こっちもね」
渡された黒い封筒。奇怪案件だ。
「ちょっと待ってください係長! 縁害と奇怪って、また二件ですか?!」
「だってぇ、同じ時代で同じ町だし」
「なんで知ってるんっすか、こっち」茶封筒を揺すって見せた。口をのり付けされて未開封のものだ。
「それ、前もって連絡受けたやつだから。嘘だと思うんだったら両方開けて見てよ。違ってたら奇怪案件は別の人に任せるから」
一縷の望みを期待し、憂志郎はそれぞれの封筒の中身を見た。結果、二案件を任される羽目となった。
流し見た双方の案件について、大まかに知った憂志郎はあからさまに嫌な表情となる。難しい案件だからだ。
すかさず紀伊助が言葉をかける。
「奇怪案件、一方的に奇怪が仕掛けてるようなもんでしょ? 説得すればどうにかなるだろうし、“トンネル”行かせないようにするだけだし」
「簡単に言わないでくださいよ。説得も結構大変なんですよ。一度はきっかけ作りしないといけないし。それに、この人……」
資料の人物情報を読む。
「絶対人の話とか聞かなそうでしょ。目ぇ、いっちゃってますよ」
「頑張ってよ。あ、この町、お祭りがあるんだって」
気晴らしの話を持ちかけるも憂志郎には無効であった。賑わしい場所は苦手だからだ。
「それより道具の補充許可お願いします。出来れば余分にでも」
「ダメダメ。道具課からきつく言われてんの、もっと節約してって。作るの大変なのに消費が早いからって」
「えぇ?! 八係は結構節約してませんか?」
「一と四と十二係、特に新人さんがバンバン使っちゃうみたいで」
そのしわ寄せとして”貴重な道具の節約”が回ってきてる。それは嘆かわしい事態だがどうしようもない。新人育成時期ではよくあることだ。
「じゃあ煙草は多めに」
「禁煙しなよ。いくら丈夫な身体でも、嫌う人多いから」言いつつ腰に備えているポーチから一箱を手渡した。
「え、これだけ?」
「要らないなら」
引かれる前に憂志郎は素早く抜き取った。
「ツレ周りにあたってきまぁす」
立ち上がり鞄を提げ、憂志郎は部屋を出て行った。
「お疲れ様、頑張ってねぇ」
手を振って見送ると、紀伊助は係長席に着いて作業を続けた。
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