【短編】七日後の完全犯罪 十四話 完
八月十五日午前九時。
光清町の駄菓子屋・かがやは、夏の時期にかき氷を販売している。
殺人事件が起きなかったことを確認し終えた憂志郎は、返る前にかき氷を注文していると、偶然晴子と出会った。
咄嗟に「食う?」と訊くと、即答で「うん」と嬉しそうに返される。
憂志郎はメロンで晴子は宇治金時。一番高いかき氷であった。
二人は近くの木柵に凭れて食べた。
「羽柴さん、全然探すの苦労したんですよ。それに神輿の練り歩きも順路変わって現場に人が寄らない環境できて、気が気でなかったんですから」
「じゃあ、かき氷でチャラね、高いやつだし。それより、怖いのに巻き込まれなかった?」
「うん。沖島様は急遽明日帰るってお父さんが言ってた。火事で予定していた会う人が病院行ったとかで。それより八月十四日過ぎましたけど、無事に解決したんですね。犯人、誰だったんですか?」
「話してもいいけど、一年間ぐらい“怖いの”に憑かれるけどいい?」
表情が険しくなり、必死に頭を左右に振られて返される。
「あの、一つ聞いて良いですか?」
「ん?」
「私、羽柴さんが不思議な人って知ったけど、町の人も羽柴さんのこと知ってるけど、コレって大丈夫なんですか? あとで面倒な事になるんじゃ」
「それは、後でお楽しみ」
残りの氷を口へ流し込むと近くのゴミ箱へと捨てた。
「じゃあ、俺はコレで行くけど、色々ありがとう。楽しかったよ」
「え、もう行っちゃうんですか!? なんか、寂しい」
宇治金時を指差すと、晴子は視線を宇治金時へと落とす。
「それ、晴子ちゃんがお小遣いで買ったってことで」
「え? 羽柴さんが買って」
「口実に丁度いいんだよ。そうだなぁ、お年玉が財布に入っていたのに気づいてついつい欲に負けて買った。にしようか」
だが現実は憂志郎が買ってくれた宇治金時だ。
意味が分からないといった様子に晴子はなる。
「別にいいですけど。なんか試されてます?」
憂志郎は柔和な笑顔で返し、手を振って帰って行く。
後ろ姿を見送る晴子は、憂志郎がゆっくりと消える光景を目の当たりにした。
――ミーン、ミンミンミン……。
八月十五日午前九時十五分。
晴子は衝動でお小遣いを使い宇治金時を食べている。そして祭りの夜店で使う金をここで消費したと後悔した。
「あー、なんで買っちゃったんだろ」
嘆きながら財布を開けて小遣いを確認すると、お金が減っていないことに驚いた。
宇治金時はかがやのかき氷で一番高い商品だ。注文間違いも支払いそびれも考えられない。しかしお金は減っていない。
しばらく宇治金時を食べながら至った結論、お年玉の金をついつい使ったのを夏の暑さで忘れてしまった、である。
結局、夜店で使う金に手を出した後悔に苛まれるのであった。
晴子は憂志郎と過ごした日々の記憶が消えていた。彼女だけではなく、光清町で憂志郎と出会い会話をした者達は全て忘れている。
清太と栄市は、詰まるところ、秋恵についてよく分かっていないのに人を殺そうとした愚かさに気づき犯行を止めた。
無事に沖島郷三郎殺害は起きない未来に至った。光清町で起きた事件は、火事が遭っただけの、例年通りの暑い夏のまま。
◇
奇怪縁害対策課・八係へ憂志郎は戻ってきた。
「ただいま戻りましたぁ~」
遙か上の階で長い報告書を書き終えた後だからかなり疲れきっている。深く椅子に腰かける様子がその度合いを物語っていた。
「おかえり、ご苦労さんだったねぇ」
紀伊助の温和な顔はどこか癒やされる力がある。中にはそれに和まされる者もいるが、なぜか憂志郎には効かない。
「ほんっっとぉぉに、疲れましたぁ。やっぱ夏は扇風機よりクーラーある時代のほうが良いですよ。ただただ暑すぎる」
「昭和四十二年はまだましでしょ。それに“日本の夏らしい”をしっかり味わえたんじゃないの?」
返事は曖昧だが肯定の意見だった。
「報告は上がってるよ。羽柴君、奇怪案件ダメだったの?」
「あれはさすがに無理でした。度を超した歪んだ愛情。どれだけ言っても止められないし、止まっても自殺やら犯罪者になるとか。下手すりゃ新たな縁害が起きますよ」
「道具使わなかったの?」
「今回のは使っても無理と判断しました。相手の思考が著しく身勝手でして。それよりも、あちら側に目ぇつけられそうで大変だったんですから」
「出来るだけ解決はしてよ、奇怪案件。成果は小さくても奇怪課に恩売れるから」
話題は沖島郷三郎殺人事件に移る。
「よく解決出来たねぇ。上も驚いてたよ、難しい事件だったから」
「運でしょうね。松栄屋の娘さんの協力もあったし、容疑者の殆どがそこの関係者。調べるのにまあまあラクさせてもらいましたよ。けどかなり頭使いました。娘さんも奇怪に巻き込まれそうになりましたし」
「気をつけてよ、無関係の人も奇怪の質で縁害になりかねないんだから。それより聞いてもいい、君の推理。”犯人はお前だぁぁ”みたいなことしたの?」
紀伊助は探偵ドラマの定番シーンが好きであった。また、崖の上で犯人を追い詰める展開も。
「そういうのする人います? 結構恥ずいですし。それに、報告書上がってるなら、もうご覧になられてるんじゃ」
「結果だけね。それより、現場情報と容疑者八名でどうやって暴いたの? 動機から読んだ?」
これは話さなければ終わらない。憂志郎は覚悟して前屈みになった。
「初めは動機から探りましたよ。全員は無理でしたけど、殆どが同じような不満を抱いてましたから、あぶり出すのは止めにしました。沖島郷三郎周りに危ない連中が群がってる雰囲気もありましたしね」
「じゃあ、沖島郷三郎については?」
「調べるもなにも、大勢が色んな噂を口にしてましたからねぇ。けど容疑者八名と沖島郷三郎の事情を優先したのが間違いでした。もっとシンプルに考えれば良かったんです。さっき言った通り、気づけたのは運が良かった」
気づいた切っ掛けは寺で見た足跡だった。
「沖島郷三郎の殺害現場写真と情報。警察が容疑者八名とあぶり出したが未解決に至った。そして八名は殺しのプロじゃない。この条件で完全犯罪を成し得たのは、まさしくプロが関わったからなんですよ」
「プロ? 八名とも一般人でしょ。裏社会と関わりあったの?」
「関わったのは沖島郷三郎とその側近です。そもそも松栄屋従業員五名に疑いの眼が向けられたのは、真犯人達がアリバイ工作で利用した草履の跡が原因です。草履についた土と足跡から警察は松栄屋へ目を付け、そして動機があって火事後に犯行可能と判断されたのが五人だった。けど事故後の始末で忙しく、犯行は不可能となった」
「じゃあ、どうして広岡清太に行き着いたの?」
「田中康三は世話になった住職の情報です。お盆の夜は女の所ってね。迷ったのは広岡清太と加山幸でしたが、加山幸と初めて会った時、妙に沖島郷三郎を擁護する言い方をしたのが気になりました。そして広岡清太視点で犯行に及んだ場合、なぜアリバイが成立したかを考えました。ここからは賭けです、身内に口裏を合せてお盆時期に帰省していたとしてね」
「それが見事に正解だったと」
「一人暮らしの友人宅に泊まってたって筋書きです。大金も払ったそうですよ。その友人に頼まれました、広岡清太と共犯者の田宮栄市が仇討ちしようとしてるのを止めてくれって」
「けど、それだとプロの犯行にはならないよね」
「ええ。殺害できる環境は別の連中が拵えたと考えれば全ての辻褄が合います。そして全てを仕切っていた主犯格も。この主犯格をXとします。広岡清太達が入手した写真、アレには世に出てはならない場面が撮られていた。それを知ったXは撮った人物の特定できなかった。しかし撮られた現場が現場なのにニュースにもならなかった。なら、強請があるだろうと考えたのでしょう。沖島郷三郎を強請るなら警備が緩んでいる時。予定のいくつかに目星をつけ、今回の光清町夏祭りもその一つだった」
「じゃあ、Xが広岡清太達と共謀を?」
「いえ、強請が起こるだろう時に殺し屋組織を雇ったのでしょう。写真を撮った者が動けば、便乗して沖島郷三郎を殺害すると」
沖島郷三郎を狙う殺害計画をXも企てていた。
紀伊助は驚きつつも、続きが気になった。
「広岡清太達が手紙を出すまでが勝負だと気づけて良かった。アレは完全に実行犯を動かす引き金でしたから」
「放火事件はどう説明するの? 実行犯達もさすがに突然の火事は」
「彼らが起こしたならどうです?」
どうして? と言わんばかりの顔を紀伊助は向けた。
「放火により神輿が練り歩くルートが変わった。正確には短縮ルートを進むことになりましたが、それが実行犯達の狙いです。人通りが少なくなった犯行現場へ死体を置ける環境がね。ここからは俺の憶測ですが、広岡清太達は強請の手紙を渡してから実行犯達に攫われ殺害に加担させられた。沖島郷三郎もXの誘導により殺害場所へ移動、そして拘束され殺害。刺し傷が二箇所なのは、広岡清太か田宮栄市がやらされたからでしょう。恐れたから一撃で仕留められなかった。けど殺しは成立、実行犯達が死体を置き、広岡清太達は生涯利用できる対象として生かされたか、後日殺された。その辺が妥当でしょう」
「Xの目星もついてるの?」
「ここまで進行できる人物は限られます。確証はありませんが、日々沖島郷三郎の傍にいる人物。秘書でしょうね。蓄積された憎悪なんてのは容疑者八名の比ではありませんから」
感服した紀伊助は拍手して憂志郎を労った。
「お見事! 犯人はお前だぁぁ、って言える時も近いかもしれないね。羨ましい」
「絶対言いませんよ。それに完璧じゃありません。結局加山幸については何も分からないままでしたから」
「ん?」
「奇怪案件やら火事やら、時間も無かったってのもありますけどねぇ」
またも背もたれへ深く凭れた。
「それ、ねぇ」と言って紀伊助から語られた事実には、さすがの憂志郎も目を見開くほどの驚きだった。
加山幸は旅館で働く以前、都会の風俗店で働いていた。そこで沖島郷三郎と男女の仲となり、憂志郎が光清町へ滞在していた頃も沖島郷三郎と密会し、肉体関係に至った。
縁害を阻止した事で加山幸は数ヶ月後に光清町を離れて都会暮らしをするが、二年後、沖島郷三郎に別れを切り出された事で激情するも、口でも暴力でも圧されてしまう。
加山幸同様の被害に遭った女性と結託して沖島郷三郎を殺害した。しかし暴力団に目を付けられ、酷い暴力に遭った後に死亡。埋められて行方不明扱いとなる。
「……壮絶っすねぇ。結局沖島郷三郎は殺されるって」
「相手は選ばないと。愛ってのに執着すると自分がとんでもない沼地へと足を踏み入れてるのに気づかないからねぇ。ある意味では奇怪案件だよ」
「人の世は幻想と奇怪がチラチラ現われるってことですよ。自制を効かせるのは当たり前だけどどれだけ困難か、後悔してようやく分かるんですよねぇ」
紀伊助は次の資料を取り出した。
「ごめんね羽柴君。次は昭和五十四年、よろしくね」
「もう少し休ませてくれませんか。推理話した労いに」
「行った先で休んでよ。それに秋だよ。涼しくて、人恋しい感じのする秋だよ。ゆっくり出来るでしょ」
深い溜息を吐いた憂志郎は、徐ろに立ち上がると、紀伊助のデスクへと向かい資料を手に取り鞄へしまう。
「んじゃ、行ってきまーす」
「はい、いってらっしゃーい」
憂志郎は八係の部屋を静かに退室した。