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【短編】七日後の完全犯罪 十三話

 八月十三日午前六時。
 目覚めた憂志郎は焦った。昨晩の寝る間際まで分からなかった違和感の正体に気づいたからだ。
 あれほど酔っていた住職は朝の勤めを終え朝食を取り始めていた。軽くだが朝食を頂いた憂志郎は支度を調えて外へ行く。
「随分と早いなぁ」
「ええ。今日中に調べないとならないことを思い出して」
 愛想笑いで返し、夜に戻る旨を伝えて寺をあとにした。

 昨晩の話で容疑者は二人に絞られた。どちらかが犯行に及ぶ。
 そもそもこの殺人事件は先入観を優先しすぎて考えていたからここまで悩んでしまった。もっと単純に、容疑者八名に焦点を当て、現場の状況から読み解いていけば良かったのだ。
 憂志郎の足は歩調を速めた。
 犯人と考えられる人物について調べなければならない。悠長に構えていられない。もし強請の手紙を渡すなら今日か明日だから。
 沖島郷三郎に渡されれば終わりだ。その時点で多くの人間が動き、説得の余地も阻止する暇もない。たとえ犯行を未遂としても、回ってはならない歯車が回り出している。それは新たな縁害を起こす流れだ。酷い場合はランクの高い奇怪案件になってしまう。
 複雑な奇怪案件は多くの人々を巻き込む災害・縁災えんさいとなり鎮まるまで時間がかかってしまう。そして新たな縁害が発生する。悪循環に陥れば時間と人員が足りなくなる。
 過去、縁災により多くの人間の人生に支障をきたし、最後には大規模な自然災害が起きての沈静化に至った。
 縁災は遭ってはならない非常事態である。
 この殺人事件が縁災へと至るきっかけかどうかは不明だ。しかし確実に解決しなければならない。
 ジンクスでは、面倒な奇怪案件と対になる縁害案件は、後に大きな縁害へ発展する問題とある。もしそうなら強請の手紙がターニングポイントだ。
 確証のない犯人の目星は付いている。そして違和感の正体も。
 間違えば時間の無駄になるが、憂志郎は高確率でその人物が犯人だと確信している。
 寺を出た足はさらに歩調を速めた。


 八月十三日午前七時。
 晴子はいつもより早く目覚めたが、なかなか布団から起き上がれなかった。色々ありすぎて気分が重いからだ。
 加えて焦りも混ざる。昨晩、友達の提案で晴子が友達宅へ泊まるとなった。つまり源一とヨネのアリバイを証明する娘がいなくなる事態。
 こうしてはいられない。けど何をしてよいか分からずどうする事もできない。
 ゴロゴロと身体を動かして無駄な時間を過ごした。
 既に源一とヨネは部屋にいない。朝早くから松栄屋へ戻り、消防の人や警察と話、予約客への電話対応をしているから。
 晴子はずっと悩みながら寝転がった。

 憂志郎の捜査はどこまで進んでいるのだろうか。
 泊まりの話を報告したほうが良いのか。
 容疑者八名に気を逸らせる行動を取りたい。しかし何かをしようとすれば、またあの“怖いの”が現われるのではないか。
 次に襲われたら憂志郎が助けにくる保証は無い。

 怪文書作戦と似た作戦は既に思いついている。ターゲットは容疑者八名にだ。しかし沖島郷三郎への怪文書未遂後、子供だましだと憂志郎に指摘されてから今回の作戦も稚拙だと思えてしまう。なにより、“怖いの”が恐ろしすぎて作戦を実行に移せない。
『調べるくらいはいい。ただ、行動を起こすなら出るから。それでも不安なら、“ただ調べてるだけ”と念じて観察するぐらいで大丈夫』
 憂志郎の助言を思い出す。
 こうしちゃいられない。
 頭で思うも身体は重く感じる。それでもゆっくりと立ち上がると、ようやく身支度を整えに部屋を出た。
 朝食は女将が前もって握ってくれたおにぎりで済ませた。
 女将に外出すると報告して旅館を出ると、遠くの角を曲がる女性を目にした。気のせいかもしれないが、在る人物だと思い気になって確認しに向かった。
(ただ調べるだけ、ただ調べるだけ)
 強く念じて曲がり角へ到着すると、こっそり覗き見る。すると、人目に付かない路地裏で、加山幸は沖島郷三郎に寄り添って民家へと入っていった。
(ええっ!? どういう……)
 度肝を抜かれた晴子は思考が定まらない。戸惑いと混乱の中、すぐさま寺へと向かった。憂志郎へ伝えようと思い立つが、どう言葉にしていいか分からない。
 沖島郷三郎は横柄な態度を取る嫌な客。言葉も汚く、晴子は凄く嫌いな大人として見ている。知り合いからも良い噂は聞かない。
 だが今の加山幸は寄り添われて嫌がっているのではなく、自分から寄り添って民家へ入っていったように映った。
 見間違い? いや、見間違いではない。
 自分の見た光景を否定せず、しっかりと脳裏に焼き付けた。
 誰かに言う話ではない。個人の秘密だから口外してはいけない。絶対公にされたら嫌だろう。
 内心では“怖いの”を警戒して秘密にするべきとの意思はあるが、中学生なりにも働く女の勘が際立って力を強め、加山幸と沖島郷三郎の関係を重視して思考してしまう。
 二人は付き合っている。
 早く、一刻も早く憂志郎に伝えなければならない。気は逸るが、妙な緊張も同時に強まった。
 晴子が寺へ到着するも既に憂志郎は出た後だと知らされ、まだこの秘密を抱えなければならない苦悩に陥った。


 八月十三日午後四時二十分。
 ようやく犯人を断定する証言を得た憂志郎は、その人物がいる所へ向かう。
 強請の手紙をまだ出してはいないだろうが、それは可能性でしかない。
 対して思考が推論を立てる。もし渡すなら今夜から明日にかけてだ。なぜならまだ沖島郷三郎が旅館へ戻っていないからと。
 そうあってくれと強く願う。

 光清町の外れ、森が近くにある人通りのない所に一軒の平屋がある。古めかしく見えるだけで、痛んでいる様子も隙間が空き、木板が破損したりしている所も無い。
 ドンドンドン。
 憂志郎は引き戸を叩いてノックした。玄関チャイムは修理中か壊れたのか、外した跡だけがある。
 引き戸を開けた広岡清太は、なぜ羽柴憂志郎がいるのか分からず、驚く様子が顔に表われてしまった。
「あ、えーっと。まだ何か?」
 また取材だと清太は思った。今の心情は早く帰ってほしいと願う。
 憂志郎は相変わらずの穏やかな微笑みで対応した。
「突然失礼します。あれ、もう渡されました?」
「何のことで?」
 これから行おうとしている事が読まれている。清太は直感した。
「沖島さんへ」
 憂志郎の一言で身体を突き放して引き戸を閉めようとするも、強引に引き戸を押さえつけられ、ぐいぐい中へ入られた。
「ちょっと! 何なんですか!」
 清太の呼び止めにも動じず、慌てず、躊躇いもなく部屋へと入った。
 台所へ足を踏み入れると、別の男性・田宮たみや栄市えいいちが座っており、今にも突っかかってきそうな眼差しで憂志郎を睨んだ。
「んだてめぇ」
 栄市に構わず、憂志郎は部屋を見回してから手元の封筒に目を落とす。
「あぁ、良かったぁ。まだ渡してないな、写真と手紙」
 封筒の中身を見抜かれて焦る清太は怒鳴った。
「おいあんた! 警察呼ぶぞ!」
「そうすると困るのはそちらでしょ」
 栄市は目配せで清太に包丁を握らせるように支持するも、ソレを憂志郎は止めた。
「俺に危害は無意味だ。あと、ただ話をしに来ただけだ。あんたらを強引に止めようとも警察にチクる気もないよ」
 言うも、既に清太は出刃包丁を両手で握って憂志郎へ向けている。初めてこんな事をするのだろう、手は震えていた。
(これで本番に殺しは無理だ。かといって、田宮こいつに任せるのも違うな)
 二人の一挙一動、心情の不安定さが、最悪の結末を証明させて見える。
「う、動くな!」
 推測通り、犯行はこの二人には無理。環境が完全犯罪に最適であってもだ。
「証拠でも見せようか」
 そう言って憂志郎が清太へ近づくと、出刃包丁の切っ先に掌を押し当てて貫いた。
「ひぃっ!?」
 離すと手に傷は無い。
「なんなんだよこいつ!」
 警戒して距離を置こうとする栄市へ、憂志郎は「落ち着けよ」と柔らかい口調で告げた。
「つまりは、だ。俺はちょいと訳ありであんたらが起こそうとしてる殺人事件を調べてるんだ」

 不気味な存在を前に二人は震えて警戒する
「そのままで良いから聞けよ」言って椅子に腰かけた。
「さ、殺人って……、何の話だ」
「沖島郷三郎を狙ってるんだろ?」
 封筒を指差すと栄市はサッと後ろに隠した。
「沖島郷三郎は二十日の朝に町を発つ。十九日ぐらいを犯行予定日だったんだろ。もしくはお盆明けから帰省までの間か。けど火事があったから犯行日変更を余儀なくされた。沖島郷三郎の帰省が早まった情報でも清太君が耳にしたからだろ」
 清太の見抜かれた焦りが表われる挙動が正解を証明した。
「今晩か明日に手紙を渡して十四日深夜にブスリか」
 二人の様子が正解だと自白している。
「そもそも、お前なんなんだよ」
「俺はこの殺人を止めに来ただけだ。だが説得しか出来ない、そういう立場だからな。決行当日にダラダラ話し込んで止めることも出来るがそれじゃ遅すぎるんだ」
「俺等を警察に突き出すか」
「事件が起きてないのにやっても意味ないだろ。言ったろ、俺は説得のみ、後はお前達次第だ。良かったら話してくれるか、沖島郷三郎を殺そうとする動機を」

 二人は顔を見合わせて警戒を解き、清太が話した。
「俺等、中学の時から仲良かった奴がいたんだ。秋恵あきえって子が。高校に上がってからもしょっちゅう遊んで、三人でいるのが当たり前のようだったんだ」
 続きを栄市が話した。
「大学に秋恵は行って、けど中退してずっとアルバイトしてたんだ。田舎が嫌だったから都会にずっと住むってな。それで苦労して頑張って生活してた秋恵に声をかけたのが沖島郷三郎だ。あいつは秋恵を」
 憎しみの籠る栄市は、封筒を握り潰すほどだ。
 沖島郷三郎が秋恵に何をしたかを清太が語る。
「沖島はこの町でも有名な女好きで、秋恵も奴に目を付けられ手にかかって自殺した。”散々尽くしたのに捨てられたから”ってんで、心がやられて」
「あの野郎は秋恵を使い捨ての性のはけ口にして捨てやがった! あいつは必死に働いて、金貯めて、幸せな家庭を築くって……」
 悔しがる二人を尻目に、憂志郎は深く息を吐いた。
「その、秋恵って女の情報は何処で?」
 返答は清太がした。
「知り合いの情報だ」
「じゃあ、秋恵の確かな心情は?」
「んなもん、辛かったに決まってんだろ!」栄市は怒鳴るも、憂志郎は表情を変えない。
「それはお前の決めつけだ。お前から聞いた話しだと、秋恵の心情が分からん。沖島郷三郎に捨てられた経緯がな。確かに沖島郷三郎は女好きで有名とはあるな。しかし豪遊に感け、風俗店へ入り浸っているなんて情報は聞かない、社長としての立場もあり忙しいからな。ある情報は、伝手で女を紹介されるぐらいだ。それも邪な繋がりでな」
「だったらなんだよ」
「もし秋恵が紹介された側なら、どういう生き方してそんな連中と繋がりを得たんだろうな」
「お前、秋恵がそういった連中に付いていくとでも思ってんのか!」
「可能性だ。借金の糧に、興味本位で、声をかけられ気まぐれで付いていき戻れなくなった、純粋にそういった連中が好きだった。色々考えられる。それに沖島郷三郎と、たった一回肉体関係を強引に結ばれ、それを苦に自殺したなら一方的に沖島郷三郎の犯罪だろ。だが、散々尽くしたとあるんだろ? それは好意を抱いていたんじゃないのか」
 二人から反論はなかった。
「だとしたら秋恵の尽くすほどの好意を沖島郷三郎が捨てた。どこの男女関係にでもある好いたフラれたの話であって部外者がとやかく言うのは筋違いだ。たとえそれを苦に自殺したとはいえ、それは死んだ奴の心の問題であって相手を恨むのは筋が違う」
「……けど、やるせねぇだろ」
 これ以上、死者の愛情を論議するのは無駄であった。

「じゃあ現在の話をしよう。お前等が強請のネタを手に入れ、沖島郷三郎を連れだそうとしてる。それは成功し、殺人も達成する」
「本当か?」栄市の眼に微かな喜びがとれる。
「俺はその情報があって調べてるからな。完全犯罪の案件だ。しかしその後が分からない」
「その後?」
「犯人のその後だ。ずぶの素人が予定にない日にち変更後に完全犯罪なんてのは無理だ。俺に包丁向けた時も震えてたしな」
 目を向けられた清太は視線を逸らす。
「それが成し得たのはプロの犯行だ。お前等の計画にそんな連中はいないだろ。ならどこから沸いた連中だ?」
 二人は緊張した。
「沖島郷三郎には裏のつながりがあるだろ。連中の報復、お前等が利用され殺される。拷問や嬲り殺しとか、その写真が原因で色々考えられるぞ。お前達は拙い情報の仇討ちでたった一人を殺しただろうが、その一人の裏事情をあまりに知らなさすぎる」
 血の気が引き、脱力した二人を見て憂志郎は立ち上がった。
「もっと恐れ、憶測だけで恨みを抱くな。人を殺した後は地獄だということを、しっかり頭に刻みつけてこれからどうするかを考えるんだな」
 告げると颯爽と帰って行った。


 残された清太と栄市は、脱力したまま秋恵との昔を思い出した。
 懐かしい、楽しかった三人での学生生活。いつまでも一緒に、大人になってそれぞれに家族が出来ても、ずっと会えると思ってた温かい記憶。
「……巻き込んですまねぇな」
 栄市は強請の手紙を破いた。
「え?」
「やめるわ。あいつの言った通りだ、俺、なーんも知らねぇ。なーんにも、秋恵のことも、沖島のことも。なーんにも」
 悔しかがる栄市はすすり泣いた。本当に、衝動で恐ろしい事をしようとした自らの無知を嘆き。

十四話


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