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【短編】七日後の完全犯罪 九話

 八月十一日午前九時、『田中酒造』へと訪れた憂志郎は店員の女性と世間話をした。女性は田中康三の母親である。現在、田中酒造の店主と康三は配達に出ていて不在だ。
「これも祭りが近いからですか? 人が多いのって」
 お盆時期の帰省は予想していたが、賑わう都会の下町ほどの多さは正直に驚いた。今日は午前九時でもとりわけ多く見られる。
「この時期はみんな帰ってきてるからねぇ。挨拶回りや友達と会いに行ったりしてるのかも」
 沖島郷三郎が町へ訪れてから強面の連中をよく見かける。すでに三名は顔を覚えるほどに。
「やっぱりこの時期ぐらいからずっと忙しいですよね」
「そりゃあね、この辺だと観光地の神社や小さい滝とか。祭りもあるから、それで来るお客様とか。ウチもおかげさまでお酒を買ってくださる方が多いんですよ。あと、祭り行事で青年団とかお酒を買ってくださるから」
 宴会や行事での酒購入。田中酒造が忙しいのは見て取れる。
 沖島郷三郎について集めた情報では、無類の酒好きで酔うと素面しらふの時よりも多く失言や暴言を吐く性格とある。
 もし康三が沖島郷三郎を殺害するなら動機はいくつか推測できる。
 酒の知識をひけらかされ、康三が知らない点を指摘し、見下した物言いで馬鹿にする。さらには、立場上、康三が反論しないのを良いことに、調子付いた沖島郷三郎の傘下に入ったとの噂が周囲に広まる。などとも考えられる。

「この辺って、この時期、有名人とか来るんですか?」
 それとなく質問し、話題を沖島郷三郎へ移そうと試みる。
「えーっと、どうだろ。私は過去に一回だけ演歌歌手の人と会って握手したかなぁ。配達の途中だったから、挨拶済ませて握手してもらって」
 すぐに帰ったのが悔しい気持ちは、僅かに表われる顔から読み取れた。
「へぇ、やっぱりそういうのってあるんですねぇ。俺、沖島郷三郎って人見ましたよ。沖島ぁ何とかって会社の社長さんの」
 女性の笑顔が少し曇った。
「沖島様。今年も来てるって噂を耳にしてましたので。あ、いつもこの時期にお酒を買ってくださって」
 視線が逸らされる。不自然に酒の並びを直しだした。
「じゃあ奥さん、有名人に会ってるじゃないですか」
「なんか、お馴染みってなるとついつい忘れちゃいますね。有名人って言うと俳優さんとかテレビに出てる人とかって感じだからねぇ」
 印象から、名前を出すだけで気を張る対象、言葉に気をつけなければならない存在、と感じ取れた。
 初対面の憂志郎に対して全てを話さない構えを貫いているのか、本心はひた隠しにしている様子だ。
「けど、光清町って都会から離れてますよね。ああいう人って、もっと都会でお盆を過ごす印象だったからびっくりですよ」
「ああ、沖島様の知り合いか友人か、詳しくは知らないんだけどこの町出身でね。祭りが気に入られたみたいでね、毎年来てくださるんですよ」
 光清町の祭りは神輿を各地区で出して練り歩き、神社で太鼓の音に合わせて担いだ神輿を盛大に揺らす。最後は演歌と盆踊りで締めくくりとなる。

 これ以上の情報は得られないと踏んだ憂志郎は小さな酒を選び、会計を済ませて店を出た。
 時々チラチラと見てくる者達を警戒した。今日まで何度か声をかけられ、町に生息する昆虫や建物や神社などの情報を記したメモを見せて誤魔化してきたが、そろそろ雲行きは怪しい雰囲気だ。
 記者見習として深く沖島郷三郎を探れば、終いには沖島郷三郎側の人間に目を付けられ、もめ事に巻き込まれる。このような重大人物が関わる案件は、慎重に探っていかなければならない。
 いよいよ誤魔化しも苦しくなりだしている。これからは世間話も慎重に、言葉と状況を考えなければならない局面となりだした。
 酒屋の女性の様子では酷く嫌悪している印象は受けなかった。多少なりとも不平不満はあるだろうが、憎悪に至るなら会話の節々で変化が見られるだろう。口調、声色、態度、視線など。
 憂志郎の人を見てきた経験なら、ある程度は見抜けるまでに達している。その感覚を用いても沖島郷三郎への恨みは弱いと感じられた。

 次に広岡清太の元へと向かった。
 清掃屋と晴子から聞いているが、その実、清掃を生業として現場を点々としている。将来何かを目指して勉強に励みつつ、アルバイトのように清掃活動で賃金を貯めていると。
 今日は風呂屋を重点的に行っているとあった。
 浴室は毎日朝に行っているが、脱衣所などは定期的に清掃しているとある。時間を決めて行っているので、動きも素早く、根が真面目だから丁寧だともっぱら評判が良い。
 松栄屋では業者に頼んでいる敷物のはり替えに携わっているが、やはり丁寧で素早い仕事が好印象を持たれている。
“でも清太兄ちゃん、博打好きだからすぐにお金使っちゃうって。何度も注意してるんだけど、ちょっと治ったぐらいかな”
 晴子からの情報は松栄屋の全員が知っているものだ。尚、晴子は小学生になりたての頃から知っているので親しんだ呼び名をしてる。
 時間を見て、風呂屋から出てきた清太の元へと憂志郎は近づいた。
「あ、どうもぉ」
 挨拶をすると、険しい目つきで見られた。照りつける陽光が眩しいのと、ひと仕事終えた疲れもあり、当然の表情であった。
「どちらさん?」
「俺、記者見習の羽柴と言う者です」名刺を渡した。「盆過ぎまで松栄屋にお世話になってて、晴子ちゃんから広岡さんの話を伺いまして」
「……は、あぁ」
 不審者を見る目で怪しまれる。
「俺、光清町の事を調べてまして。広岡さん、あちこちで清掃活動をなさってるとお聞きし、色々伺おうと思いまして。もし宜しければいつでも良いのでお時間頂けませんか?」
 清太は昼飯時の三十分間を条件にした。勿論憂志郎は二つ返事で了承した。

 午後十二時十分。
 定食屋の二人がけテーブル席で話合いがなされた。
「なんかすんません。奢って貰って」
 二人は日替わり定食を注文した。本日はざるうどんにいなり寿司と鶏となすびの揚げ浸しであった。
「お気になさらず、俺が勝手言って誘ったので」
 内心では経理担当が小言をぼやいてくるのだと思う。『必要経費』の言葉で上手く言いくるめるしかない。
「さっきも言いましたけど、俺、そんな詳しくないですよ。この辺の人が知るぐらいの大まかなことぐらいしか。歴史とか、まったく」
「大丈夫です。清掃員として活動なさってる人の視点とか、町や季節の感じ方とか、そういったところも重要ですから。世間話みたいなもんだと考えてください」
 そうこうしていると二人前のざるうどん定食がテーブルに並べられた。
「じゃあまず、清掃員として仕事をされてる現場や、この時期独特の雰囲気や匂いなんかもありましたら」
「取引先の情報は伏せますよ」
「構いません」

 清太は風呂屋の清掃、定期的に脱衣場やホールの清掃から感じる客層の雰囲気を語った。
 次に子供の行動。何処を触るか、大人なら動かさないであろう置物などをかくれんぼでもして動かしている様子などを話した。
 話は敷物交換へと変わる。雨期はやはり泥汚れが多く、人によっては入り口の足拭きマットで泥を落とす人もいれば、そうしない人もいる。ハイヒールを履く女性が増える時なども語った。それは統一性がなく、なぜその時期に増えたのか謎であるところまで。
 清掃活動の昼食は食堂で済ませる時もあるが、握り飯を買って神社や休憩できるところで食べるなどもあるらしい。その時に季節の雰囲気を感じるが、この時期は暑いのでどうしても日陰の場所を捜し、冬は寒いから日が差すところを捜すと。
 その他、本当にどうでもいいと感じることまで話した。

「と、こんなもんですよ」
「ありがとうございます」
 言いつつ憂志郎は、情報をメモ帳に短文と単語にして記した。
「まだちょっと時間があるので雑談でも宜しいです?」
 言ってメモ帳を鞄へしまい、記者見習の質問ではない様子を示した。
 定食屋の客は憂志郎と清太だけだから、沖島郷三郎の話をチラつかせても問題はなかった。
「光清町の夏祭りって、有名人の方とか来ます?」
「まあまあ賑わしい祭りですけど、そんなことないですよ。俺も、小さい時に当時は下積み中の、今じゃよく見る大御所俳優が来たとかってあるけど覚えてないし。何かで噂でもあったんですか? 女優に会える、とか」
「こういった祭りの現場ではちょくちょく会えるって先輩がね」
 憂志郎の卑しさが垣間見える笑顔から、女優とのお近づきを狙っているか、記者見習として芸能スキャンダルを狙ってるのかと清太は読んだ。
「俺が見たって言えば、沖島郷三郎って人ぐらい。知ってますか? なんとかって会社の社長さん」
 清太の視線は憂志郎から逸れつつも、食事の動作に変化はない。
「一応ね。……前に難癖は付けられたかな。その歳でそんな仕事しか出来んのか、みたいな」
 淡々と食事を進め、先ほどと様子が一変しているのは容易に分かる。なにより、平静を装っているが表情から和やかさが消えた。
「ここらじゃ多いんじゃないですか? あいつを嫌いって人。俺は嫌いですけどね」
 視線を憂志郎へ向けると、まるで探られているように見えたのか、清太は話を切り上げるとばかりに手を合せ、「ごちそうさま」と告げて立ち上がった。
「すんません。仕事行ってきます」
「今日はお忙しい中、どうもありがとうございました」
 立ち上がって笑顔で挨拶を済ませると、清太も無理やり笑って頭を下げて店を出た。

十話


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