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仙臺古談


其の四繪 : 『 長町橋に出ずる橋姫霊伝承 』の事。

廣瀬川には藩政期から美しい姿を残した伝承が今だに幾つかの形として語り継がれています。

前にも記した『 大橋 • 七夕渕 』もその中のひとつでありますが、今回の『 長町橋 • 橋姫伝承 』も同じく幻想的なものとなっています。

しかし、伝承されるこれらの話にはある点で何れも共通する展開を持つ事に注意して今後、もっとよく調べられて事を期待します。

それらを踏まえて今回の話も記憶して頂ければ幸いであります。


その口碑に曰く、

昭和二十年七月の仙台空襲来、それまで衰退にあった『 桃源院施餓鬼流灯會 』が本来の寺院支配を離れて河原町界隈の一般市民の手で行われる時期がありました。

それはまた今回の戦争と空襲で亡くなった人々の霊魂を供養するためのものだとされています。

一般市民の手になって間もなく、不思議な現象が起きたと云われ、それは流した灯籠が長町橋より下流には流れて行かない事が言われ始めました。

流した灯籠が長町橋より下流に流れたとしても、灯籠に灯した明かりが消えてしまうか、また岸へと流れ着いてしまうというものだったと言われています。

またこれも今回の戦争で亡くなった人々の霊魂がこの地に留まろうとする様だとまことしやかに噂されました。

しかし廣瀬川に接していた各町内で行われていたこれらの燈籠会も今は見られなくなってしまい、この伝承も知る人が少なくなってしまったのは残念な事ではないでしょうか… 


                                                                        ー 続く。




其の四繪 之弐景。

またこの長町橋架橋の創建時にあった『 遍路女人柱伝説 』は有名で、現在でもその河畔には橋姫供養碑が存在します。

昭和までのある時期、その橋姫の霊と思しき姿に出会った人たちがこの界隈に幾人かいたらしいのです。


口伝はこう伝えます。

季節は不明だが、ホタルが話の中に登場するので夏頃の話だと言われます。

夜半も明け方に向かって明るくなる頃、供養碑に近い河岸にホタルが集まる様に、一点が明るく光り輝き、何時しか人の姿に光が包まれる様になると言われています。

それを期に上流からおびただしい光に包まれた人の形をした灯籠が流れて来て、河岸に立つその光り輝く人影はそれら灯籠に導かれる様に天に昇って消えていくと言うのです。

それらを目撃した人たちは一応に、その奏でられる音楽は聴いた事のある様でもあり、初めて聴いた音楽でもある様な不思議なものであり、ただ音楽が聴こえているうちは耳の奥が熱くなる様な変な感覚になるのだそうです。

とその現象が起こって、ふと我に返って気が付くと、もはや東の空が明るくなる時刻なのです。

この話の発端である初めに現れる人の姿に光が包まれる場所は旧 • 長町橋の第一橋脚の跡であったとも伝えられています。

しかしこれらの話も昭和二十六年の第一回の仙台七夕前夜祭の花火大会前後に衰退していきます。

この話をしてくれた翁によれば、戦後復興に伴い整備されて変わっていった街の中の風景に留まっていた藩政期からの神仏または霊魂が起こす霊的現象が何れかの理由でこの地から離脱していった時期の現象に過ぎないのではないかという事でありました。
 

そんな翁の言葉に『 … 飛躍した考えかもしれないが、今では神社 • 仏閣に願いをかけても神にも仏にもその想いは届かないのか?』と質問してみたが、翁は私の質問にただ微笑むだけでした …


                                                                        ー 続く。


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