学歴とは、いつ必要になるものなのか?

現在大企業と言われている企業の生い立ちを皆さんご存知でしょうか?起業するのに学歴は関係ないのです。起業して、人を雇うときに始めて、雇う基準が決まるのです。この時の基準に学歴が組み込まれれば、学歴が重視されることになりますし、学歴は問わないとすれば学歴は不問となります。これはどんな企業にも当てはまります。だから学歴が重視されるのは、学歴を重視する企業へ就職活動する時という話です。自分の就職したい会社が学歴重視だと、その希望される学歴を持っていないときには就職できません。だからと言って、その企業がけしからんと言って断じてもその企業のポリシーなのだから意味がありません。仮に世の中が、学歴では採用しませんになって、採用に問題が起きるようになれば、自動的に企業は採用基準を見直します。企業とはそういうものなのです。

そうはいっても、最近のIT企業の起業者はみんなランキングの高い大学を卒業してるじゃないかと言われれば、確かにマークザッカーバーグは、ハーバード卒です。ビルゲイツもハーバード卒です。ジェフベゾスは、ブリンストン大学で、イーロン・マスクはペンシルベニア大学です。とか、有名な大学を卒業してはいますが、ハーバードで、Facebook の始め方や、広め方を学んだわけでも、windowsの仕組みを学んだわけでも、何でもないのです。そういう意味では、企業に学歴は関係なくて、アイディアとそれを支える技術力があれば実現できます。それが成功するかどうかは、また別の話ですが。さらにアメリカ人は、自分で起業した会社に思い入れはあるでしょうが、いつまでもそこにしがみつきません。大体、起業して、大きくして、高く売る。で、また新しく起業して、あとは経営が得意な分野の人間に任せてしまう。なので、起業家というのはどこまで行っても起業家なのでしょう。

筆者は、起業家ほど、学歴は気にしていないと思います。学歴によるふるい分けを作るのは、それを任せられた人事担当者に能力がないからですが、学歴以外に人を正しく判断できる能力をもつのはそれこそ起業して成功する人と肩を並べるくらい非凡な才能なので、能力がないこと自体を断じているわけではありません。普通はないと思います。

たとえば身近な友達を見た時に、こいつ仕事できるのか?と思った時に何で判断しますか?「いいやつだから」、そんなことは思いませんよね。「物知りだから」そうも思いにくいですよね?「要領よくレポート書いて提出しているよな」これはヒットしそうですね。「約束したら必ずその日までに返事があるな」これもヒットしそうですね。友達だとその人を深く知っていたりしますが、人事担当者なんて、その場の数分でこれを見極めるしかありません。だから、企業にとって、新卒採用は、ギャンブルでしかありません。人事担当者が何を言おうが、結局は当たりはずれはその採用された人の能力なのです。採用基準や手法を多少いじったところで、これだといった明確な答えはないと思います。さらには(筆者は人事担当ではないのでわかりませんが)その採用した時の基準とその後の能力発揮の関連性をデータ化して持っている企業はほぼないのではないかと思います。期待値と結果ですね。デジタルで測れない要素は、判定が難しいのです。また、20代ではぱっとしないが、30過ぎた途端開花する人もいます。おそらくその期間に、コミュニケーション能力が伸びて、結果につながってきているのだと思います。そいう意味で、経験がものを言ったりはもちろんします。

早い時点で自分のやりたいことを見つけて、雇用主になれれば、学歴なんか何も関係ありません。その代表者の学歴を見て、あなたのところとは取引しません、なぞという企業があれば、見てみたいものです。企業は企業と取引をする場合、自企業にメリットがあるかどうかでしか判断していません。そのメリットにはもちろん業績や、取引先、取引銀行、将来性などが含まれますが、ここに学歴はありません。

就職活動の時に、学歴を重視する会社を訪問すれば、学歴が重視されますし、重視しない会社であれば、経験と為人(ひととなり)を見られることになります。

最近トヨタが理系の学生の採用から推薦枠を撤廃するというニュースがありました。自律性を重視とかまことしやかに言われていますが、筆者は、自動車業界が置かれている状況を考えると従来の研究からでは取り入れられるものがないと判断した結果なのだと思います。研究所が推薦する人材が問題なのではなく、今推薦される研究分野が問題になっただけだと思います。自律性なんて言うものは後付けです。これはトヨタが、ガソリンエンジンと自分で運転することからの大きな方向転換を決断したということの証だと思います。でも、これは決して学歴を無視するということではないのです。

高学歴と低学歴は線引きが難しい(個々によって違う)ので議論をするつもりはありませんが、大学入試のために受験勉強をすることを否定する意見が見られるのが残念です。大学入試改革と称して、考える力を身につけさそうとする意見(団体?)が存在していますが、例えば面接と小論文だけで、それ以前の学歴や学校の成績をいっさい無視して入試を行ったとしたら、それはギャンブル以外の何物でもありません。実力以上の学校で落ちこぼれ、学校のせいだと苦言を呈しても、大学は勉強を教えてくれるところではありません。入ってしまうと学歴は関係ありません。

学歴がいつ必要かと言うと、学歴を重視して新卒採用を行っている、企業に就職活動する時、と言うことになります。だから学歴が不要な社会を実現しようと考える場合は、そう考える企業をなくすしかないのです。東大クイズ王などという番組を提供するマスコミはその裏で、学歴偏重を問題視したような番組作りをします。

企業がその考えを捨てるには、世の中がそうならざるを得ないですが、結局、人は自分の持たないものに羨望し、「せめて他人と同じ程度」をめざす生き物ですから、それは変わらないだろうというのが筆者の意見です。

学歴偏重に苦言を呈するくらいなら、自分で実力をつけて、キャリア採用を目指すか(キャリア採用は概ね学歴は関係なく、職歴と面接で決まります)、起業することかなと、考えます。

でも、筆者は「学歴で人を見下すような人間」、そんな人間には全く価値はないと考えていることも最後に付け加えさせていただきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?