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この道を選んだということ

高卒で入社して以来、定年まで勤めようと思っていた会社を辞め、1ヶ月ちょいの休暇を取得して転職したのが2ヶ月前。あっという間だったなあ。
気がついたらもっと前のことに思えてきます。

何故転職を選んだか。
・このままいても自分の居場所はない気がした
・よっぽど努力して評価をあげなければ給料も上がらない。そんなモチベーションはなくなった
・管理職は自分には無理(事情があり主治医からストップかかってる)

ここ数年、上司からの言動に悩まされて咳喘息になったり、嫌がらせともとれるような人事異動など理不尽なことが続いていました。
頑張らなければと思う反面、このままでは自分はもっと病んでしまう危機感がありました。

転職活動は去年の秋から密かにやっていました。
転職サイトを利用して探したものの、書類選考すら通らず。
面接を受けたものの『辞めるのはもったいないよ』と言われたこともありました。
主に同業他社を中心に受けていましたが、いま考えると職務経歴書の書き方もよくなかったし、志望動機もしっかりできてなかったし、この数十年なにやってたんですかって思われたんだろうな。
年齢的に管理職をやってもおかしくないのに平社員。過去にやったことはありますが、人を頼ることができず自分で抱えてしまって潰れました。
前職では色々部署異動もしてきました。最後は寿司作り。
朝7時から16時まででしたが、ある程度の量を作らないとお昼休憩にもいけなかったです。
何をどう詰めるか覚えられなくて、寝坊して遅刻も多かった。いま思えば逃げたかったんだと思います。
そんな矢先、4月ごろかな?最後の最後に面接を受けて決まったのが転職先の会社です。

はっきり覚えてるのは現在の上司にあたる販売責任者さんが職務経歴書を見てやたら食いついてくれたこと。そして自分のことを役職で呼ばないでと言っていると。
接客販売だけど今度は専門性が求められる。
老舗なので企業イメージを損なわないようにすることも必要だけど

『ここでやってみたい』

帰るときにそう思えました。
この時自分の腹は決まりました。
数日後提示された条件も申し分ない。
内定承諾し、前職の会社に『やりたいことができたから』と退職の申し入れをしました。
そこで言われたのが『何をやりたいのか知らないし聞かないけど、お前の考えは甘すぎる』
異動して間もないのに退職の申し入れはそりゃよく思われないのは承知の上で、わたしはとにかくここから脱出したかった。
退職手続きもあまりスムーズにとは言えず、有給消化するのに上司が『シフト入れてないから課長に聞いて』と自分の勤務シフトが空白。
痺れを切らして別件で人事に電話した際、そのことを話しました。
そうしたらあっという間にトントンと手続きが進みました。
最終出勤日は普通通りに仕事して挨拶だけして終わりました。
その後わたしの退職が以前勤務していた職場内に広まっていることを聞かされました。
しかも一部ではすでに退職したことになってると過去形に。
ありえんわ…

まあ、辞めるってこういうことだよな。
といま振り返って思います。
休暇中は24Diaryの『ぞっこんプロジェクト』に参加しました。
基本はzoomですが顔出ししなくてもオッケー。
専用のFacebookに一定期間アーカイブが残る。
腰を据えてじっくり取り組めるいまならできそうだと思いました。
24Diaryについての話はここで記事にする予定です。

字の汚さを指摘されて一念発起してユーキャンの実用ボールペン字講座も始めました。
期間は4ヶ月のところ、現在テキストの勉強がストップ。
最長4ヶ月延ばせるのでなんとか修了したいです。
途中で体調を崩してしまい、秦基博さんのNHKホール追加公演に行けなくなったのは痛かったです。あっという間に有給消化して翌日入社しました。

8月に初めて現職での給料をいただいた時、転職した実感がわきました。
その後住民税の納税通知にビビり、自分の無知さ加減を思い知らされます。
やっぱり考えは甘いのか?
仕事においては覚えないといけないことがまだまだたくさんあります。

でもこれだけは言いたい。
いくらライスワークだとしても嫌々仕事をやってきて、ただ時間だけが過ぎていって、人事異動は見えない力が働いてるのではと疑念を抱いたままでいるのは嫌でした。
どうせやるならやり甲斐をもって仕事がしたい。
年齢も年齢だけど、何かを始めるのに遅すぎるなんてないからという、秦基博さんの曲を思い出してここまできました。
定年までいるつもりだったけど限界でした。

『辞めるベき人はあなたではない』

そう思ってくれる人が1人でもいたことを忘れないで生きていきます。

ふと思い立ったので書いてみました。
お読みいただきありがとうございました。




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