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「敵のエースを見に球場に行く」の巻

 MLBファンならご存知、ロジャー・クレメンスである(2005年8月30日撮影)。1962年生まれにして、2005年度は、投球回数限定とはいえ、13勝8敗、防御率は1.87。43歳にしてこの成績。「中年の星」と言うのも、同じ中年としておこがましい思いがしたもんだ。
 この記事を書いた2006年は、第1回WBCがあった。日本では、イチローが国家を背負うことの重みをイベントで吐露したが、なぜかニュースではその部分はカットされていた。一方松井秀喜は参加を拒否。他のヤンキースのレギュラー陣が参加するようなので、松井不参加の理由は、あの、スタインブレナーの我儘ではなかったようだ。
 さて、アメリカ代表さえ霞んでしまう、綺羅星の如きMLBのスターが居並ぶラテン・アメリカ諸国のメンバー表。或いは、マイナーリーグで鍛えられつつある韓国、台湾の金の卵たちに比べて、日本代表が見劣りするような気がしたのは、MLBを見はじめて、そして、大好きだった遠井吾郎が亡くなって、あれほど取り憑かれていた阪神タイガースへの関心が、急速に薄らいでいった、自分の偏見だったのだと思う。実際、筆者はアナハイムに日米戦を見に行き、イチローや松坂大輔を筆頭とするサムライジャパンに心を躍らせた。大塚晶文が快くサインをくれたこともいい思い出だ。
 話を写真に戻すと、クレメンスは、次年度の去就を明らかにしないまま、アメリカ代表として、WBCで投げることを宣言し、TVコマーシャルにも出演していた。
 この日はドジャースとの対戦。2004年のシーズン後、一旦引退を宣言しながら、急転直下、ヤンキースからアストロズへの移籍。この2005年のシーズンこそ、彼の最後のシーズンになるだろうということで、この日ばかりは、クレメンス見たさに球場に出向いた訳だ。アッシャー(球場内の案内係)に怒られながら、自分のチケットよりも値段が高いエリアへ忍び込み、何枚か収めたうちのベスト・ショットがこれだ。
 写真でも分かる、豪快なフォームから繰り出される速球に、普段は三振が少ないルーキー(結果的にあの中村紀洋をトリプルA・ラスベガス51’sに追いやった)、オスカー・ロブレスでさえ全く手が出ない。贔屓チームが牛耳られるのを見ながら、「見に来てよかった」と思わせる、さすが一流だ。
 結局翌シーズンはおろか、2007年にはヤンキースに復帰したクレメンス。しかし、薬物疑惑が持ち上がったのは残念なことだった。

 拙ブログ『無闇にアメリカに来てはいけない』より「アメリカ代表の雄姿」(2006年01月30日 03:44付)に加筆修正した。

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