教室から消えた沖縄の歴史・仲原善忠原著『琉球の歴史』(上・下)を読む~第7章 王国の政治②
2.尚真王の即位
【解説】
少し短いが、まとまりをつけるために、尚真王の即位とその治世に軽く触れるところでとどめた。尚真の治世については、次回詳述される。
前後を整えるいつもの作業に加え、尚真の母については宮廷クーデターの中心にいたようなので名前を示すことにした。
【本文】
尚円王のつぎには弟の尚宣威王が立ちましたが、わずか半年で退位しています。その陰には尚円王の王妃であった宇喜也嘉(おぎやか)がいました。第一尚氏の時には、その武力を恐れて陰に隠れていた女性中心の信仰が息を吹き返し、王宮内の一派の人々がこれを利用し、12歳の尚真王を三代目の国王に擁立しました。
尚真王は62才まで50年間も王位にありましたが、最初は母である宇喜也嘉が政治の中心となり、女性中心の古来の宗教が政治に影響を与えたようです。その間に尚真王は、離島を含む沖縄を統一すると共に、官僚機構を備えた強力な中央政府を首里に置き、首都を快適な都会に改造していきました。
地方の按司を首里に呼び寄せて中央集権を確立しました。地方の富もすべて首里に集まるようになり、一芸一能ある者も皆、首里へとやって来たと思われます。地方の富、人々の技能と労力で、大きな城が作られました。そして首里城を中心に、首里は首都にふさわしい都会となりました。外国からやってきた様々の文物が人々の目を驚かせ、尚真王は「首里のぼて行けば、夜のあけたごと」とうたわれ、「天のてだと、首里のてだ」と並び称されました。
【原文】
尚円王のつぎには弟の宣威が立ったが、わずか半年で退位しています。第一尚氏の時にはその武力をおそれて引っこんでいた女性中心の信仰が、又々つよくなり、王宮内の一派の人々がこれを利用して王を退位させ、おさない尚真王と彼の母が政治の中心となり、女性中心の宗教が政治とからみあい又々いきおいをもりかえして来ました。
二、尚真王の政治
三代目の尚真は十二才から六十二才まで五十年間も位にあり、その間に政治の方向は大方きまったようで、彼の行なった改革は強力な中央政府をおき全沖繩を統一し、首都を快適な都会に改造することにあったようです。
地方の按司をみな首里に引きあげたので地方地方の中心はなくなり、地方の富もすべて首里にあつまるようになりました。
おそらく一芸一能ある者はみな首里へ首里へと集って来たことでしょう。
それらの富と技能、労力でもって大きな城がつくられ、すばらしい都会が出来あがり、外国貿易でえたいろいろの物貨が人々の目をおどろかし、「首里のぼて行けば、夜のあけたごと」とうたわれ、「天のてだと、首里のてだ」とならべて王を讃美するようになりました。
尚真のやったことを取りあげてみると次のようなことです。
一、中央集権政治に改めたこと。各地方の城にいた按司をすべて首里にあつめ、按司掟という役人を 首里からやって、税の取りたてその他の仕事をやらせた。
たゞし、武力をもった大きな按司は大かたいなくなっています。三山の王はたおれ護佐丸・あまわりの反乱、尚円の革命などで按司は少なくなってかります。そのあとに王子・王族が按司に任ぜられるがこれは一つの位にかわります。
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