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#7 5万人のシンデレラ【東京ドーム②】

その空間の熱狂を共有している間はきっと、誰もがシンデレラだ。


初めての東京ドームで過ごす時間は、あっという間に過ぎた。新幹線の終電の時間があったから、結局試合は最後まで観られなかった。後ろ髪引かれる思いでドームを出た。結局その試合は贔屓のチームのサヨナラ勝利で幕を下ろした。今思えば最後まで観られなかったのはとても惜しいことだったのだけれど、当時の私にとってはそんなことはどうでもいいと思えるほど、あの異空間の余韻でいつまでも胸がいっぱいだった。


それから数年経って私は、大きな自由とわずかなお金を使うことのできる東京在住の大学生になった。行こうと思えばいつでも行ける距離に東京ドームがあり、行こうと思えばいつでも行ける仲間もできた。あの頃は父の背中についていくのが必至だった私だけれど、一人で乗換アプリを駆使して、随分たくましく東京を歩けるようになった。そしてやはり、野球の試合を観に何度か足を運んだ。


あくる日、私は野球を観ること以外で初めて東京ドームを訪れる。人気フォークデュオ「ゆず」の弾き語りライブを観るためだ。何カ月も待ち望んでいたライブの当日だった。外にグッズの物販会場があり、そこここで写真を撮る人たちはみな同じタオルやシャツを着ている。みな「同じ目的」でこの場所を訪れていることは明白だった。


家を出てから何度かは直接触って確認してきたチケットを、係員に差し出す。野球にしてもライブにしても、いつものごとく行う儀式だが、この瞬間は少しばかり心拍があがる。チケットは重い。その一枚に安くはない金額と、野球を観られる権利やアーティストに出会える権利が詰まっているのだから、チケットは質量以上に重いのだ。


薄暗く、煙の気配を感じる。東京ドームの様子はいつもとは明らかに違う。今日は野球を行うための空間ではなく「ゆず」というアーティストが最大限魅力を発揮できるように整えられた空間なのだ。少し俯瞰した見方をすれば、何人ものスタッフと、多くの時間が準備に費やされたと思う。しかし、その場にそんな影は微塵も落ちていない。だからこそ今日、ゆずは輝く。スタッフもプロなのだ。


たった二人、2本のギターの奏でる音と声を聞きに、この人たちは集まっているのだと考えながら周りを見ると、今この一瞬が、気が遠くなるほど尊い瞬間だと気づく。だからこそ、ライブが始まる前から、それこそ東京ドームに入った瞬間から、一秒一秒を心に刻み込む。今日はゆずを見に来た5万人が魔法にかかるシンデレラだ。


魔法の時間はどんな時も、あっという間に終わりを迎える。5万人の、10万個もの目を一身に浴びた2人も、ライブが終われば普通の人間に戻っていく。私を含めた多くの観客は、魔法が解けても溢れんばかりの余韻を放ちながら東京ドームを後にする。


1人ひとり、観客にもきっとストーリーはあって、たかだか2~3時間のために多くを費やす。しかし、同じ目的で定められた時に東京ドームを訪れる人は誰しもがみな、シンデレラになれる。すべてを忘れて輝ける。


今は灯りのつかない東京ドームも、また魔法の空間を取り戻す日が必ず来る。その日を信じて、私は待つ。そして次、東京ドームを訪れる日には、どこかの誰かとはちきれるほど笑い合いたい。



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