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【エッセイ】身を挺して歴史学習

前編はこちら

 可愛い子には旅をさせよ。危険を伴う冒険と引き換えに、大いなる成長を手に入れるべきだ。薄汚い大人にも旅をさせよ。煤けて黒くなった心を浄化するのだ。しかし、薄汚い我々の旅は、苦行を含む自己研鑽の道ではない。平易どころか利便性に充ちた快適な旅である。豊かな自然と観光地に恵まれた四国を、レンタカーで放蕩不羈に巡るのだ。可愛い子の方がよっぽど殊勝だろう。私は恥じるべき自己を背負って四国を旅する。

 四国にて幾つもの神社を訪れたことは、非常に思い出深い。そこでは、精神一到何事か成らざらんと、四国遍路に励む修行者たちを多く見かけた。彼らに出会う度、神社とは何にも代えがたい神聖な場所であると改めて心得る。私も、彼らの信仰心を見習い、本殿の前で手を合わせた。

───ふしだらな生活をしても、体に一切影響の出ない超健康優良人間にしてください。日本の社会保障費ぐらい金銭をお恵みください。その上で、一笑千金の黒髪乙女が私のことを好いてくれれば、もう言うことはないです。ありがとう神様。ありがとう神様。いつの日かこの手に酒池肉林を……。

 罰当たり確定男が、今日も駄弁を披露する。しかし、気持ちだけは青天白日。今日も今日とて前途洋々。前編に引き続き、四国旅行を語る私だ。

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 空港にて剣呑な始まりを迎えたポリシー君と私の旅は、松山市内へ向かうにつれ、徐々に期待感が高まっていく。アナウンサーとの不毛な記憶は、旅の楽しみが塗り替えてくれるに違いない。我々は愉快に歌いながら、最初の目的地、松山城へ車を走らせた。車内には爆音で嵐の曲が流れる。

「走り出せ! 走り出せ! 明日を迎えに行こう!」

 ポリシー君と私は大声で歌い上げる。こういう時、ジェネレーションギャップが無いことは、旅の盛り上がりに非常に与するのだ。我々の世代にとって、走り出せ!と二回繰り返して命令することは小学生からの共通言語である。

「じきそうそう! じきそうそう! じきじきそうそう!」

 本来はTake it so soであるらしいが、全くそうは聞こえない。むしろ時期尚早!に聞こえる。一体何がまだ早過ぎるというのだろうか。重大な忠告だと身構えるのも無理はない。時期尚早! 時期尚早! 時期尚早!とやたら煽ってくるのは、全世界でこの歌だけだろう。隣で歌うポリシー君も確実に時期尚早と発音している。彼もまだ悩める20代だ。

「百年先も愛を誓うよ 君は僕の全てさ」

 そんな相手は決していない。我々がいくら格好付けて歌おうとも、百年先まで情けない嘘を持ち越すだけである。そもそも君が全てと言い切ってしまうほど自分を持ってないやつに愛を誓う資格などない。百年経てば君も僕も死んでいる。精々、千の風になって草葉の陰から経年劣化した愛を投げつけるのがオチであろう。生きている間に誓えるのは納税ぐらいである。

───いやぁ、嵐は凄い。知っている曲ばかりだ。

 特に深い意味も無く、国民的アイドルに改めて感心した。かくして、車は松山城に到着する。近くの郷土料理店で腹ごしらえを済ませてから、我々は松山城の天守閣を目指して歩き出す。

「いやぁ、ポリシー君。愛媛の鯛めしは美味しかったですな」

「白いご飯の上に鯛の刺身を乗せ、そこに玉子とだし汁を掛けていただく。知らなかった。食べるまでは炊き込みご飯をイメージしていた」

「家でやってみましょうぞ」

「鯛を釣るところからだな」

「──ん? 買ってはいけないのか……?」

「人様に釣って頂いたものを何の気なしに食らうことは、俺のポリシーに反する」

「──さっき、お店で出てきたやつ食べたのに……?」

「まずは海老を準備だ。海老で鯛を釣るってな」

「……」

 ポリシー君の冗談が虚空に消える中、我々は松山城が聳え立つ城山の麓に辿り着いた。松山城は定義上、平山城と呼ばれる。‘平野の中にある山や丘陵の上に築城された城’を指すのだが、その呼び名が易しいと思える程、城への道のりは険しい。出来るなら、ガチ山城と名乗ってほしい。時折、休憩を挟みながら城へ登ってゆく。目の前の急な上り坂とは反対に、老いていく我々の体力は急降下の一途を辿っているのだ。

 登り切ったところで、反対側の麓からロープウェイが出ている事を知った。気息奄々のポリシー君は叫ぶ。

「くそ。ちゃんと調べるべきだった。誰だ。呑気に鯛の話をしていたやつは……」

「──お前だ」

 ようやく城の入り口についた我々の足には大いに乳酸が溜まっていた。まだ我々は城に入る事すらできていない。松山城の城山。その要塞ぶりは健在である。

 入り口付近では可愛らしいマスコットキャラクターが待ち受ける。しかし、ポリシー君はそれに目もくれず、城へと向かった。恐らく、空港での出来事がトラウマになっているのであろう。せめて私だけは愛でてやろうと近寄ると、彼には'よしあき君'と名札が付いていた。

「貴様もしや、松山城初代城主、加藤嘉明か……!?」

 よしあき君は何も言わない。しかし、甲冑を身につけ、刀を携え、松山城の前で構えている。そしてよしあき君と名付けられている以上、かの加藤嘉明である事に間違いはない。

「しかし、これは……」

───何ということでしょう。文献に載っているような威厳のある肖像は面影もありません。老獪さを感じさせる鋭い目つきは失われ、愛くるしいつぶらな瞳に様変わり。上唇の中央から曲線を描いて上向きに伸びる髭には、何一つ落ち着きを感じず、むしろその童顔に拍車を掛けるばかりです。趣味は人とのふれあいと散歩。好きな言葉は一期一会。あまりにも癖がない平和な設定に、思わず笑みが溢れます。

 人間の想像力とは恐ろしい。さながらアンパンマンの横に並んでも違和感はない。ここまでデフォルメされれば、天国の加藤嘉明も天晴れと言わざるを得ないだろう。

 よしあき君と別れを告げ、私はポリシー君の後を追う。彼は随分と先に行ってしまったようだ。入り口の門を潜っても姿が全く見えない。二つ目の門に差し掛かっても気配がなかった。まさかマスコットキャラクター恐怖症で蒸発したかと思いかけた刹那、ポリシー君から電話が来た。

「遅いな。今、どこにいる?」

「二つ目の門が目の前にあるが……」

「あぁ。戸無(となし)門な」

「戸無門……?」

 一瞬、その名に疑問を抱いたが、改めて門を見た時にその意味はすぐ分かった。

「門に扉がないな」

「そう。建造された当時から門扉はないそうだ」

「ん。 一体なぜだ?」

 門なのだから、城の防衛的観点で言えば、敵の侵入を防ぐために門扉を付けるべきだろう。しかし、この門は訪れた敵を歓迎するかの如く素通り出来る設計になっている。私は加藤嘉明を買い被っていたのだろうか。大事な防衛設備の造りを疎かにするとは。これでは後世で彼がよしあき君にデフォルメされても詮方ないと呆れてしまう。私が疑念を抱いていると、ポリシー君は得意げな声で答えた。

「扉がない理由はすぐ分かる。その門を抜けて左に曲がった先に三つ目の門がある。筒井(つつい)門と言うそうだ。俺はそこで待つ。心して来るといい」

 私は一度電話を切った。ポリシー君の命令通り、戸無門を潜り抜け、その先にある門へ向かう。しかし、三つ目の門に到着しても彼は現れない。私は戸惑う。何かを聞き間違えただろうか。心配になり、今度は自分から電話を掛ける。しかし、電話は繋がらない。晴天の下、門の前でうなだれた。

「どういうことだ……」

 その時だった。

「隙ありいぃ!!!」

 どこからともなく現れたポリシー君が、ものすごい勢いで私の横腹を強襲してきた。鋭く立てたポリシー君の左手が私の腹に突き刺さる。

「ぐふぅ……!!!」

 お昼に食べた鯛めしが体を逆流しかけた。ぎりぎりで耐えた私はその場に蹲る。

「──な、一体何が起こった」

 ポリシー君は、蹲る私を満足そうに見下ろす。悶える私に向けて、彼は居丈高に語り始めた。

「どうだ。勉強になっただろう。実は、この筒井門の横には隠(かくれ)門という比較的小さい門がある。石垣の陰に隠れていて気づきにくいけどな。昔も、今みたいに筒井門で足止めされた敵を、隠門から飛び出した兵が急襲するっていう防衛戦略をとっていたみたいだ。松山城の守りが堅牢であった由縁は、この辺りの戦略性にあるんだろうな」

 私は身を以て松山城の防備を学んだ。まず、わざと扉を設置していない戸無門で油断させ、筒井門で足止めする。戸惑う敵を隠門から急襲。良く出来た防衛戦略である。買い被りではなかった。やはり見込んだ通りである。加藤嘉明、恐るべし。
 そして、電話で油断させ、肉体的鍛錬を怠った私の緩い腹へ一撃を与えたポリシー君。彼の体験学習も恐るべし。松山城の防衛戦略を強烈に学習できた。しかし……やはり腑に落ちない。

「──ここまでする必要はあったか……?」

 私は起き上がり、ポリシー君と目を合わせる。彼は私を睨みつけている。何も分からぬまま呆気に取られていると、彼はいきなり叫び出した。

「海老で鯛を釣る! 良い冗談だろうが!! 笑えや!!!」

──腑に落ちた。

 その後、二人で天守閣へ登り、松山の地を一望した。素晴らしい景色に感動も一入。苦労して登った甲斐がある。私は、輝かしき松山城の記憶を決して忘れないだろうと思った。むしろ、この横腹の痛みは忘れることなどできない。

 帰りはロープウェイを使って下山した。あまりにも容易な下山。加藤嘉明は、こんなに便利な乗り物が城山に生まれたことをどう思っているのだろうか。江戸時代より、この地を見守ってきた松山城。観光のために生まれたロープウェイ。不思議な組み合わせに歴史を感じる。

 その後、我々は道後へ向かった。旅館に泊まり、温泉に入り、その日の身体的疲れを癒す。主に横腹を癒す。一方で、精神は充実感に満ち満ちている。二泊三日の四国旅、一日目はひとまず成功だったと言って良いだろう。明日からは香川へ向かう。早めに消灯し、布団に入ることにした。暗闇の中、私は仰向けでつぶやく。

「走り出せ! 走り出せ! 明日を迎えに行こう……!」

ポリシー君は言った。

「早く寝ろ」

「寝ます」

 嵐には明日のドライブでもお世話になるだろう。それと、もう冗談はやめてほしい。四国旅行は続く。

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