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【読書感想文】タイムスリップ森鷗外

あらすじ

森鷗外が、何者かに殺されかけた拍子に、
大正11年から、現代の渋谷にタイムスリップする。

現代の渋谷で彷徨い、
出くわした不良に袋叩きにされかけた所を、
女子高生・うららに助けられる。

うららとの出会いを機に、
森鷗外は現代に適応していくが、
彼の残した著作が、徐々にこの世から消える事態が発生。

大正から平成を跨いだ巨大なミステリに、
森鷗外と高校生四人が挑む。

印象に残った言葉

「この時代の人は安全を犠牲にしてまで、何をそんなに急いでいるのだろう。たかが動く階段に乗っている距離ぐらい、歩こうが立っていようが大した違いはあるまい」

作中の森鷗外が呈した疑問である。
現代人も往々にして浮かぶ時がある疑問だが、
過去の偉人の姿を借りて、喋らせてみると、
どうしてか、重たく深く感じることがある。

「職人というのはどんな注文にも応えられる人」
「芸術家というのは自分の注文にしか応えられない人」

ミステリの陰に少し隠してはいたが、
筆者が伝播したい思想が、上記の言葉に表れていると思った。
冒頭にも、人生が自己弁護ゆえに、どんな芸術作品も自己弁護である。
という意の言葉が、ヰタ・セクスアリスから引用されている。

感想

個人的には、”同情と恋愛を勘違いしている”という一節も好きだったが、
それは恐らく、他作品からの着想で書いた文章だったため、
そのうちの一つ、夏目漱石の『三四郎』をそのうち読みたいと思う。

序盤は現代に迷い込んだ森鴎外と、
彼に協力することになった高校生たちの、
すれ違いコントのような軽妙なやり取りが楽しい。

「え、まさかナンパですか?」
「学生時代は、たしかに私は軟派だった」

※「モリリンは、ヤンキーどもにフクロにあってたの」
「そうだ。私は袋小路に陥っている」
・モリリン(作中で森鷗外に付けられたあだ名)

また、現代の日本を見て、
森鷗外がその現状を憂う場面も印象的である。

中盤は、ミステリ要素が徐々に深まる。
文学とはどうあるべきかという問いも含みつつ、
歴史上の文豪たちへ思いを馳せながら、
彼らを襲った元凶を推理していく。

終盤は、森鷗外という叡智と、
現代の高校生が見せる機転が、
互いの足りない部分を補完し合う形で、
巨大なミステリに立ち向かう様が、
読んでいて痛快だった。

時折挟まれる世界観を壊さない程度の詳細な説明と、
もし夭逝した作家たちが、
生きて更なる作品を残していたら、という妄想は、
作者の近代作品への愛を伝えるに十分だった。


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