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三ツ矢サイダー

駅のホーム。50代後半の男性が、片手に三ツ矢メロンの缶ジュースを手にしていた。もう片手にはスーツカバー。出張帰りであろうか。僕はその人が都内出身でないことを推測する。小綺麗な容姿、短髪、穏やかな目付き。何よりの一番の手がかりはその人を纏っている時間軸だった。話してもいないし、正面から見たわけでもない。電車を待っている後ろ姿だけから感じとる雰囲気だけからの推察。

自販機で三ツ矢メロンがあったとしても僕はそれを買うことはないだろう。馴染みがないからだ。はじける炭酸とメロンの甘味は飲まなくても容易に想像できる、ただ僕がそれを買うことはない。初老の男性にとってはきっと馴染みがあるのだろう。

おこがましいとは思うが ここで緋色の研究:シャーロックホームズがワトソンと初めて出会い 鮮やかな推理を披露した時と自分を重ねた。日焼け具合や佇まいなんかからアフガニスタンの軍医であることを見破ったホームズは、あたかもそれが当たり前みたいな口調で話をする。僕も三ツ矢メロンを持った初老の男性を見ただけで、過度とも言える想像を巡らせる。きっと男性は幼少の頃にサイダーが好きだったのであろう、少年時代に額に汗を流しながら駆け回る姿を思い浮かべる。推察した程度の低い内容は勿論ホームズの足元にも及ばないが、飲み物ひとつで赤の他人からこうも妄想されるものなのか。

Diversity and Inclusion(多様性とその包括)がうたわれるこの世の中、たまに自分が盲目だったらと思う。視覚からのインプットが大半を占める中、視覚を失うことで偏見なく人と接することができるかもしれないのではと思いを馳せることがある。一度落ち着いて、目を閉じてみて 、いろいろ思い返してみる。これだけでもずいぶん考え方が変わる。

物事の本質を見抜くには多感的な視点が必要かもしれないが、時にはある一角からじっくり見定める方が効果的なのかもしれない。考え方がぶれぶれで、いつまでも未熟で大人になれない自分が情けなくてホントに泣けてくる。

三ツ矢の男性とは同じ電車に乗ったが以降まったく気にすることもなく帰路についた。また三ツ矢を目にする時が来た際、自分が少しでも大人になっていることを願う。


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