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「水道橋博士のメルマ旬報」第二回

ワインラベルのコンペの結果が出た。トリッピーは撃ち落とした。しかし僕も撃沈した。

トリッピーは「票を買った」とドメーヌが判断したと思われ失格になった。これで得票数が2位の僕が本来なら受賞のはずだったのだが、3位の応募者が受賞したという発表が酒蔵のFacebookとInstagramで正式に発表があった。全くもってこの事態を把握できない僕は、すぐさまドメーヌのSNS上に「どうして2位の僕が受賞ではなく、3位の応募者が受賞したのか、説明をしてもらいたい。」という旨のコメントを書き込んだ。そしてドメーヌからの返答は、「通称『エヴァン』と呼ばれるフランスの法律(*1)に僕の描いたラベルのデザインが抵触するため失格にせざるを得なかった。」というものだった。

『エヴァン』という法律は、アルコール飲料の広告に未成年者を使ってはいけないということを定めた法律だ。ワイン業界で働く人たちにとっては、当然の常識の一つだそうだ。コンペを企画したドメーヌにとっても、それは当然の常識で、わざわざコンペの規約に書くことすらしなかったらしい。しかし、ワイン業界にいるわけではない僕にとっては初耳だったし、フランスの法律に疎い外国人の僕は、指摘されるまで全く気がつかなかった。僕が娘を題材に描いた作品を応募した時点で指摘してくれていたら、すぐさま違う作品を送り直したのに・・・・。投票結果が出るまで、僕にドメーヌが何も言ってくれなかったことは、本当に残念でならない。とともに、それは主催者として怠慢ではないだろうか?という風に思った。

でもよくよく考えると、たばこやお酒の広告に子どもや妊婦を起用したものはない。おそらく日本にもない。それは世界共通の一般的常識だと僕も思う。広告デザインには、規制や規定があることに、僕は無頓着すぎた。ただ、僕が良いと思うものを描いても採用されないのだ。僕はあまりにもナイーブだった。

この一件から、フランスにおける子どもの生活について考えてみた。だから今回はそれについて、娘の話を中心に書こうと思う。

僕には今年10歳になる娘がいる。彼女はフランスで生まれ、フランスの教育を受けている。僕が幼い頃に経験した環境とは全く違う世界で生きている。安易に羨ましいとも思うが、日本語とフランス語、最低でもこの二つの言語は習得しなければいけないことを考えると、僕には無理だとも思う。我が家は妻が日本人ということもあり、基本的には家での会話は日本語だ。問題になっていくのはフランス語。その遅れを補助することと、妻が出産一年目で仕事に復帰するので、共働きの僕達は娘をアシスタントマテルネル(*2)に預けるという選択を取った。

アシスタントマテルネルとは、日本でいうところの保育ママのことだ。つまり、保育園のような集団ではなく、自宅で少人数の乳幼児を預かって保育するシステムである。フランスはアシスタントマテルネルの制度が充実していて、アシスタントマテルネルとして働くには研修を受け、地方自治体の認可を受けなければならない。保育料は家庭の収入に応じて国が部分的に補填してくれる。パリの保育園は妊娠がわかった瞬間に申し込みをしなければ入園できないほどの競争率なので、このアシスタントマテルネルを利用する家庭は多い。

僕達は保育園への登録を希望はしたけれど、いつ回ってくるかわからない空席を待つより、アシスタントマテルネルを利用しようと決め、アシスタントマテルネル探しを開始した。そこで判明した面白いことは、アシスタントマテルネルを選ぶのは子どもを預ける僕達ではなく、むしろアシスタントマテルネルが預かる子どもを選ぶということだった。こっちがお金を払うのに、子どもを預かるかどうかを選ぶのは給料をもらうアシスタントマテルネル。どうしてこんなことになっているのかといえば、やはり保育園同様に、パリでは子どもの数に対してアシスタントマテルネルが十分に足りているとは言い難く、完全に売り手市場なのだ。

何人かとの面接を経て、ようやく決まったアシスタントマテルネルは、結局三年間、娘が幼稚園に行くまでお世話になることになる。そのアシスタントマテルネルはアンナンといい、モロッコからの移民二世だった。だからアンナンは、彼女の両親とはモロッコアラビア語で話す。つまり彼女は、僕らの娘と同じように、家庭の言語と社会の言語が異なる環境で育ってきた。アンナンの家はなんとなくモロッコ風。娘に出してくれる食事も時々モロッコ風。娘は家ではあまり食べ慣れないものも、アンナンの家で口にするようになり、食べられるようになった。

アシスタントマテルネルは、同時に何人かの子どもを預かるので、そこで幼いながらも社会性が身につく。預けられている子どもの年齢もそれぞれ違うので、人へ譲ることや、我慢することも学べる。アンナンの家ではスリランカ人の男の子も一緒だった。しかし共通言語はフランス語なので、常に耳にフランス語が聞こえる環境だ。この期間が、のちに幼稚園に行く前の準備期間として大きな役割を担っていたと思う。

娘が幼稚園生だった当時、幼稚園は義務教育課程にはまだ含まれていなかったが、フランスの幼稚園のほとんどは公立幼稚園だ。私立のカトリック系やモンテッソーリ(*3)の幼稚園もあるが、多くの子どもが市や町の公立幼稚園に入園する。幼稚園へ入園すると、娘は父親がオランダ人、母親がフランス人の女の子と仲良くなった。その子は、フランドル系の父親の遺伝子をもろに継いだ背の高い女の子だ。娘と比べてみても、とても同学年とは思えない見た目だった。小柄でシンプルな顔つきの日本人の女の子が、お人形のようにかわいらしく見えたようだ。彼女は、父親とはオランダ語で話し、母親とはフランス語で話す。この子もまた人と場所によって言語を使い分けることが当たり前の生活を送っていた。

2015年11月、パリで同時多発テロが発生。街のあちこちで軍服を着て機関銃を持った兵士を見かけるようになった。娘の幼稚園の門の前にも機関銃を持った兵士が現れる。出自や宗教の違いによる価値観の相違が衝突し、憎悪となり、暴力となった。

機関銃を持った兵士が街を歩く光景が当たり前になったころ、僕達はパリ郊外に引っ越しをすることになった。引っ越しの理由は妻の職場が変わったから。パリが危険だからとかそういう意図があったわけではないけれど、地下鉄に乗っても、スーパーに行っても、パリでは人が集まるところでは緊張感はあったし、子どもの安全を守れるかというと、あまり自信もなかったように思う。

郊外の生活は確かに人は少ないし、自然も多い。トカゲやハリネズミやリスをよく見かけるようになった。しかし、いろいろな人がいるという環境はあまり変わらない。娘は新しい幼稚園で父親がイタリア人、母親がフランス人の女の子と友達になった。アパートのお向かいさんは、ベトナムからフランス人家庭に養子縁組でやってきた父親と、デンマーク人の母親がいる家族だった。お嬢さんも息子さんもとても感じがよく、礼儀正しい若者なので、僕達が仕事で夜に家をあけなければならないときは、お嬢さんが娘のベビーシッターもしてくれる。父親はさすがにベトナム語は話せないけれど、母親のほうは子ども二人とデンマーク語で話していて、お隣さんのお子さんたちも、二つの言葉を使って生活している。

小学校から、娘は公立のインターナショナルスクールに進学した。インターナショナルスクールというと、英語で授業をやっている学校というイメージがあるかもしれないが、その学校はフランス語で大部分の授業が行われ、一週間に6時間いろいろな国の言葉(小学校では11ヶ国語の選択肢がある)で授業が受けられるというシステムだ。決まった曜日の決まった時間に、子どもたちは自分が選んだ国の言葉で教える先生の教室に別れて、授業を受ける。娘が学んでいる言語はもちろん日本語だ。

学校の中は11ヶ国語も言語が共存しているので、その学校にもいろいろな文化背景をもった子どもがいる。娘は、イタリア人、スペイン人、ポルトガル人、ブラジル人と、日系の友達の他、なぜかラテン系の友達が多いようだ。「今日はAのお誕生日だったから、クラスでお菓子を配ったんだけど(*4)、BはHaribo(*5)は食べられないんだって。」ということもある。ユダヤ教やイスラム教の家庭の子どもはゼラチンを使ったグミを食べてはいけないのだ。Aにとっては当たり前でも、Bにとっては禁止されていることがある。このように、学校一つとってみても、色々な宗教、国、価値観の人がいるので、みんなにとっての当たり前を作るのが難しい。

フランスの公立の学校では、宗教を持ち込まないことと、フランス語で教育を受けることだけが、絶対に守らなければいけないことになっている。制服や体操着があったり、髪型の規定など、みんなが守らなければならないルールが多い日本の学校とは全然違う。ちなみに、宗教的なシンボル、例えばキリスト教徒の十字架やイスラム教徒のスカーフやユダヤ人のキッパと呼ばれる男性がかぶる小さな帽子以外の、外見や服装を制約する校則はない。給食も、宗教やアレルギーやベジタリアンやヴィーガンなどで食べられるものに制限がある場合は、自分が食べられるものだけを食べれば良いし、自分の家に帰って食べたければ、一度家に帰って午後から再登校しても良いことになっている。

この国では、「みんな違う」ということが前提で社会が成立している。というか、いろいろな人がいるのでそうせざるを得ない。僕は外国人であるけれど、フランスは居心地が良いと思っている。その理由は、ここに書いたことに集約されていると思う。日本人である僕は、フランスでは少数派に分類されるだろうけれど、フランスでは少数派であることでの居心地の悪さをほとんど感じない。

一方、日本にいると、みんなが同じように考えて行動しなければいけないというような気になってしまう。それは自分が多数派でいたいと思うからなのだろうか? 僕は日本人の両親に日本語で育てられ、日本の教育を受けてきたから、日本で少数派になったことはない。それでも日本で少数派であったとしたら、それはきっと居心地の悪さに繋がるような気がしている。つまりは、日本にいると外国人であることは大変そうに見えるのだ。僕は今、外国人であるのに。

娘は昨日も、父親がアイルランド人、母親がスペイン人というご家庭のお友達の家にお誕生日を祝うお泊まり会に出かけて行った。帰ってきた彼女にどうだったか聞くと、「お誕生日のケーキが、チョコレートコーティングにジャムが挟まっていて、甘すぎたけど残さず食べた。」と楽しそうに話した。それを聞いた僕は、スペインのデザートって確かに甘すぎで、砂糖の塊みたいなんだよねって思った。それから、その子の家には妖精がいるから、妖精に手紙を書いたとも教えてくれた。その家には妖精が出入りするための小さなドアがあるそうだ。そう言えば、アイルランドは妖精の国だ。そのご家庭には本当に妖精がいるのだろう。

娘は、おそらくこのまま、いろいろな人がいるこの学校に高校まで通うことになるだろうと思う。集団生活の開始時からいろいろな人に触れて育っているので、彼女にとってはそれが当たり前だし、全く苦にはならないように見える。その後はどうなるかわからない。わからないが、自分と違う価値観に遭遇しても、ただ拒絶するような大人にはなってほしくないと思っている。


(*1)  Loi Evin エヴァン:1991年制定。この法案を国会にて提案した当時の保健相のClaude Evinから名前をとって「エヴァン」法と 呼ばれている。アルコール飲料とタバコの広告に未成年を起用したり、未成年のアルコールやタバコの消費を連想させるようなものを使ってはいけないことが決められている。

(*2) Assistante maternelle アシスタントマテルネル:6歳までの子どもを4人まで自分の家などで預かることができる保育ママ。地方自治体による認可が必要。

(*3) モンテッソーリ教育:Maria Montessoriによって提唱された教育メソッド。子どもの自立的かつ自律的教育を目指すとされている。

(*4) お誕生日:学校ではお誕生日を祝ってもよいことになっていて、誕生日を迎える子がケーキやお菓子を持参し、先生とクラスメイトに振る舞ってお祝いする。

(*5) Haribo アリボ:フランス語ではHは発音しないので、ハリボではなく、アリボ。ドイツのお菓子メーカーのグミ。カラフルで楽しい色の商品が多く、子どもに人気。

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