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『ピカソとその時代』に行って来た。

ある日のこと。
私:「セブチの明浩もピカソ展行ってる~良いな~羨ましい」
母:「そういえば家族分の招待券をもらってたわよね?」
2人で会期を確認。
母&私「えぇ?!今週末で終了やん!行かな!」
 
ということで、会期終了の前日に急いで大阪国立美術館へ。

母の一言が無ければ忘れ去られてたであろうチケット。
恐るべし。

ありがたいことに、ほとんどの作品が写真撮影可能だった!
余談だが、最近日本の美術館は【写真撮影可能】な展覧会が増えつつあり、かなり嬉しい。これまで訪れたことのある海外の美術館はどれもが撮影OKだった。目に焼き付けておきたい作品に出会ったにもかかわらず、時とともに記憶から薄くなりつつあるのが嫌で、「日本も撮影可能にならんかのう…」と思っていたところ。

全作品を鑑賞して感じたことを綴る。
(アートに精通しているわけでもないド素人目線なのでお手柔らかに。)

➀【表現力ってこういうことなんか…】


影がただならぬ深さを出しているように見えました。

上記の作品はピカソによる『ヴァイオリン』。

私の前にいた小さな男の子が「これどこがヴァイオリンなの…?」と側にいたお母さんに聞いていた。坊や、私も同じことを思ったよ。

ただよく見てみると、ヴァイオリンの「f字孔」や弦、ボディの丸みが表されていることがわかる。
ピカソが「自分にはヴァイオリンがこう見える」と伝えているような気がし、そのことに気づいた瞬間【どんなに実物そっくりに描いた作品があろうが、自分だからこそ表現できる作品には勝てない】ことがじわじわと身体に広がってきた。
 
これは日常のちょっとしたことにでも通じる話ではないだろうか。
例えば就職活動の面接。いろんな質問が投げかけられるものの、結局は「あなただったらどう考えるの?」と問われていることに変わりない。その辺に転がっている話を恰も自分が考えているかのように話すのではなく、自分自身の体験から学んだこと得たことを素直に伝えるだけでグッと惹きこまれるのだと。
 
「もっと表現付けて!」
「ダンスを習っていたらもっと表現力が身に付いていたかも…」
周りは「表現力!表現力!」ばかり言うだけで、最も伝えるべき本質を伝えていなかったように思う。(聞かなかった私もごめんさい。)
 
そういった意味では、芸術から生きていく上でめちゃくちゃ大切なものを教えられた。

②【ピカソ、アルルカンめっちゃ描くやん】

ピカソはアルルカンを題材にした作品を何枚も描いている。
 

アルルカンって言われなくてもアルルカンっぽいような…。
この感じ伝われ!(笑)


そもそもアルルカンとは【道化役者】のことを指すらしい。
舞台では「狡猾で意地汚く、物語を振り回す」キャラクターとして描かれるそう。【ハーレクイン】と呼ばれることもあり、大人気コミック『ハーレイクイン』もこれを参考にしているらしい

ちなみにピカソ以外にセザンヌなどアルルカンを描いていた画家がいるよう。色鮮やかな衣装や帽子を纏うアルルカンは描いていて楽しそう。また、アルルカンを描くのは当時の流行りだったのでは?とも思ったり。

③【突然の日本人に驚く】

展示の終盤に差し掛かってきた頃。
ある作品に思わず2度、いや4度見ほどしてしまった。

いきなり日本人が出てきて驚いたのは私だけじゃないはず。


「ナゼそこに?日本人」(テレ〇さんすみません…。)
 
「ヤナイハラ」と聞いて浮かんだ日本人は高校の日本史で学んだことのある矢内原忠雄。気になって調べてみたところ、本作のモデルは矢内原忠雄の息子・矢内原伊作のようだ。渡仏を機にジャコメッティとの交流が深まり、作品にも影響を与えていたのだとか。ちなみに矢内原伊作をモデルにしたブロンズ彫刻は7体しか存在しないという
 
「日本人なんでこんなところにいるんでっしゃろ~」とフワフワ思っていた裏には、想像もしないような物語が潜んでいたことにただただ驚くばかり。ジャコメッティと矢内原伊作の交流も本に著されているほど奥が深いものなので、今度ゆっくり読んでみることにする。

明浩さんのインスタも真似てみたり…。
こんなデザインが描かれた白Tシャツ着たい!

駆け込んだ展覧会で思いもよらぬ学びを得られたことに不思議な気持ちでいっぱいだ。この後はKing GnuのスタジアムLIVEに行きましたとさ。



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