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昨日の書きちらし寿司5.1「自切」

カニの自切、ヤモリのしっぽ

 自分より強く怖いものたちに追われた時、動物はどうするだろうか。命がかかった時、よほど体が再生不可能な動物(大体はこちらだ)は、死に物狂いで抵抗して死ぬか、瀕死で生き遺る。仲間を呼ぶ、と言うことが出来る生物もいるが、それは習性として普段から群れを形成していないといけないし、群れが戦えるだけの力を持っていないといけない。群れVS群れで片方の群れが弱ければ蹂躙されて終わりだ。
 話を戻す。一部の動物では、自分の体が再生可能なものがいる。カニやヤモリである。カニは何かにかぶりつかれたり挟まれた時に、自分からその節ごと体を切り落として逃げる。そしてその欠落した節を脱皮によって再生させる。もっと卑近な例だとヤモリが有名だろう。捕まえようとすると尻尾がチョロチョロしているだけ、本体は逃げ去った後、ということは子供の頃に体験したことがある人は多いかもしれない。その尻尾は後々生えてくるという。

 自切の際、ヤモリやカニが「痛み」や「悔しさ」を感じるかは定かではない。多分感じてはいない。だが、もしヤモリやカニに意思があるなら、或は人間に「自切」の機能が備わっているならどう思いながら自分の体を切り離して逃げるだろう。「悔しい」「憎い」そう思いながら、自分の腕を体の一部を切り離しながら逃げるだろう。

人間にできる「自切」

 では人間の「自切」とは何か。命を守りながら、体を守りつつ眼前の恐怖や危険から逃げる術は何か。
 肉体的な「自切」とは完全な「失踪」である。本人の意思に基づく「失踪」である。「探さないでください」の書置きすら残さず、姿を消してテレビの人探し番組で取り上げられるほどに騒がれる(これは人による)。年齢によっては誘拐事件や家出事案として捜査される。その果てに本人が疲れ果てて出頭するか、或は落命するかは本人の決断による。カニやヤモリより複雑な脳の構造を持つ人間の脳のなせる業であろう。
 死を偽装して別人になるという手段もある。ドラマのような話だが、どうやらやり遂げた人間もいるらしい。外国の例ばかりなのでどこまで本当なのかわからないが


 インターネット上の「自切」は更に容易い。名前を変えアカウントを変え、アイコンを変え、サブ垢も駆使し、いくらでも現れる。何なら知り合った当初の人間がいきなり変貌していていきなり話しかけられ
「え!?誰!?こんな人相互にいた!?」
 などと思いいきなりブロックしてしまうこともある程だ。
 何か事業を立ち上げる時に、過去のアカウントを削除して事業者(作家や事業の肩書)名義の新アカウントに知らず変化している人もいる。それもある種の「過去の自切」であろう。その場合はプロ活動に不要な過去のツイートを「切除」する必要があって、要は「痛くない腹まで探られたくない」に尽きるのだろう。このご時世。
 人によっては本当に個人の事情で、気まぐれに「ちょっと整形してみたくなった」程度の理由で「自切」してくることもある。「自切」通り越して「転生」してくるのもいて「大丈夫?話きこか?」状態になるが本人は飄々としている。まあそういう場合は趣味でアカウントを分けたか、何か推しが出来た時くらいのものだ。
 話を戻そう(二回目)。「自切」で結構な数あるパターンは、炎上して逃げるために「炎上した自分」を切除するパターンだ。「過去の自分」を封印して、本当は常に粘着されて監視されているのに、さも「私は別人です」とチョコンと居直っている。そうでもしないと、怖いのだ。かといって黙るのも悔しく、そして黙ることもできないのだ。何かを言おうとしても、間隙を突いたように攻撃が飛んできて刺激になり「恐怖」になり「憎悪」になりその間にも自分の生活を営んでいるから全ては悪化して行く。
 そうなると、「自切」し、いっそ自分を殺して、亡骸から脱皮して、もうこの亡骸で手打ちにしてくれと歯を食いしばって頭を下げる。
「死を盾にするのか!」
「それくらい極限状態なんだよ。大勢に追い詰められるっていうのは。ここのところ本物の死が続いてるし、いっそ……って本当に試したこともあったよ」
「被害者面すんな!」
「そっちこそ一方的に被害者面はやめろ。過去を自切した気になって。自分はあの『全部一方的に奪われた日』から、死んだも同然なんだ」
「そんなのあんたの今までの積み重ねでしょwwww」
「今までの積み重ねを自切しなかったあなた方とは違った結果だ」
 そんな会話が繰り広げられる。

福田和子の逃走劇と自分

 福田和子、と言う人物を知っているだろうか。顔を変え続け、時効ギリギリまで逃げ続けたホステス殺しの女性だ。物腰はよく、いざ接客業で働くと人気はあったという。しかしやっていることは紛れもなく殺人死体遺棄で、今でも肉声が残っているのだが、
「みんな私の事『福田和子に似てる』って言うのよ?失礼しちゃう!」
 と笑って電話をする徹底した「自切」。いくつもの顔を使い分けて警察を翻弄した気になっていたけれど、その実徐々に追い詰められていて、最後は駅で捕まった。福田和子はそのまま逃げ切りたかったのかもしれない。
 しかし自分は同時に思うのだ。福田和子のように、逃げ続けて道化を演じて、巧妙に立ち回ろうと常に頭を動かし続ける人生は苦しいと。捕まった時、ようやくおわった、「嘘が終わった」ホッとした面もあったのではないか、と。
 自分からはただ、「果てしない、命すら失いかねない恐怖とノイローゼの故の脱皮と自切のために嘘を重ねて申し訳ない」ということと、「それでも赤井という者は死んだ」ということと「ASDは嘘をつけない」と言うことしか言えない。
 ご迷惑をおかけして申し訳なかった。自分を恨み続ける人以外に対して。自分を心配してくれた人に対して。こんなことだから「メンヘラ」と言われるのだろう。



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