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躁と鬱について(雑記)
「躁」のことは、「離れられないもう一人の自分」のように感じています。躁が高じると、もう一人の自分が別人格のように思えてきます。
格言も聞きます。
「躁あれば、鬱あり。
山高ければ、谷深し(躁がひどければ鬱もひどくなる)。」
それを聞いて自重して、それで今は上手くいっているのですが、ついつい、躁の自分を家に閉じ込めて解決しようとしていないか、と思ったりします。躁の自分を監視し過ぎてないかって。監視すれば、つまり、自分もどこへも行けなくなってしまうから。
それで、監視ではなくて、「やることを減らすこと」で波が減り、快適になりました。
家族の信頼も取り戻しつつあり、遠くまで出かけても平気になり、セルフケアのおかげで、帰って来てからもウツになりません。
行動は以前の「4分の1」くらいに減りました。そのくらいの行動でいいんだということに納得できるまでは時間がかかりました。4倍動いていた私は、何を渇望し、どんな自己イメージを持っていたのかなって、振り返っています。
アマゾンで買い物したくなっても、今は「自分」がちゃんと止めてくれるから、「躁の自分」も安心していられるのかもしれません。その意味、障害の理解は大事で。
また、当事者会や、noteで、色々他の方の症状を見聞きすることも大きな助けになっているのかも。
雑記でした。
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