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「クラい」と言われるかもしれないことへの恐怖感がまだある

   この三連休は、「マルシェ」や「フェスタ」「街角コンサート」が多いです。全部に出かけまくって、楽しかった頃もありました。出かけることを楽しいことだと思っていました。(出かけないと「クラ(暗)い自分」なようでイヤでした。)
  そう、このワード「クラ(暗)い」

タレントのタモリが1970年代後半から自身の出演番組で盛んに用い、人の性質を単純に二分化できる軽さもあって1982年の流行語となった。

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生徒間では「ノリの良さ」「ひょうきんさ」「不真面目さ」などが重要視され、集団になじめず同調性の低い生徒は「ネクラ」(略)などの烙印が押され、からかいや軽蔑、排斥の対象となった。

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 小・中・高校の生徒の頃は、実に怖ろしかったなぁと思います。その記憶がやっぱり染みついているようです。この「ネアカ」「ネクラ」の二分は外部から勝手に押し付けられるもので、自分がどうこうできるものではなかったと思います。
 私は、家が「オレたちひょうきん族」を見ていないことで自動的に「ネクラ」に入れられました。休み時間も体育館ではなく図書室にいれば「ネクラ」でした。外遊びの時も鬼ごっこではなく花を見ていれば(以下略)。どちらかといえば体の弱い私は「ネクラ」枠にしか収まるところがなかったわけです。

 今もふっと「クラい」と言われることへの恐怖感が起こってるんじゃないかなぁと、思うことがあります。家でテレビを見ていることはクラくて、お出かけは明るい、みたいな。
 けれど直近の5年間のそううつ(躁鬱)の波を見ていると、コンサートやイベントはけっこうなトリガー(きっかけ)になっています。
 だから周囲の声(過去の周囲の声になるのでしょうか)に惑わされず、落ち着いて(というか背を向けて)いられたら…と思うんです。

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