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pasteltime
私の”職業へのこだわり”を映す鏡②バッドエンドがコミ、を外して
私は躁状態の時、物事をダメにしたり、人間関係を悪く終わらせたりしてきました。それは全然自分らしくもないことですし、家族からも責められるし、苦痛でした。
躁の病相であるのは確かなのですが、もう少し何かがあるようで考えてみました。
そして仮定したのですが、
原初の体験で体に浴びたバッドエンドという関り方、
それが行動にコミで入っているのではないかということ、です。
仕事や何かで、問題を起こす…、
あの懐かしい、赤ん坊のころ身に受けたバッドエンドに向かうように仕向ける。
(生まれた家がとても大変な家でしたので…今になってもそれが体から抜けていないように思います。さらにカウンセリングに行く度に幼い頃の体験をだんだん思い出してくるから不思議です)
それしか私は物事へ向かう方法を知らないのだとしたら。
現在の私ではなく、私の中にいる幼い私が。
自分ではバッドエンドを希望したりしていなく、
「慰め、なだめてもらうこと」を熱望しています。
しかし、事態は逆のほうに行ってしまう。
私にはこの心のからくりが最近まで分かりませんでした。
問題を起こし、人間関係を悪くし、
傷はまた深くなる。
「慰めとなだめてもらうこと」からは遠くなる。
よく考えるとその行動は幼少期の家庭をなぞっているようなのです。
だから、私の場合は、いまもまだ治療中で、仕事に就くエネルギーもないのが実情ですし、
「もうバッドエンドを求めなくてもいいんだよ」
と思えるまで、のんびりと心の動きを見ていようかなと思います。
もし、歩き始める日が来れば、自分でもうれしいです。
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