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これから穏やかに生きるために

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まず自分のために治る。そして家族のために。私が治っていけば、周囲に平和な毎日が広がっていく。それは何よりのことだと思う。
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「もっと」と思わないようにする(双極症)

 「もっと読者数を増やす」  「もっとSNSと連携する」  「書籍化する」  「そして一人でも多くの人の目にメッセージを届ける」 などの言葉はワクワクしますよね。もっとやれるんだ!と思います。  けれど、そこまで。  私は「もっと」と思わないようにしているんです。  「もっと」  何のために?  外向きにアプローチして、疲れているのではないかな。  今のままでいいじゃないの。お正月もそう決めたよね。  だから「もっと」とは思わないように。もうそれでいいのだから。

ペースを落として生きること(双極症)

 双極症の私が生きるために必要なのは、「ペースを落とすこと」 じゃないかと思います。  「やれるやれる」と教えられ、どんどんつめこんだり、いい方向を目指したりしてきたのですが、果してそれは双極症に良かったのでしょうか。    上昇志向はあるのですが、力の半分くらいで取り組んでた方が色々うまくいくような気がします。(以前は120パーセントくらいで生きていました。)     頑張るとか、息を切らすことで、双極症と生きていくことが簡単になるかと思うと、そうじゃない気がします。自分

これから5年間(2028年まで)再発・悪化しないための環境作り/孤独について(双極症)

  2023.4. 21の加筆再掲です。なのでタイトルは「2028年まで」になっています。  最近、「うつ(鬱)」を扱うメディアは多くなりました。双極症はうつ病ではないのですが、うつ(鬱)の世の中を見つつ、これからどうして過ごしていけば再発せず悪化しないだろうかと考えています。これから先、とりあえず5年。 1つ目のキーワードは「孤独」です。  「孤独」については、樺沢紫苑さんが、動画「独りが好きだけど孤独だと寂しい」で、 ①深い話ができる友達を持つ(友達は少なくて可、

今の活動は以前の4分の1以下(双極症)

 軽躁の時は、1時間にひとつの用事を詰め込んでこなしていました。今は午前にひとつ、午後にひとつやればいい方です。だから今の日常の活動は以前(軽躁の時)の4分の1以下です。  買い物には不便しています。でも「絶対今日買い物に行くんだ!」みたいな焦りはないので、「こういう生活もあるのかな」と思っています。  そんなこの頃の生活をハンバーガーショップの注文に例えると、 〈ハンバーガー チキンナゲット ポテト ドリンク(コーラ)〉 の注文をしていた私が  チキンナゲット だけで

半分の力でできることを探す(双極症)

 「半分の力でできること」は最近お気に入りワードです。  ある日、知ってる食べ物屋さんが商店街にいました。ビックリ。今日そういう日なの?いつもと違う曜日の出店です。出店したばかりのところに偶然出かけていたのです。  お昼にちょうどいいので少し買い物をして、家に着いた時、思いました。 (いまインスタに上げたらお友達のMさんに知らせることができるよね) (お店にとっても宣伝になるじゃん) とてもいい考えに思えました。 しかしその時、別の私がこう言いました。 「でもお腹すい

自分がこんなに落ち着いて生活できると思わなかった(双極症)

 以前は、週の初めは、ぐったりしつつも弾丸お出かけの日でした。 多分、今日あたりは10時を待てずに、その前からコーヒーショップに行ってたかもしれません。  そのジリジリした焦りみたいな気持ちのおかげで、美容院は予約できず、当日探すため、難航。月曜日開店の美容院は少ないですし、同じ店に行くことができないでいました。  図書館の開くのを待てずに、Amazonで買ってしまうとか。  SNSを見て、つい予定していない活動に出かけることも。  今も、ジリジリはありますが、noteに

今日ちょっと調子が良くてもやることを増やさない(双極症)

 気分がいいと、「もうちょっとやれるのでは」と思いますよね。私は最近こんな風に思っている自分に気がつきました。 「今日ちょっと調子がいいから、銀行に行ったついでに少しだけデパートに寄ろうかな?」 「今日ちょっと調子がいいから夕飯のおかず、いつもより多く作ろうかな?」 「今日ちょっと調子がいいから、バスの2駅歩いちゃおうかな?」  うん、待って。「調子がいいから」ってやってること、それはやらなくてもいいんじゃない?  その「調子がいいから」っていう感覚は「分かりにくい軽躁だ