コロナ禍で存在を消された私たち まえがき

私たちは世の中から消された存在だった。
でも、私たちは確かに存在していた。

医療から、国から、社会から見放され、検査も受けられず、「陽性者」という肩書もなく、今までに経験したことのない死を覚悟する程までのこの激しい症状は、新型コロナなのか?新型コロナではないのか?

前日まで元気に働けていたにも関わらず、突然始まった体の異変。猛烈な倦怠感で体全体が鉛で押しつぶされそうになり、上半身を起こすこともできず、腕の重さでスマホを持つこともできず、寝返りすらも難しい。
この日から1年半が経過した今も症状が残るなどと、一体誰が想像できただろうか。

病院では感染症扱いされるにも関わらずPCR検査は断られ、医師に体の異変の理由を聞いてもはぐらかされる。原因も治療法も分からず、次から次へと出てくる症状を誰にも理解されず、家族にさえも理解されず、襲いかかる経験したことのない激しい体の異変とただただ孤独に闘い続ける日々。
鉛のような倦怠感で全く動けない、息ができない、水下痢が続く、何週間も食事が取れない、味がしない、匂いが全くしない、腕や脚が痺れる、血管が浮き出る、複数の黄疸や内出血、走馬灯のような悪夢、電磁波過敏、化学物質過敏、肺が刺されるように痛い、心臓がドカドカと限界。。。短期間でどんどん様変わりしていく激しい症状は苦痛の連続であり、もう体が限界だと死を覚悟した日もあった。

そんな孤独な闘病生活を送る私たちを繋げてくれたものは、Twitterだった。
Twitterを開けば、そこには自分と同じ症状で苦しむ人たちがたくさんいた。私たちは、自分達の症状について日々報告し共有し合い、生存確認を行った。
そして、ここに集まった私たちは皆、今までに経験したことのない明らかにおかしな体の異変に確証を持っていた。
ーー「新型コロナとしか考えられない」と。

私たちは各自で人体実験を繰り返し、「緑茶を飲むと効いている気がする」「小麦を食べると悪化する」「味噌汁を飲んだら症状が落ち着いた」などと意見交換をし合った。
2021年現在はイベルメクチンなど治療薬の有力候補や抗体カクテル療法が確立されているが当時はそのような治療法はなく、医師も保健所も国も助けてくれず、家族の理解も得られないため、自分で自分の体を実験台にして何か少しでも症状が和らぐことを探すしか手段がなかった。
症状自体も激しい苦痛の連続であったが、何よりも当時は「未知のウィルス」と言われていたように、体内で何が起こっているのか全く分からず、ウィルス排出のタイミングも分からず発症から何ヶ月経っても誰かにうつすかもしれないなどの不安や恐怖は、心身にとてつもなく大きな負担としてのしかかっていった。
当時はとにかく情報が全くなく、この体の状態で何を食べ、何を飲んで良いのか悪いのかも手探り状態であり、「緑茶を飲むと良い」などの小さな情報でさえ、私たちにとっては数少ない心の支えの一つとなっていた。

また、意見交換をする中で、医療や保健所の対応が皆こぞって同じだったということが判明する。年齢も、住む地域も、性別も、家庭環境もバラバラで顔も見たことのない私たちではあるが、「PCR検査を受けられない」ことや、感染症扱いで隔離されるもののエビデンスがない等の理由で「心因性」という診断で片付けられることも驚くほど一致した。

Twitterには、日本在住の方だけでも明らかに新型コロナ症状と思われる人が数千人集まっている。新型コロナの正体が何であれ、2020年初頭(※早い方は2019年11月頃)から、PCR検査を受けられない方(以後、検査難民と呼ぶ)や、検査しても陰性だった方(以後、偽陰性組と呼ぶ)でも、謎の激しい症状を抱える人がたくさんいたことは事実であり、世の中から存在を消されたこともまた、事実である。

当noteは、当時コロナ禍の裏で、世の中から知れずに理不尽な社会の対応を受けながら「未知のウィルス」と闘い続け、自分や社会と向き合っていく私たちの記録である。
私たちは、医療や社会に対して適切な対応を受けられなかったという憎しみや恨みつらみを書きたいわけではない。
この新たなウイルス感染症の病態の多くが解明されていなかった中で、「エビデンスがない」とされたが為に、私たちの存在さえも認められない医療とは、社会とは、一体何なのだろうか。
私たちは闘病経験から、休職ひとつにとっても「医師の診断」を必要とされ、それにどれだけ生活や人生を左右させられるかを身を持って感じてきた。社会システムに対して自身で深く考えることをせず、疑いもなく当たり前のようにひたすら受動的であった私たちは、今までも社会に埋もれてきた様々な当事者の方たちから見れば無自覚かつ無関心という加害者側にいたのかもしれない。新型コロナ症状当事者になったからこそ、気づけた自身への反省や世の中への危機感から、今の社会に一石を投じる必要性を痛感し、noteに書き記すことを決断した。

2021年現在、新型コロナ感染状況が依然として終息する糸口が見えない中、日本でも後遺症外来の設立は少しずつ増えてきている。しかし、後遺症外来対象者は陽性者に限るとされるなど、2020年からの検査難民と偽陰性組の多くは、今もなお社会から取り残されたままである。
このnoteの目的は、まず第一に、社会の闇によって隠されてきた検査難民や偽陰性組の存在を明るみにすることである。このnoteに記載されている個々の記録を通して、私たちに対する認知や理解に繋がり、現在も同じような症状や社会の壁に苦しんでいる方々の心を少しでも癒やすことができるのであれば、我々一同、この上ない幸せである。

第二に、新型コロナ症状を発症した私たちが抱えていた個々の問題から、どのような社会問題が映し出されるのかを見つけ出し、社会について考えるひとつのきっかけとなることを願う。
歴史学や社会学等の分野においても、当時の医療や社会体制の研究に寄与するひとつの資料となり、よりよい未来を作り上げていくためのnoteとなれれば本望である。

最後に、このコロナ禍により、私たちに限らず多くの方が人生の軌道修正を余儀なくされたであろうと推測できる。
明日の朝を迎えることができるのか分からない程のどん底に落とされた私たちが、闘病過程でもがき苦しみながら生き、自分とどう向き合い、そこから得られた気づきとは何か。乗り越えられた人もいれば、少しずつ乗り越えようとしている人、希望を失い苦しむ最中の人、各々リアルな声をここに記す。
闘病経験により得られた私たちの糧から、当noteを読んで下さった方が僅かでも未来へ繋がる光を感じ取って頂けると、幸いである。

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