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「漁師と魚の話」について

 「漁師と魚の話」は1833年秋に執筆され、1835年に出版されました。原文の注釈によると、この民話は、様々な民族に広く流布している、富と権力への欲求を罰せられる老婆についての民話の、完全にプーシキン独自の変異型です。この筋立てをもつロシア民話では、老人と老婆が森の中で暮らしていて、老婆の望みを奇跡の木が、あるいは小鳥が、あるいは聖人などがかなえます。プーシキンはドイツの民話を利用しました。ドイツの民話では、出来事は海辺で起こり、老人は漁師で、すべての望みのかなえる役として登場するのは、魚のヒラメです。プーシキンはこのあまり詩的でない形象を(さらにドイツの民話では、ヒラメは魔法にかけられた王子です)、富と豊かさと成功の民族的象徴である金の魚に変えました。様々な民族がもっているこの民話の意味は ― 「人はおのれの分を知れ、身のほどをわきまえよ」ということです。
 一方、プーシキンの民話では、老人の運命は老婆の運命と分けられています。老人はふつうの農民であり、漁師のままでいますが、老婆が”社会的階段”を上れば上るほど、老人に与えられる抑圧はますます重くなっていきます。プーシキンの民話の老婆が罰せられたのは、貴族婦人や女王になって暮らしたいと望んだからではなく、貴族婦人になったとき、彼女は自分の僕をなぐったり、《前髪を引っぱったり》、夫である農民を厩の仕事に行かせたりしたからです。また、女王になったときには、彼女はおそろしい護衛たちにかこまれて、自分の夫を斧であやうく殺しかけたからです。また、彼女は金の魚を自分に仕えさせて自分の使い走りをさせるために、海の支配者になりたいと望んだからです。このようなことが、プーシキンの民話に深く進歩的な意味を付与しています。
 
 ここで述べられているドイツの民話とは、1812年に刊行されたグリム童話の「漁夫とおかみさんの話」だと思われます。ちょうど私の本棚にちくま文庫の『完訳グリム童話集1』(グリム兄弟著、野村ひろし訳)があり、それにこの民話が載っていました。ドイツの民話では、お婆さんの望みの行きつく先が神とあって、驚きました。たしかに、こちらからは「身のほどをわきまえよ」という教訓を強く感じます。
 プーシキンの民話詩からは、階級社会に対する嫌悪感、為政者に対する不信感を感じました。なによりも、金の魚=富の象徴をためらうことなく海に放す、お爺さんの心の無欲さと優しさを感じました。そういうお爺さん=民衆の素朴で真面目な生き方に、プーシキンは深い敬意と愛情を抱いているのだと思います。
 

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