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プーシキン伝記第二章 ペテルブルク 1817-1820⑤

 А.Ф.オルロフ ― デカブリストの兄弟、 ― この当時やっと30才を越えたばかり、アウステルリッツ付近で戦闘を始めたエカテリーナ二世時代の高官の息子であり(《勇敢にささげる》黄金のサーベル)、ボロジノの草原で7つの傷を受け、30才で少将、近衛騎兵隊の指揮官、皇帝のお気に入りである彼は、たくさんのことをいろいろと話すことができた。А.И.チェルヌイシェフ、年はオルロフより若いけれど、肩を並べるほど人生経験が豊富であった:度重なる、長時間に渡るナポレオンと対談や、フランスの皇帝の全ての側近についての素晴らしい個人的知識が、この侍従武官長を興味深い話し相手にさせていた。П.Д.キセリョフ ― 賢明で機転の利く野心家で、出世が早く、31才ですでに少将になり、皇帝アレクサンドルに最も信任を受けた人物であると同時に、ぺステリの最も親しい友人にもなり得た。彼らは皆、アレクサンドル一世時代の活動家の精神にを持ち、《法にかなった自由な》思想をいとわず、3人とも後に高級官僚として頭角を現した。
 しかしながら、プーシキンはこのグループ内で有頂天になった少年ではなく、探求心に富む観察者であった、というプーシンのこの証言はまさに、承認されうる。キセリョフは、彼の友情と自由思想に対する誠意を信じ、そのために命を失った、洞察力のあるぺステリでさえ理解できなかった一方で、20才のプーシキンは彼についてオルロフへの書簡のなかで書いている:

 将官キセリョフには
 自分のいかなる望みもかけない、
 彼はとても親切だ、それについては言うまでもない
 彼は狡猾な者
   〈清書した自筆原稿にはよりはっきりと:《暴君》―ロトマン註〉
       と無学者の敵…
 …しかし彼は廷臣:約束は
 彼には何の価値もない(II,1,85 と 561)

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