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[Behind The Scenes]黒胡椒 +‪α

喧嘩の原因がなんだったかは忘れた。

いや厳密に言えば僕が一方的に謝っていた気がするから、僕がまた何かしでかしたのだろう。

どちらにせよ原因はよく覚えていない。

駅で彼女を拾い近くの家電量販店の駐車場に車を停めた。

店舗の一階部分の駐車場は、売り物のLEDの実力を証明するように夜でも目が痛くなるほど明るい。

平日のこの時間は停まっている車はまばらだ。

「ごめん」と謝って少し話をして、僕は頃合いを見計らって自分のバックからあるものを取り出した。

ハンカチに包まれたタッパーとフォーク。
タッパーの中にはスパゲティ。

メニューはカルボナーラ。

プレゼントにしても何にしても、値段云々より手間を割いた手作りが好きなのが僕の主義だ。

いや値段の高いものが嬉しくないわけではない。それだって働いて得た対価から為るものだから当然価値のあるものだけど、手間というのはお金同様、いやそれ以上に価値のあることだと思っている。

だから「ごめん」の気持ちを表すためにカルボナーラを作ってきたのだ。

まあカルボナーラなんて手のかかるものではないけれど。それは今は置いておくとして。

タッパーを開くと、家で作ってから少し時間が経っていたから、チーズのソースは少し固まってしまっていてあまり美味しそうには見えない。

不恰好なそれを、彼女は頬張る。

普段料理などほとんどしない僕が作れる数少ないメニュー、それがカルボナーラだった。


「美味しいよ」
と言ってもらえて僕は胸を撫で下ろした。


「でも」
と彼女は続ける。


「黒胡椒って私好きじゃないんだよね」


衝撃だった。
この世にそんな人間がいるとは思っていなかった。

僕はと言えば大好きだ。
普通の胡椒と違って視覚に訴えかけてくるものがあって、肉にかかっていれば5割増しで美味そうに見えてくる。

そもそも黒胡椒がなければカルボナーラとは呼べない。
ピンクベストを着ていなければオードリー春日ではない。

それくらい大切な構成要件だ。

だからそれを力説したが、黒胡椒が苦手なことが覆るわけではない。僕はそれで少し不機嫌になった。

おい、謝罪の気持ちよ何処へいった。

話が一段落すると、仲直りのしるしとでも言うように僕らは長いキスをした。

さっきまで誰ひとりいなかったのに、このタイミングで車の前を人が横切り思い切り見られてしまった。無駄に明るいから見えなかったということは無いだろう。
途端に恥ずかしくなり、優秀すぎるLEDが恨めしくなる。

「じゃあ今度は黒胡椒は入れないで作るね」
と約束して、彼女を家まで送った。

だが結局この約束は果たせずじまいに終わった。






果たせずに終わった約束がいくつあったろうか。

「ディズニー行きたい」と言われても
「そのうちね」とお茶を濁した。
「いちご狩り行きたい」と言われて
何となく探してはいたが、そのまま別れてしまった。

結局僕は正面から彼女と向き合っていなかったのだ。
彼女のことを本気で考えられていなかったのだ。

付き合って間もない大学2年の夏休み、
「最近ずっとこの曲聴いてる」
と言っていた曲があった。

SHISHAMOの「夏の恋人」

僕はこの曲が聴けなかった。彼女が何を思っているのか、何を考えているのか知るのが怖くて。

「昔のこと話したい」
といわれても聞くことができなかった。
傷つくのが怖かったから。

そのくせして自分の傷はひけらかした。
そして優しくするよう仕向けた。


「夏の恋人」をようやく聴けたのは、
別れてから2年が過ぎてからだった。

どうしてあの時すぐ聴かなかったのだろう。
彼女の不安を抱き締められなかったのだろう。


僕の人生丸ごとそんなことばかりだ。

向き合うべきことから逃げ、くだらないプライドを守ることだけに躍起になっていた。

もうそんなことはしたくない。
誰ひとり悲しませたくないし、裏切りたくない。

笑顔にしたい、そして幸せにしたい。



だから僕は、命を削って音楽をやることにした。




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