見出し画像

中村憲剛選手はじめ、川崎フロンターレの皆さまへの感謝の気持ち。


こんにちは。

今までnoteでは病気のことを書いてましたが今日は小さい頃から応援していたフロンターレ、中村憲剛選手について綴ろうと思います。

2020年シーズンで引退してしまった憲剛。私は憲剛がフロンターレに入ってきた年に、フロンターレのサポーターになりました。

その頃はスタジアムには全然人もいなくて、近くに住んでいて親に連れられてルールもわからずなんとなく楽しく見てました。

小学生だった私はクラスメイトの男の子に、女なのにサッカー見にきてんのかよという視線を向けられるのが嫌だったのを覚えてます。それでも、フロンターレの試合を見るのが好きで毎週末が楽しみで仕方なかったのを覚えています。

そこから毎年毎年、大きくなるに連れてアウェイにも参戦し、でも勝てず。優勝できず。

私の人生においても、高校受験も、大学受験も失敗。もうだめだ、一番いきたいところには行けない運命なんだな、そんなことをずっと考えていました。

私は自分の人生とフロンターレを重ねていました。

失敗続きの私でしたが、ずっと夢がありました。

誰かの力になりたい。社会の力になりたい。私の強みを生かしてそれが一番できる、私は客室乗務員になりたいんだ。


フロンターレを応援し続けた結果、持った夢かもしれません。

辛い時は、フロンターレの選手はもっと大変な練習をしてる。そう思い自分も努力し続けました。それが1番の励みだった。フロンターレはすごいよ、J2だった頃を知ってる私にとって、こんなにいっぱいのサポーターと、J1で優勝争いするフロンターレに力をもらっていた。

就職の面接でも、生まれ育った地、国に恩返しをしたい。それができるのは私の接客でたくさんの人を笑顔にすることが一番早い手であると思う。私は小さい頃から、地元のサッカーチームを応援していて、本当に力をもらっていた。だから、今度は私が誰かこの国や生まれ育った地域に恩返しをしたいんだ。ということをそのまま話した。

その結果、大手2社から内定をもらい私は今客室乗務員として働いている。

2017年入社し、この年のシーズンにフロンターレも優勝している。やっぱり私とフロンターレは同じ運命を歩んでいるんだ、そんなことすら思った。笑

入社して、私は客室乗務員として働いている。夢を叶えたのは良いが、そこから自分が描いてた人間になれているのか、そんなことをこのコロナ禍で仕事が減った時に考える。フロンターレは2020年シーズンも素晴らしい結果で、私はおいていかれてるな、と心の底から感じた、全く人の力になれていやい。

まさに憲剛の引退セレモニーを見た時。気持ちや心や行動が違いすぎる、と本当に思った。

憲剛をはじめ、フロンターレに本当に支えられて励まされ私はここまで生きてきた。川崎の力になりたい、今こそ私はそう思うんだ。

憲剛のサッカーしてる姿を見れないのは残念で仕方ない。でもまだこの先があることを楽しみに、私も負けないくらい誰かの背もたれになれるように。成長していこうと思う。


川崎フロンターレの皆さま、いつもありがとうございます。私も負けないくらい、頑張ります。

客室乗務員の仕事が減った今、私のできること。行動を起こしていきたいと思う。フロンターレと一緒に川崎の力になりたい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?