まるで大人の社会見学。京都西陣で触れた織物の世界。
カラン、カラン、カランと小気味良く回る糸繰機。
京都 西陣の織元に訪れた。
半日かけてたくさんのお話を聞き、たくさんのお写真を撮らせていただいた。
知らない世界がそこには広がっていて、耳慣れないけれど、どこか懐かしく心地よい音が至るところから聞こえて来る。
そんな素敵な空気が流れる場所だった。
朝の日差しが差し込む中、取材を開始する。
とあるプロジェクトの内容を詰める為に、プロジェクトの発起人の方と共に席に着く。
まだまだ暑さの残る10月の午前は、時折さわやかな風が会議室にも吹き込んでいる。
そもそもわたしには西陣織についての知識はない。事前には調べて来てはいるものの、何を持って西陣織というのか?から、入らなければいけない。
そう、定義付けは大事。
そんな初心者レベルのわたしに、先方はとっても丁寧に説明してくださった。
そして、用語も細かく説明してくださる。
未知な言葉が山盛り出て来ている。
メモが追いつかない…そして漢字もわからない。。。
30年以上文字を書いているはずなのに、漢字が書けなくて書けなくて、情けなし。
メモを見返すのも悲しくなるほどよ。
さて、根掘り葉掘り、不思議なことも、技術的なことも、ネタになりそうなことを探す為に、あっちこっちと質問を繰り返す。
時折、おおお!それいただき!みたいなパワーワードが現れる。
でも、漢字が書けない…
スマホの弊害だな。漢字は予測変換で大体出してくれるし。
読めても書けないが多すぎて反省しかない。
いや、漢字が書けない話はもういいのだ。
そこら中に無造作に置いてあるものにも歴史を感じる。
レンチやドライバーなどの工具類も、格好良い。
織機がたてる音もがしゃん、かしゃん、がしゃん、かしゃんと心地よいリズムで響いている。
柄を出す仕組みを懇切丁寧に教えていただいたが、設計図に当たる紋紙が昔は手作りだったことに震え、ほんのわずかの生地、柄に、相当な時間と手間とが織り込まれている。
たくさんたくさんシャッターを切ったけれど、あの歴史の重厚感はカメラには写り込まなかった。
極彩色の絹糸も、目に映る色と空気は、画面上には出なかった。
この想いをどう現そう。
新しい見識はわたしに染み込んだけれど、その場で感じた空気感は、わたしの中で何にも変換されず、外に出ようとしない。
ひと織り、ひと織り、織り込まれていく織物のように、ゆっくり外に出てくるのかな。
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