傷ときずなとたりないひとり。 _ありすのエッセイvol.3
「たりないふたり」をご存知だろうか。
お笑いコンビオードリーの若林正恭サンと、南海キャンディーズ山里亮太サンの番組であり、その2人のユニット名としても通っている。
番組が開始した2012年当時、ふたりは「人見知り」「ひねくれた考え」などどちらかといえば陰の共通点を持ち合わせていて(というかもうその代表格で)、さまざまな「たりなさ」を克服していく(体で世間への鬱憤を発散していく)という内容。
はっきり言って共感の嵐だった。
テレビの中に友達ができた気がした。
バイブルというか、青春というか、神格化ではなく、青春のように覚えていて、そして色褪せていってもいる。
ふしぎと、改めて見返しても、当時のように面白くないのだ。「人間変わるんだなぁ〜」、「おれ、これに共感してたのか」とすら思う。
青い記憶。
さよなら、たりないふたり。
昨年の山里サンの結婚を機に、11月に行われた「さよならたりないふたり」というライブ。それを最後に、たりないふたりはその7年強の活動に一旦幕をおろした(いきなり元日にラジオで共演してたけどね)。
まぁ、今後たくさん触れるであろうその詳細な説明は省くとして、きょうは僕が愛してやまない若林サンのひとことをご紹介。
陰方向にパラメータを振り切った山里若林両名は、いくら同期といえど(若林サンは一時期先輩だと思っていたらしいが)番組開始当初はそれはまぁ複雑にお互い様子を見ていたそうで。
それが回を重ねるごとにだんだん距離が近くなり、今やお互いがお互いを「特別な存在」と言って憚らないほどに。
なんでそうなったのか、そうなれたのか?
番組プロデューサーから山里サンの悩みを共有されたとき、若林サンがその答えをこう話している。
「いや〜、傷が似てるんだな。傷が似てると人は仲良くなれるんだ」
これをオールナイトニッポンで聞いたときは絶句した。
この言葉をきいたプロデューサーは涙ぐんでいたらしいけど、ほんとうに僕もそんな感じだったんだ。
いわゆる家庭の事情というやつを抱えて学生時代を過ごした僕は、
「苦労をしているやつはいいやつ」
「何不自由ない家庭で暮らしている人間とはわかりあえない」
と思い込んで生きてきた。
そして実際、なぜかいろんな事情のあるやつがまわりにたくさんいた。
だから余計に信じた。
もはやそれを美とすら思っていたのかもしれない。ハングリー精神とでもいえばわかりやすいのだろうか。でも、この感覚を表現する術がずっとわからなかった。人に伝えることは絶対にできなかった。どんな言葉を選んで表現してもどうも角が立つし、なにより自身で違和感があった。しっくりこなかった。
若林サンの言葉がえらく刺さった理由は、言うまでもなく僕がずっと探していたものだったからだ。
溶けるように、染み込むように入ってきた。
「傷が似ている」。こんなやわらかく、しかし芯を食った表現があったなんて。そのやわらかさとはうらはらに、心に着弾した時の衝撃ったらすごかった。
そしてもう1つ理由がある。
それは、僕と境遇が近いやつらはただ傷が似ている「だけ」だとわかったこと。
自分のどうしようもないコンプレックスのせいで、「あいつらはくだらない」と僻んでいた比較的裕福な連中にだって、僕には見えない傷があったんだと理解した。そのときはもう、いよいよ叱られてるのかとさえ感じた。笑
僕の大好きな漫画に出てくる主人公の言葉にも、こんなものがある。
「心配せんでも、それなりにみんな、それぞれ不幸やから」
毎週土曜日の深夜、ラジオから聞こえる若林サンの声。ふだん彼の過激な言葉のチョイスとは裏腹に感じるやさしさやあたたかみが、あの言葉にはことさら大きく宿っていたようにきこえた。
そしてそのかけらが、どうやら僕にも、少しずつ。
そうだといいな。
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