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“静かな共鳴”で世界が広がる~14歳の時に書いた作文を読み返して思ったこと~(エッセイ)

先日、実家に帰った時のこと。置きっぱなしだった書籍を持ち帰ろうと自室だった部屋の本棚などを漁っていたら、B5判の薄い冊子を見つけた。

タイトルは「ジュニア作文 作品集」。発行はNHK学園。
私が中学2年生、14歳の時に受講していた通信教育講座「ジュニア作文」で、年に2回出していた作品集だ。
ここには、受講生が提出した作文の中から選りすぐったものが掲載された。手元にある2冊の作品集には、私が書いた作文も載っている。

私が、この「ジュニア作文」を受講したのは1年間だった。月に1回、いくつか与えられたテーマの中から1つ選んで400字の作文を書き、郵便で提出する。すると、講師による講評が添えられて作文が返送される流れだった。

子どもの頃の習い事は、母親に促されて始めるパターンがほとんどだったが、「ジュニア作文」は自ら望んで始めた。活字中毒の上に文章を書くのが好きだった私は、とにかく色々なテーマで書いてみたかったのだ。

ここに、「作品集」に載った私の作文のひとつを書き記す。理由は、これを読み返して得た気づきを、noteを読んでくれた方に紹介したいと思ったからだ。

作文のタイトルは「思い出はアルバムの中」。「心に残る出来ごと」というテーマで書いた。

◆◆◆

思い出はアルバムの中

 この間の事です。私は昔のアルバムを見ていました。まだ幼稚園前のアルバムです。ぱらぱらとめくっていたのですが、ふとある写真に目が止まりました。

――あの子だ。そうにちがいない。

私が4、5歳の頃、川崎のアパートに住んでいたのですが、となりか、そのとなりかは忘れましたが、同い年位の男の子が住んでました。私はその子と、雨降りの日に、階段の下できせかえ人形で遊んだのを覚えています。他の事、その子の名前も顔も忘れてしまったのに、その遊びだけは覚えていたのです。

――やっと会えたね。

私はとても懐かしい思いになりました。
今、あの子は何をしているのか、どこにいるのかも分かりませんが、きっと、優しい子になっているのじゃないかな、と思います。何故って、雨の寒い中、私の我がままにつきあってくれたのですから。

◆◆◆

全文を書き写していたら、あちこち修正したくなったけど我慢した。つたない文章だが仕方ない。これは14歳の私が全力で考えて書いた作文なのだ。きっとそのまま載せた方がいいだろう…。

◆◆◆

私は、幼い頃から作文を書くのが好きだった。
小学生の時は、起承転結のある文章と分かりやすさを心がけて書いていたように思う。ところが中学生になると、独自性を求めるようになった。どうすればそういう文章が書けるのか。そこで「ジュニア作文」を受講し、毎回、自分なりに実験を加えることにした。いくつかの決めごとというか、こだわりを入れて書くのである。そのこだわりがいつか自分の血肉になり、「私らしさ」へと実を結べばいいなと考えたのだ。

この作文は、3つの小さなこだわりをもって書いた。

1つめのこだわりは「入れ子構造」であること。
この作文は、“アルバムを見て過去を懐かしむ14歳の私の話”を軸に、“4歳の私があの子と遊んだ思い出”が入れ子になっている。
つまり、4歳の私の「心に残る出来ごと」と、それを思い出している14歳の私の「心に残る出来ごと」、この2つを同時に表現できたら素敵だな、と思ったのだ。過去の私と現在の私が対話しているかのような文章が書きたかった。

2つめのこだわりは「ですます調」だ。
私は小学生の時から向田邦子さんの書くエッセイが好きだった。彼女のエッセイのほとんどは「だ・である調」だが、中には「ですます調」の作品があり、それがとても印象に残っていた。
特に好きだったエッセイは「手袋をさがす」。若い頃の思い出にまつわる内容に「ですます調」がピタリとはまっていた。私もこういう文章が書きたい、と志だけは高く持ってチャレンジした。

最後のこだわりは、「特別な出来ごとを書かない」。
旅先での珍しい体験、体育祭や文化祭などの学校行事。感動的エピソードになりうる「特別な」ことは書かない。いわゆる鉄板ネタではなく、何気ない題材で書いた文章で、読んだ人の心を揺らしたかった。
ひとりで、昔のアルバムをめくった。
それだけで、「いいね」と言われる文章が書けたらと思った。

たった400字の作文。適当に書こうとすれば書けてしまう文字数でもある。けれど私は毎回、真摯に向き合って取り組んだ。
振り返ると、ここまで思いを巡らせて書いていた14歳の時間は間違いなく豊かだった。それに気づけたのが、とても嬉しい。

◆◆◆

私は思春期の数年間が嫌いだった。
何のためにやるのか意味を見いだせず、集中できなかった勉強。狭い狭い“学校”という世界で繰り広げられる、退屈な上に息も詰まりそうな友人関係。くっついたり離れたりと、幼さゆえの移り気に翻弄された恋愛。”いい子”でいて欲しいと望む親との確執…。
当時、私は常にイライラする気持ちを抱えていた。なにもかも思い通りにいかなかったし、すべての事が的はずれだと感じていた。勉強も、友人関係も、恋愛も。

加えて、あの頃はまだネットもSNSもなかった。だから、自分の気持ちを文章にして人に読んでもらう機会は、あまりにも少なかった。

でも14歳の私にとって、書くことは生きることと同義だった。時に情緒不安定になりながら、訳の分からないプレッシャーに潰されそうになりながら、それでも自分の中にある気持ちや考えを伝えたくて、私は飽くことなく文章を綴った。

NHK学園で作文を書いたり、小説やエッセイのようなものを書いて学校の先生や友人たちに見せたり。通っていた中学の生徒会新聞の記者もしていた。学校の行事や取り組みについて、取材をして書き、週に1度発行する。生徒たちに興味を持って読んでほしくて、毎回頭をひねった。

そのどれもが、本当に小さな場所への発信だったけれど、とにかく自分の文章を読んでもらえるのが幸せだった。

嫌なものだらけと思っていた世界で、14歳の私はひたすら好きなことに没頭していた。
文章を書いて伝えること。そして読んだ人に応えてもらうことを求めて。そう、私は文章ーあるいは言葉ーを通じて、“誰か”とつながり、対話することを望んでいたのだ。

◆◆◆

私は一体、誰と対話したくて文章を紡いでいたのだろう。

当時は、学校の友人や先生、NHK学園の作文であれば添削してくれた人だと思っていた。それは間違いない。
だが、決してそれだけではなかったことに、数十年を経た今、改めて気がついた。

「思い出はアルバムの中」を読み返すと、14歳の私が現在の私に語りかけているような気がする。当の本人からすると、あの400字の作文には、どんなドキュメンタリーよりも鮮明に、あの頃の自分の思いが閉じ込められているのだ。

過去の自分は、今の自分を映す鏡だ。
私はゆっくりと14歳の私と向き合う。それは、ひとつの作文によって過去の私と現在の私がつながった瞬間だ。
鏡の向こうには、繊細で、でも真剣に好きなことに取り組んでいた14歳の私がいる。考えに考えて文章を書いていたあの頃の私は、自由と希望に満ちていた。少なくとも、今の私からはそう見える。

14歳の血気盛んだった私が、現在の私に向かって雄弁に語りかけ、発破をかける。
あなたのやりたいことはなに?
本当に書きたいことはなに?
あなたの思いは読む人に届いているの?

私も14歳の“彼女”に問う。
あなたの活力はどこから湧き出ていたの?
虐げられていると思っていた世界で、何を糧に表現を続けていたの?
あの頃、一体誰に何を伝えたいと思って書いていたの?

14歳の私は、どんな未来を見つめて書いていただろうか。“彼女”が夢見ていた場所に、私は今、立っているのだろうか。
私たちは静かに向き合って、共鳴する。そしてお互いに問い続ける。その時、今まで見えていなかった世界がゆっくりと広がっていく。

◆◆◆

もちろん、私の書いた文章を読んでくれた人たちも、自分の姿を写す鏡だと思う。
私が揺らしたさざ波をしっかりと受け止め、言葉を返してくれる人たち。彼らがかけてくれた言葉の数々に向き合うことが、前に進む原動力となる。

「あなたの文章や考え方が、先生は好きなの。あなたはどんな大人になるのかな?楽しみね!」
中学生だった私に、国語教師が言ってくれた言葉。

「私は君を採用するつもりはない。ただ、君が書いた小論文がとても面白かったから会ってみたくて呼んだだけ」
就活中、とある出版社の最終面接で、面接官である社長に言われた言葉。

「あなたの体の中にはマグマのようにドロッとした熱い思いがあって、それを文章にしている。それがあなたの個性」
ライターを始めた頃、仲の良い友人に言われた言葉。

「当時、何も考えている余裕はなかったけれど、こんな風に見えてたんだなぁって感慨深かった」
私が初めて書いたnoteに登場したある人が、Twitterで呟いた言葉。

他にも、私の文章を読んだたくさんの人が、たくさんの言葉をくれた。


私は彼らに言われた言葉を忘れずにいる。なにかを書くたびに、それらを思いだし、自問する。

私は、夢と希望がにじむような文章を書いている?
書いた人に会ってみたくなるような内容?
熱い気持ちを込めて書き上げた?
当事者も気づかない角度から光をあてて書いた?

もっと文章を磨き、読んでくれた人たちの気持ちを揺らしたい。そして、できることなら彼らが自分の心と向き合って、“何か”を気づく糧になってくれたらと願う。

◆◆◆

今後も、私の文章を読んでくれたあなたが私と向き合い、自分自身と向き合うことがあるかもしれない。

だから。
私はあなたに問いかける。
あなたも私に問いかける。
私は私に問いかける。
あなたはあなたに問いかける。
あなたはなにかに気づき、なにかを得る。そして時には、なにかを失ってしまったことにも気づく。心の深いところに隠れていた思いが揺れる。あなたと私の思いが共鳴し、広がっていく。

過去の自分も過去のあなたも、
現在の自分も現在のあなたも、
未来の自分も未来のあなたも。
何もかも、いつでもどこでも文章からつながっていける。文章の意味を考えている内に、お互いの鬱屈していた気持ちは溶けていき、世界は自分の想像よりもずっとずっと開けていることを知る。

私は幸せだ。だって、今この瞬間にも、あなたが私に向き合っている。あなたが考えてくれるから私がいる。あなたの心が、私を存在たらしめる。広い世界の片隅で、それらの思いは広がっていく。私もあなたと静かに向き合う。

私は書く。
今ここに自分がいるということ。
今ここにあなたがいるということを。
考えに考えて書く。その言葉によってのみ、私たちはつながれ、世界は大きく開けていくのだと思う。

それを繰り返して、人生はこれからも続いていく。



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