世界の美しい瞬間 14
14 パイン
雨の日に、楽しみにしていることがある。
古くから植わっている、松の木の下を通ることだ。
雨宿りができるくらいの枝ぶりの松は、不思議と晴れた日には(自転車だからか)あまり感じないのだが、雨粒に濡れると、独特の香りを放つ。
ほんとに、ふわっとしとやかなのだ。
ほどよい距離を保ちながらも、好意を送ってくる女子マネージャーのような
行き届いた気のきかせかたをする旅館の若女将のような、
それとなく人生を見守ってくれる、おじいちゃんのような、
絶妙な加減なのだ。
わたしは、松の香りを好きとは気がついていなかった。
また、良い香りがするが、それが松の木から放たれるものと、側を通っただけですぐに分かったのはなぜだろうと思っていた。
それに気がついたのは、京都に来てからなのだ。
何ヵ月前だろうか、今日と同じように、世界をしとしとと濡らして行く雨粒の中、ゆっくりと歩を進めていた。
見上げると、松が放射状に広げた針も、水気を含んだ重さに少したわんでいるように見えた。
松の匂いが、ふわりと鼻をくすぐった。
それで、思い出したのだ。
わたしはこの匂いを、昔は海のにおいだと思っていた。
わたしは瀬戸内海の出身だ。
晴れた日には、手入れされた松原のある砂浜によく行っていた。
行くと、必ず波の音と、その波が運んで来る潮風が、向かえてくれた。
そして、必ずこの匂いに包まれていたのだ。
もちろん、この匂いを含んだものが潮風なのだろう、けれど、ここに海も、その塩気を孕んだ風もない。
松の匂いだったんだ。
強烈に感覚に染みて、溶け込んでいる記憶が、身体中を流れた。
松の香りを媒体にした、故郷の全てだった。
ああ、とても、とっても、好きだったんだ。
懐かしいけれど懐かしくない、帰りたいけれど帰りたくない、今は、宝物のようにそこに在って欲しい。
松の匂いは、かつても今も、わたしを優しく包んでくれている。
雨の日が楽しみになったひとつは、松のおかげなのだ。
さて、ベッドの材質はパイン材。
五山の送り火では、松の薪を使うそうだ。
気がつけば気がつくほど身近であり、ご縁を感じる木なのである。
追伸:13より、カレー作りました。
初のスパイス使いをしました。
本気でおいしかった……もうない。
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