#38【強迫性障害】「自分ルール」という囚われの檻。
🍀本日の気づきハイライト🍀
🔹1%の不安に対処しようとする
🔹不確実性に耐えられない
🔹頭の中では誰より動いている
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本日もお疲れ様です、りあけんです!
久しぶりの投稿になってしまいました。
もう春ですね。
春にしては北海道はまだまだ寒いです。泣
本日もさっそく心の気づきをシェアしたいと思います。
本日は、
《【強迫性障害】自分ルールという囚われの檻》
というテーマでお話ししていきたいと思います!
さて、
不安が強くて悩んでいる方で、共通点は多くあります。
その一つとして、
「ほんのわずかな不安でも1%でも可能性があることだと、それを真剣に捉え考えてしまう」という点。
これは見方によっては長所ともなりますよね。
人が気づきにくい細かい変化に注意を払って、それに目を向けることができる。
しかし何事も度がすぎては害になり得ます。
この才能がかえって自らを苦しめることになる。
日常生活でもしわずかな可能性でも起きうる不安なことを挙げたら果たしてどれくらいあるでしょうか。
車の運転、人通りの多い場所、職場での失敗など。
極端な話で言えば、飛行機は墜落の可能性があるから乗れないとか。
確かにほんのわずかでも可能性はあります。
しかしそれを言い出せば究極、今隕石が降ってくるかもしれない。
世の中は不確実だし理不尽なものですよね。
神経症的傾向が高いということは、一つの才能でもあり、それが足枷にもなってしまうと言えるでしょう。
自分の行動範囲が制限されたり、
必要ないことに自らのエネルギーを消耗してしまう。
気がつきすぎるから人との関わりを避けてしまうとか、
他にやりたいことがあるのに、
気になることも多いから億劫になるとか。
このように「不確実性に耐えられない」というのが一つ共通するネックポイントと言えるでしょう。
そしてもう一つ言えることがあります。
「頭の中では誰よりも動いている」という点。
内向的で思慮深いというメリットがある一方、
考えすぎることによる代償も大きい。
考えすぎている間、動きが止まってしまうことは往々にしてあります。
他者から見るとただ止まって見える。
強迫性緩慢とか動作性緩慢とか言いますよね。
本人は真剣に頭の中でチェック作業を必死に行い、自分の考えや行動をコントロールしようと必死なわけです。
ただ、この頭の中でたくさん動いているという状態。
これは根本に異常なまでの不安があって、その不安がそうさせているということが考えられそうです。
考えることが好きというよりも、もはや思考に囚われていると言える状態。
これは正常の思考とは角度が違うように思います。
不安を強く感じ、その不安に対して手を打つ。
その一連の流れがもしエラーだったら。
それに自分で気づくのは難しいですよね。
むしろ恐怖や不安に対して手を打っているという、装いはとても悪いようには感じない。
ただ、そもそもその強烈な不安自体が錯覚のようなものなら、それに対して打つ手は本来必要ないものになる。
そこに膨大なリソースを割かれては日常生活で制限がかかってくるのも無理はないですよね。
まさに恐怖や不安に抗おうとする自らの努力が、自分ルールが、自分を苦しめることにつながる。
自分の思考が敵になってしまっていると言えますよね。
自分にとってはそれが正解になっているルールだから、こだわってしまう。本物のメッセージに感じてしまう。
冷静になって考えると正常ではないと不合理だと、わかっていてもその衝動に不確実性に抗えない。
不甲斐なさを感じたりして、心には悪循環になりかねないですよね。
コントロールを失っている状態とも言えるでしょう。
🔹1%の不安に対処しようとする
🔹不確実性に耐えられない
🔹頭の中では誰よりも動いている
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🪽おわりに🪽
自分が今「こういう状態にあるいうことを客観視する」ということが一つの気づきになるのかなと思っています。
もちろん、「ではどうすればいいのか」とか、「それはわかっているけどどうしようもない」とか、色々あると思います。
ただ、まず俯瞰して自分の状態を一歩下がって見えているか。
他者の視点から自分を見たら、自分はどう見えているのだろうか。
そこも一つの気づきになるのかなと思っています。
気づくことが人生に希望を見出してくれる。
今日の内容が何かの発見になれば幸いです⭐︎
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