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#29 【罠】優しい言葉の裏側

🍀本日のテーマ🍀

【 優しい言葉の罠 】

📕全体📕

💫精神的に辛い人のその辛さが
 辛いままなのは、
 もしかしたらなるべくして
 なってしまっているかもしれない(本末転倒)

💫甘い言葉や優しい言葉、
 慰め合う関係の危険性

💫できないのではなく
 やらないを選んでいる?
 (やらなければ余計にできなくなる)

💫自分の人生の手綱を放さない姿勢

💫当たり前に感じている安心感は罠かもしれない


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本日もお疲れ様です、りあけんです。
さて、本日考えていきたいテーマは「優しい言葉」についてです。

最近、世の中って意外と本末転倒なことが多いな〜とふと感じています。

簡単にいうと、さまざまな状況は、
なるべくしてなってしまっている」、といった感じ。

そしてどんな状況や状態もいくらでも正当化できてしまうということ。

どういうこと?ってなりますよね。
この考えをもう少し解像度を上げて説明します。

例えば、自分が精神的に参ってしまっている状態を想像してください。
それは人によって様々な理由がありますよね。
当然理不尽でつらすぎる状況だってあるでしょう。

精神的に辛い状態であれば、人は安心感を求めるものですよね。
理解や共感、あるいは建設的な解決策を模索する。

具体的なアクションとしては様々な選択肢がありますね。
今回考えたいのは、アクションを起こしたあと、
他者からかけられる優しい言葉の本質についてです。

甘い言葉や優しい言葉って、もしかしたら罠にもなりうる。

もちろんその人が悪意を持っているわけではありません。
結果として、展望が開ける方向へ向かえば問題ないのですが、
往々にしてそうはならないようなのです。

なぜ優しい言葉をかけてもらっても尚、その状態がずっと変わらないのか
それはもしかしたらその状態を自ら選んでいるからかもしれないのです。
(無自覚かもしれない)
むしろその道を選んでいる。
(心のどこかで変わることを拒絶し、むしろその境遇に甘んじている)

もし死に物狂いで本気で変わりたいと、
心から願っているならその状態から抜け出したくて必死で足掻くでしょう。

変わらない人と変わる人、何が違うのでしょうか。

つらすぎる状態から抜け出したいというのは誰でも思うこと、それは一緒ですよね。

どのような行動を実際にとっているのでしょうか。

変われない人の行動は、どうやら本末転倒なことが多いようなのです。

多くの人がこの罠にハマっているように思うのです。

シンプルにいうと要するに、
結局嫌われたくないとか怖いとか、その恐怖に向き合えないということかもしれません。
優しい言葉という同情は、傷の舐め合いかあるいは、
同じ思いをした人同士の慰め合い。
結果その安全地帯にいることを無意識に正当化してしまっているのではないでしょうか。

怖いのは無理もありません。
しかし変化を拒絶していては視界は晴れないでしょう。

さらに言えば、「やらないとできない」これはわかっているようでわかっていないことのように思います。

包丁を握ったことない人がいきなり料理したら指を切りますよね。
人と話すことも運動もあらゆることは、
結局やらないとできなくて当然
なんです。

精神を参っている方などは、それらができなくなる病気だと皆は口を揃えていうけれど
(病院の先生や周りの優しい人たちなど)、
そういった優しい言葉(同情や慰め合い)はもしかしたら落とし穴に繋がるかもしれない

慰めてもらって共感してもらって安心できるし、心地はいいと思います。
当然間違ってはいませんし、
休むことはもちろん大切です。

ただ、変われないのが、もしその安心感のせいだとしたら?
(当人の考え方が安心感を罠にしてしまう)
本末転倒な気がしませんか?
なるべくしてその状態のままになっている。
ずっとそのままなんて誰も望んでいないはずなのにです。

できないんじゃなくてやらないだけかもしれない
やらないを優しい言葉で正当化してしまっていいのだろうか。

やらないと結局できなくなる。
指を切ってしまう。
やらないからやれなくなる。
そしてやらなければやらないほど恐怖心は強くなり勝ち目はどんどん薄くなる。
なおのこと本末転倒な状態。

自分でも本当はどうしたらいいかわかっているけど「精神状態」のせいにしてやらないという選択を自ら選んでいるという可能性。

当然ですが病気であれば、そのせいで行動しにくい辛い状態なのは間違いないです。
今回考えたかったのは、
世の中の甘い言葉や自分が自分に投げかける優しい言葉、慰め合う人間関係などは、
中毒性があるものかもしれない
ということ。

その状態から抜け出したいなら、
病気だから仕方ないとか、
ゆっくり少しずつとか、
ごく一般的な偽りの安心感に浸かり続けれるのは危険かもしれない

もうそこから出ることはできなくなるのではないかと感じてしまう。

精神的に参ってしまう、その理由はその考え方にあるかもしれない、
なるべくしてなっている可能性もあると・・・。
結局もしかしたらみんな逆で、みんな矛盾しているのかも
(まさにアンビバレンス)

結局こうなりたいと思いながら、そうなるための行動と真逆の行動をとる。
安心する言葉や優しい言葉、慰め合う関係は、居心地がいい。
依存して、正当化して、そこに甘んじてしまう。

だから変われないのかもしれない。

そうなってしまった人たちを他人はどう救い出せるというのだろう。(病院とか)

自分の人生の手綱は自分が握るしかない。

恐怖心の先にしか本当の喜びはないのかもしれない。
恐怖を避けてしまったら、その苦痛自体は無くなるかもしれないけれど、
同時にその先の喜びまで失ってしまうかもしれないから。

本日は以上です。
やや辛辣な内容になってるかもしれないですがそういうことではなく、
単純に一つの気づきにはなるのかなと。
(耳が痛い話ではあるかもしれないですが)

今日の考え、気づきを自由に調理していただければと思います。
何かの発見につながれば幸いです★


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🍀本日の気づきの言葉🍀

【 偽りの優しさが生み出す
  偽りの居心地の良さから
  抜け出そう。
  そこにいたら変われないから。
  矛盾している苦しみに気づこう。
  恐怖心の先に望んでいる未来が
  待っているのかもしれない! 】

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