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怪談師には憑いている(第一章)

(あらすじ)
柳瀬恵はフリーライターの二十代女性。柳瀬は同業者の七種から、とある企画に参加しないかと誘われる。それは人気の怪談師を特集するムックで、柳瀬は『怪談王子』とも呼ばれるイケメン怪談師、蓮見才人の密着インタビュー記事を任される。
密着生活の中で、蓮見は新興宗教団体『いずなの使徒』の代表者である瑜伽(ヨギ)の息子であり、才人や教団に不利な言動をする人物が続々と不幸な目に遭っていると知る柳瀬。蓮見家は、飯綱(いずな)と呼ばれる東北地方固有の呪物を使役する一族だったのだ。
飯綱使いの後継者に選ばれたのは一族の者ではなく柳瀬だった。柳瀬は教団を解散し、才人と手を取り合って、飯綱使いになる道を選ぶのだった。




プロローグ

 
 厚く濃い霧が、山肌を舐めるように滑り降りてゆく。
 霧と木々とで覆い隠されたその屋敷は、ひっそりとそこにあった。
キャップを被った青年と黒縁メガネの青年が、屋敷に向かって慎重に歩みを進めていく。
 ニチャ、ニチャ。
 その都度、足元から粘ついた足音がしているのは、昨夜まで降り続いた雨で地面がぬかるんでいるせいだろう。
「どーもー。怪奇事件調査隊のキャップ田中と佐藤メガネでーす」
「こんにちはー。本日は東北地方から生配信でお届けしています」
「ここは数年前、殺人事件を起こして騒ぎとなった新興宗教の廃墟前なんですよ」
 キャップの青年が構えるスマホ画面に向かって、メガネの青年が笑顔で告げた。
「ぼくらの背後に見える豪邸は、かつて『いずなの使徒』という新興宗教団体の代表者一族の住まいだったそうです」
 スマホカメラが建物を含めた全景を映す。
 旅館かと見まがうほどの豪華な二階建ての木造の屋敷ではあるが、こけら葺きの屋根には草木の種が根を下ろし枝葉を広げていた。長く人の手が入っていないのだろう。
 この調子では、建物が山に食われてしまうのも、そう遠い未来のことではないように思われた。
 ネズミかイタチくらいの大きさだろうか。屋敷へと続く前庭には、小動物のものと思われる足跡が点々と残されていた。
「ここまで聞いて、みなさんの中にはピンときた方がいらっしゃるかもしれませんね」
「そうです。『いずなの使徒』といえば、今からおよそ三年前、宗教的な儀式の最中に何らかのトラブルが発生し、死傷者を出したあの団体なんです」
「当時はテレビやネットでもかなりの騒ぎになりましたよねー」
「そうですね。発生当初は金銭トラブルや怨恨が原因で揉めたのではと疑われたのですが、結局事件の真相はわかっていないままなんですよね。団体も解散してしまいましたし」

 ――キキッ。

「え?」
 自らもスマホでリスナーのコメントをチェックしながら喋っていたメガネの青年が、怪訝そうに呟いた。
「どうした?」
「『今、動物の鳴き声みたいなものが聞こえなかった?』ってコメントが来た」
「何も聞こえないぜ」
「そうだよなあ」
 ――キキキッ。
「あ、また聞こえたって」
「あっ、おい」
「今度は何だよ」
「さっき、スマホ画面を白くて長いものが横切ったんだ。見えなかったか?」
「おれは見えなかったぜ」
「あ、『こっちも見えた。スカイフィッシュかな?』って来てる」
「これは面白くなってきましたねえ。それでは建物内部に入ってみましょうか」
 そんなことを言いながら配信を続ける二人を、黒いスーツの後姿が見つめていた。
 
 
 
 
 
 
 

 第一章 怪談をさがして


 
 じわじわじわ……。
 アブラゼミの大合唱が、シャワーのように降り注いでくる。
 アブラゼミという名称は、揚げ物をするときの油の音に鳴き声が似ていることに由来するらしい。
 熱せられたフライパンの上のような炎天下を歩きながら、わたしは昔、図鑑で見た話を思い出していた。
「蓮見(はすみ)さん、まだつかないんですか~」
 まだ二十代半ばとはいえ運動不足のフリーライターの体には、この暑さはこたえる。
 先を歩く黒スーツの背中に情けない声で呼びかけると、彼は足をとめてふりむいた。
「もう少しだからがんばってください、柳瀬(やなせ)さん」
 こっちは汗でぐっしょりだというのに、彼ときたら涼しい顔だ。
 日焼けなど縁がないとでもいうような真っ白な額に、さらさらの黒い髪が濃い影を落としている。
 彼の周りだけ、気温が少し低いのではと錯覚するくらいだ。
 しかもこの喪服のようなスーツが彼の定番で、同じ服を何着も持っているらしい。
「ほら、あそこの木立の間にちらっと見えている赤いトタン屋根があるでしょう。おそらくあの家だと思うんです」
 彼の長い指が指し示す先には、なるほど赤いものが見える。
 けれど、そこまで辿りつくには、まだまだこの地獄を歩かねばならないらしい。
「それにしても、こんなのどかなところに住んでいる人から、怪談なんて聞けるんでしょうかねえ」
 歩みを再開した革靴の踵を追いながら、次々と首筋をしたたり落ちてくる汗を手の甲でぬぐった。
 一車線の一本道の両側には、田圃が広がっている。
 さきほど降りた路線バスの停留所の周辺にはまだ、屋敷森に隠れるようにしてぽつりぽつりと民家があった。けれど、十分ほども歩くとそれらも消えた。
 暑さのせいか、さきほどから一人も住民の姿を見かけていない。
「こういうのどかな場所にこそ、掘り出し物があったりするんですよ」
「そういえば、ずっと気になってたんですが、こんなところまでわざわざ聞きに来たのって、いったいどんな話なんですか?」
「ふふ、知りたいですか?」
 肩ごしにちらりとふりむいた嬉しそうな顔に、わたしは自分の発言を早くもちょっぴり後悔した。
 きっかけは、およそ半月前にさかのぼる。
 
「怪談師?」
「ああ。柊(しゅう)栄(えい)社で今度、怪談師のムック本を出すんだってさ。人気の怪談師何人かに密着インタビューなんかもするらしい」
 Zoom画面の向こうでそう言ったのは、大学の同じサークル出身で、今はオカルトライターとして活動している七種(さえぐさ)牧生(まきお)だった。
「先輩と違って、わたし怪談とかホラーとか詳しくないんだけど……」
「おまえ、まさかライターのくせに怪談師も知らねえの? ムックが出るくらい流行ってんのに?」
 ジムで鍛えた自慢の筋肉を見せつけるように腕組みして、ふんと鼻を鳴らしてくるから、ムッとする。
「流行に疎くて悪かったわね」
 年齢は彼のほうが上だけど、学年が一緒なもので(先輩はライターのバイトに明け暮れて留年しまくっていたから)学生の頃からタメ口だ。
「怪談師ってのはな、怖い話を人前でしゃべるのを生業にしている人間のことさ。最近じゃ怖さを競うコンテストなんてものも多いんだ」
 昔はテレビで心霊番組をたくさん放送していたけど、コンプラとか何とかの兼ね合いで減ってしまってつまらない。そんなだからテレビはユーチューブに視聴者を奪われるんだ――
そう、以前に先輩がこぼしていたことを思い出す。
 一口に怪談師といっても、語られるのは何も幽霊が出てくる怖い話ばかりではないらしい。
 もちろんそういった幽霊譚は王道だ。しかしそれだけではなく、犯罪者やサイコパスなどの人間心理が怖い話や、心があったかくなるような不思議な話もあって、個性豊かなのだそうだ。
 怪談を蒐集する方法も様々らしく、霊感持ちを自称し、自分が経験した不思議なことを語る者もいれば、取材を通して見聞きした話を語るのが中心な者もいるという。
 怪奇現象が起こるという心霊スポットに出かけてみたり、事故物件に住んでみたりする者までいるらしい。
「で、そのムックなんだけど、おまえもライターとして参加してみないかと思ってさ。文末にはライター柳瀬恵(めぐみ)の名前も載るぜ。ちょっと美味しいだろ」
「えっ、それホント?」
 思わずパソコン画面へかじりつく。
「喜べ、おまえに密着インタビューしてもらうのはユーチューブのチャンネル登録数二十万人以上を誇るイケメン『怪談王子』こと、蓮見(はすみ)才人(さいと)だ」
 
 そういうわけでわたしは怪談王子と二人、怪談蒐集のため、照りつける陽射しの下を行軍しているというわけだった。
「この地域には、野生の狐を捕まえて餌を与えずに飢えさせて殺した後、その首を憎い相手の玄関先に埋めると相手を不幸にできる――という呪術が伝わっていたらしいんです。柳瀬さん、犬神って知ってますか?」
 わたしはのろのろと首を横に振る。
「犬を首だけ出して土に埋め、限界まで飢えさせたところで首を刎ねると、呪物として使役できるようになるといわれています。これが犬神です。さきほどの狐の話は、犬神に近いと思いません?」
 蓮見さんの目は子どものようにキラキラと輝いている。
「今から尋ねる先は、その術師の子孫の方のお住まいらしいんですよ。ずっと探していたんですが、やっと手がかりがつかめたんです」
 陽射しはまったく弱まらないのに、少しだけ涼しくなったような気がした。

 
「ご在宅されているといいんですが」
 蓮見さんはためらいなく砂利の敷かれた庭先を進んでいく。
スーツ姿なのもあいまって、飛びこみ営業のサラリーマンみたいだ。
もしこんなイケメンが営業に来たら、おばさま方は彼の言うがままに契約してしまうかもしれない。
 などとわたしが考えている間に、蓮見さんは玄関扉脇のチャイムを押した。
 ピン、ポーンとやけに間延びした電子音が家の中から聞こえる。
 ややあって、玄関扉のすりガラスの向こうにのっそりと人影が現れた。
「どちらさまかね」
 たてつけの悪い玄関扉が、ガタピシいいながら開く。
わずか七、八センチほどのすき間から顔を覗かせているのは、八十代くらいの老女だった。
 櫛を入れていないのではと思わせる髪は脂っぽく、フケが絡まっている。
「突然お邪魔して驚かせてしまってすみません。ぼくは蓮見才人といいます」
 蓮見さんはにこやかな笑みを浮かべ、一礼して名刺を差し出す。
 その鋭い視線はわたしをまるきり無視して、蓮見さんに注がれている。
 私は少し離れたところから、あわててお辞儀をした。
 家主が名刺を受け取る様子がないのを見てとると、蓮見さんはそれをジャケットのポケットに戻した。
「ぼくは全国各地を回って、不思議なお話を集める仕事をしている者です」
「はあ?」
 老女はガラガラ声の語尾を上げて、目をすがめた。
「この辺りはのどかでいいところですよね。近隣のみなさんからも色々とお話をうかがっていたのですが、こちらのお宅にお邪魔すると興味深いお話が聞けるのではと、教えていただいたものですから」
「どこのだれがしゃべったのか知らないがね、あいにくとうちにはそんなものはないよ」
 老女の眼光が、ひときわ険しくなった。
 けれど蓮見さんは柔和な表情を崩さない。
「ああっ、そうでしたか。それは大変な失礼をいたしました。それで――」
「用事がそれだけならさっさと帰っておくれ」
 食い気味に言うなり、老女はまたガタガタいわせながら玄関扉を閉めてしまう。
 ここまで片道二時間、滞在時間はわずか二分ほどだった。
 
「さっきのおうち、残念でしたね」
「まあ、よくあることですよ」
 帰りの路線バスに揺られながら、斜め前の席に座る蓮見さんは微笑んだ。
「よかったら、これどうぞ。凍らせてきたんです」
 背負っていたリュックから、タオルにくるんだペットボトルを引きずり出す。
 家を出るときにはカチコチだったけど、この暑さでいい感じに溶けている。そのうちの一本を蓮見さんに差し出すと、蓮見さんは小さく会釈して受け取った。
「ありがとうございます。いただきます」
白くて長い指に水滴が伝うのがどこか色っぽくて、つい目線で追ってしまう。
「いやあ、乾いた体にしみわたりますね」
 居酒屋でビールジョッキを片手におじさんが口にするような台詞も、彼の唇から零れると爽やかですらあるから不思議だ。
 車内はガラガラ。わたしたち以外の客は、上機嫌でおしゃべりに興じている二人組の中年男性だけだ。
 座面が硬いうえに背もたれが直角のシートは、お世辞にも座り心地がいいとは言えない。タイヤが段差を乗り越えるたびに、振動がダイレクトに伝わってくる。おしりがでこぼこになりそうだ。
「蓮見さんって、いつもこんなハードな取材をしてるんですか?」
 ペットボトルに口をつけながら、わたしはふと尋ねた。
 よく冷えた液体が喉をすべり落ちていくのが心地いい。
「十個聞いたうちに、一つくらい使えそうな話があればいいくらいですね。さっきみたいに取材に行っても空振りすることも多いですし。ほとんど趣味みたいなもので、コスパは悪い仕事なんですよ」
 ライター仕事も似たようなものだ。
 今回みたいな依頼仕事はともかく、自分で企画を立てて編集部に売りこもうと思ったら、一筋縄ではいかない。
「好きじゃなかったらやってられないですね」
 思わずため息が混じる。
「本当にそうですね。ぼくは怪談に救われた人生みたいなものですからね」
「怪談に?」
「ええ。ぼくは片親なんですが、母親との折り合いがあまりよくなくて。友だちとも遊ばせてもらえなかったので、本が友だちでした。中でも怖い話や、ちょっと不思議な話が好きで。そういう世界に浸っている間は、やりきれなさや寂しさを忘れることができましたから」
「わたしも……おんなじです」
「柳瀬さんもですか?」
 蓮見さんのアーモンド形の目が丸くなる。
「はい。うち、色々あって両親が離婚しているんです。両親が不仲だった期間も長いから、本が友だちでした。不思議な話って、夢中になれていいですよね」
 蓮見さんの表情がいっそうやわらかくなる。
 まるで慈しむみたいなまなざしに、どぎまぎしてしまう。
 きっと頬が赤くなっているだろう。
 でも、この暑さのせいだと思ってもらえるだろうか。
「ところで柳瀬さんは、『牛の首』という小説を知っていますか?」
「小松左京ですか?」
「ええ。よくご存じですね」
『牛の首』というのは、こんな話だ。

 怪談好きの主人公は、あるとき、『牛の首』という恐ろしい話があるという噂を耳にする。それがどんな話が知りたくて、いてもたってもいられなくなって探しまわる。
 けれど、誰もが口をそろえて「あんな恐ろしい話は聞いたことがない」と言うばかり。
 どうして皆、教えてくれないのか。
 困惑しながらも探し続けた主人公は、やがて一つの真相に気がついた。

「たしか、『牛の首』は恐ろしい話だという噂ばかりが独り歩きしていて、どんな話かを知っているのは結局誰もいなかった、というオチでしたよね」
「そうです。では『牛の首』という都市伝説はご存じでしたか?」
 わたしは首を横に振った。
「小説がもとになってできた都市伝説ってことですか?」
「いえ、小松左京自身はこの都市伝説自体は前からあったものだと言っているようです。それはこんな話です」

 昔、『牛の首』という、とても恐ろしい怪談があったが、これを聞いたものは恐怖のあまりバタバタと死んでしまった。
 怪談の作者は己の行いを悔い、出家して二度とこの怪談を語ることがなかった。
 そのため、話の内容を知っていた者もすべていなくなってしまい、やがて『牛の首』というとても恐ろしい怪談がある――という部分だけが残った、というものだ。
「小説とは少し違いますね。でもどうして、牛の首が恐ろしいものとして語られることになったんでしょう」
「諸説ありますが……」
 そう前置きして、蓮見さんは口を開いた。

 昔から日本各地には、家畜を殺して切断した首を滝や淵などへ投げ入れ、雨乞いをする儀礼があったそうだ。
 水辺を穢すことで水神を怒らせ、雨を降らせてもらおうというわけだ。
 そうした儀礼が、牛の首はおそろしいものの象徴として伝わった可能性があるらしい。

 そこへ、豪快な大声が降ってきた。
「おまえさんがた、ここらじゃ見ない顔だね。観光かい?」
 わたしたちから少し離れて座っていた高齢の男性二人が、こちらを向いていた。二人とも顔はよく日焼けしており、深いしわが刻まれている。
「あっ、はい。わたしたち、東京から来てるんです」
「さっきから何やら物騒な話が聞こえたけど、あんたがたは奇妙な話が好きなのかね」
「はい。趣味で不思議な話を集めているんです。お父さんたちも何か不思議な体験とかありますか?」
 さすがというべきか、蓮見さんはすかさず取材モードに入ったようだ。
 片方の男性が声をひそめて言った。
「おれはここからずっと先の集落に住んでるんだけどよ、この辺りは昔からおっかないから近づくなって小せえ頃から言われてたなあ」
「おっかないって……どうしてですか」
「このあたりには、昔から狐がたくさん住んでたからよ」
 ――狐。
 思わず蓮見さんとわたしは顔を見合わせた。
「そういう狐を捕まえて、憎たらしい相手のところに送りつけて病気にしたり怪我させたりできる狐使いの村が、昔はこの辺りにあったらしいんだよ」
 もう片方の男子人がうなずく。
「おれのじいさんの従兄が子どもの頃、この村の子をいじめたら、狐を憑けられて寝たきりになったって言ってたなあ」
「おれの兄貴は無鉄砲なところがあってさ。そんなに効くんならおれがやり方を聞いてくるって周りが止めるのも聞かずに出かけていったことがあったんだよ」
 蓮見さんが前のめりになったのがわかる。
「それで、どうなったんですか?」
「そのやり方を知ってるって人んちまではたどりついたらしいんだけどな」
「おお」
 蓮見さんの目がらんらんと輝いた。
 けれど、その期待はすぐに打ち砕かれる。
「あんまりよく効く方法だから、一族の中でもみだりに話しちゃいけないって言われているうちに、一人また一人と死んでいってさ。とうとう、やり方を知ってる者は誰もいなくなってしまったんだと」
 
 

怪談師には憑いている(第二章)|藍沢羽衣 (note.com)

怪談師には憑いている(第三章)|藍沢羽衣 (note.com)

怪談師には憑いている(第四章)|藍沢羽衣 (note.com)

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