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幸せな生活の分析


今の暮らしが幸せすぎる

どうにもおかしい。
今の生活は幸せすぎる。
理想の生活が叶いすぎていて、正直恐ろしいぐらいである。

世界はよりダークな方向へと向かっているし日本政治・経済は壊滅的。心痛んだり憤ったりするニュースばかりだ。
それなのに私の生活だけは穏やかであたたかく、幸福感に満ちている。

なぜだ。
いつまでもこんな桃源郷にいられるわけはない。
もしかしてこのあと地ならしが起こるとか……?

いや、そこまでひどいことが起こらなくても、諸行無常盛者必衰、物事は変わっていくだろう。なのでせめてここに書き留めておこうと思う。
いっときのクオリティオブライフが最高な日々を。
こんな生活もあったな、と思える記録を残したいのである。

もちろん私の理想の生活が「誰からみても幸せな生活」というわけではない。タワマンセレブでもないし、海の近くでもないし、きらきらしてはいないし、インスタに載せるようなものはなにもない。

むしろ地味。ごくふつうの小庶民の生活。だけどそんな自分の生活がなぜだか妙に愛おしい。茶色いおかずばかりのお弁当みたいなものである。

地に足のついた自分らしい生活こそが最強だ。
とつくづく感じるので、なぜそれが最強なのかを解きほぐすためにPCに向かっている。

まずは1週間の過ごし方の記録から綴っていき、その後でそういった生活が表す幸せとはなにか、どんな要因が幸せのコアなのか、を書いていこうと思う。

週の前半:リモワ田舎暮らし

朝7時、起床。習慣になっている散歩の時間。
顔に日焼け止めを塗り、防寒着を着る。

キッチンに行き、早起きの夫の淹れた緑茶を失敬する、もしくは自分で紅茶かハーブティーを淹れて小さいサーモボトルに注ぐ。
以前はコンビニやスタバでラテを買っていたが、立ち寄る時間もゴミが増えることも避けたいと思うようになり、今はすっかりマイボトル派である。

サーモボトル、イヤホン、ケータイを持って家を出る。

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トレッキングに近い田舎道。コースはおよそ3.5キロ。
イヤホンから音楽。もしくはポッドキャストが流れる。
物思いに耽りつつ、黙々と歩く。
空気の冷たさや木漏れ朝日が心地よい。
途中の湖畔では水鳥たちの社交生活や水面の滑らかさを眺めて楽しむ。

家に帰るとうっすら汗をかいている。
シャワーを浴び、洗濯機を回す。

イメージ図

9時半には、コーヒーを飲みながらPCを起動する。テレワークの始まり。
夫も同様にテレワークである。
予定を確認し、タスクを進める。


昼。
夫と一緒にNetflixドラマを観ながらランチをとる。

ランチはたいてい宅配食とオートミールだ。時短が一番。オートミールは水をかけてレンチンすると米化して美味しい。

食べ終わるとコーヒーの時間。
スウェーデンでいうところのFIKA、心安らぐ憩いの時間だ。
夫が粉をプレスしてエスプレッソを淹れてくれる。最近はそれにアーモンドミルクを入れて飲むことが多い。一緒にコストコで買ったリンツのチョコレートを頬張るのが癖になりつつある。

30分でランチとFIKAを済ませたら、軽くまた散歩に出る。
朝とは異なるコースを汗をかかない程度に20分ぐらい歩く。
昼は暖かく、少し手垢がついたような空気感が気楽でいい。パッチーワークのように広がる街路樹の落ち葉を踏みしめながら歩く。
なんということはないルーティンワークの散歩。単なる運動不足対策だ。けれども言いようのない贅沢な時間でもある。

散歩のあとは午後の仕事。PCをにらみ続ける。

19時。仕事を終えて食事をとる。夫がハンバーグを焼き、私が米を炊く。夜はオートミールではなく白米だ。サラダはベランダの家庭菜園からトマトとフリルレタスをとってくる。ふるさと納税で手に入れたハンバーグは最高に美味しい。食べ終わったら今日は私が食洗機にほうりこむ番だ。食洗機がマストだと言ったのは夫だ。「おれ、洗い物が一番苦手だから」自分も洗う立場であることに自覚的で、たいへんよろしい。

我が家の家事分担は非常に平等だ。

焼き物調理は夫。煮るもの調理は私。
肉や魚を切るのは夫。野菜を切ったり皮を向いたりするのは私。
メインの品を料理してないほうが洗い物を担当。
洗濯・掃除は気づいたほうがやる。
ごみ捨ては協力し合う。
風呂・トイレ掃除は夫で、キッチンは私。
その他、自分のことは自分で。
完璧ではないがとりあえずそれで回っている。

晩御飯のあとはそれぞれ好きなことをして、早寝早起きの夫は22時に就寝する。
夜型の私は家族からのLINEの返事をしたり、ソシャゲをしたり、読書をしたりして0時にはベッドに入る。

ドライアイの夫が加湿器に水を入れてくれている。
あたたかく潤いのある空気の中、眠りにつく。

おやすみなさい。

週の後半:都心にて浮遊する


週の後半は都心のマンションに滞在する。
夫も出社が増えてきて田舎からの通勤が厳しくなったため、交通の便がいいところに借りているのだ。

朝は街に探索に出て、都市の空気を堪能する。コーヒーショップでデニッシュをかじりつつ、行き交う人々の服や表情を眺める。

都心の朝、もしくは夜。いつも「都市の空気は自由にする」という言葉を思い出す。都市には自由がある。住めば住民になれる。深い森や広い空はないが、そのかわり豊富なインフラがあり、サービスがあり、隙間がある。海千山千の輩もいるし、玉石混交。思わぬ出会いもある。社会学的な”ゆるい紐帯”のるつぼ。お金があれば何でもできる。でも、なくてもおこぼれがあるかもしれない。そんな期待で人々を生きさせる都市。

都市の一員の末端として自由を謳歌しながら高層ビルを見上げていると、不思議な感覚になる。

今、私はなぜここにいるのだろう?
あの田舎の暮らしは幻だった?
どこにいるのがほんとうの私なのだろう?

あまりの落差に自分の座標を見失って迷子のような気持ちになる。
けれどもこの感覚が結構好きなのだ。
ふたつの場所に同時に存在しているような、どちらにも存在していないような。私の中でもっとも自由な浮遊の感覚だ。

週末:夫婦円満のコツはウォーキングにあり

週末はまた田舎に帰る。
土日のどちらかはかならず、夫婦揃って10キロの散歩に出る。
散歩の間に今週起こったこと、仕事の進捗、悩み、発見、できごと、読んだ本のこと、人からきいたこと、感銘を受けたこと、これからしたいこと、などを相互に話す。
これがわたしたち夫婦にとって一番大事な時間だ。

何かあってうまくいかなそうな週でも、この時間を持つことによって自分自身の調子もお互いの関係もチューニングされる。

仕事をしていると体力や精神の余裕がなくなる場面があり、どうしてもお互いにないがしろにしてしまうことがあるだろう。思わぬすれ違いや不愉快なことがおこるかもしれない。それが続けば仲はゆるみきった弦のように悪化してしまうかも。けれどもチューニングの時間があることによって、関係性がきゅっと締め直されるのだ。

「絶対に自分の話をじっくりときいてもらえる時間」「相手とちゃんとまともに話し合える時間」が必ずあるというのは精神衛生上とても良いものだ。

一方的なケアの時間ではなく、対等に話し合うことでメンタルが自然と整っていく。そして一緒に時間を過ごすことで関係が磨かれ、自分に対しても周囲に対しても新しい発見が生まれる。こういう時間は単純なレジャーを凌駕するほど楽しいものだ。

仕事においてもこの「夫婦の話し合いの時間」で受けた影響が役に立っていると夫は言う。忌憚なく言葉巧みにフィードバックしてくれる妻がいるというのはとてもいいことだと。

ウォーキングは思索にいい。多くの思想家や発明家は歩きながら考えていたそうだ。最も最適なスピードは時速4.8キロだとか。
そして、夫婦仲をよくする対話にもウォーキングは有効なのである。

なぜ幸せなの? 幸せってなに?

なぜ今私はこんなに幸せなんだろう。
私にとって幸せを感じる要素って何?
一週間の過ごし方を反芻してみて、3つの要因が思い浮かんだ。

1.自由で自律的な生活…新中間層の「足るを知る」

私は今自由で、自分の価値観で物事を動かせている。
世間的な常識やしがらみに縛られていない。

◯歳にはどうする、こうする、女はこうすべき、男はこうすべき、という声に耳をかさなくても生きていける。
マンションの値段、階数、学歴、年収、資産、家柄の太さ、モテ非モテ、会社の名声、能力の高さ低さ、容姿、華やかさ、などのステータス争いから距離を取っていられている。

囚われていないんである。

なぜそれができているかというと、元々の性格もあるが、現在縁のない田舎に住んでいることでヒエラルキー的価値観のコミュニティや人から距離をとっているから、そしてそれができるのはヒエラルキーの中に配置されるとしてもすべての軸において中庸だから、である。

階層でいうと、新中間層に位置する。

完全に肌感覚だが、新中間層はタイプ的に2つに分かれる。
競争志向とマイペース志向だ。
競争志向はとにかく上昇していたい、上であると見せつけたい、いわゆるタワマン族タイプだ。金遣いが粗めで身なりもリッチだ。
それに対してマイペース志向は自分独自の生き方を追求するので、ミニマリストだったり地方移住していたり、サステナブルな生き方を体現していたりする。中間層(ミドルクラス)が一番持続可能なヘルシーな生活を体現できる、という研究があるが、つまりここの層のことだろう。

私もこのマイペースタイプの新中間層なので、自由に動ける余裕はありながらステータス争いに巻き込まれることが少ない、ちょうど良い位置にいる、ということだろう。

そうした状態だと、世間や他人の物差しを借りずに自分の感覚を信じて生活を営むことができる。これが幸せにおいて重要なことなのだ。

2.ENFPとINTPの要求を満たしている…社交と思索

CANVAで作ってみた。

人の多い都市が好きなENFP性質と、人目を避けて思索にふけることができれば幸せなINTP気質。この二面の気質を満足させるのは難しいのだが、今の2拠点生活はそれを同時に満たせている。
2拠点生活についてはまた別に詳しく書きたい。

3.夫との関係を丁寧に築き上げてきたから

一番身近な人との仲の良し悪しは生活の質に直結する。
特にコロナ禍になってからは「今日一日顔を合わせた唯一の人が夫」となることもありうるから、かなり死活問題である。お互いの存在が支えになるかどうか以前に存在がストレスにならないかどうかが問題になってくる。
テレワークも普及した挙げ句「人類史上こんなに夫婦が一緒にいることはないのでは?」という生活が到来したが、幸い私達にはそれを乗り越えられる土台ができていた。

コロナよりずっと前の結婚当初。INTPかつENFPのわたしはENFJの夫との暮らしに対してなかなか慣れなかった。

個人主義・自由主義・プライバシー重視の人間にとって他人と一緒に暮らすこと自体ハードルが高いのに、その上相手は感情表現豊かで距離感0のENFJだ。気が良くて家事もできて文句なしの相手であったけれど、いかんせん主人公気質。あまりにも存在感や愛情表現が濃くて精気が吸い取られるようだった。

また私の中のENFPは近い距離にいる人間の気分を察知して影響されるところがあったので、なにかすれ違いがあって不調和があれば具合が悪くなった。相手の気分が気になり、振り回される。狭い都内のアパートでは密度が高すぎたのである。

異なる種族が共存するには、なにかしら手立てが必要である。パートナーとの仲を良好に保つためのルールが自ずとでき、それは夫婦の中での暗黙の了解になっていった。

・住むところはそれぞれがのびのび暮らせるようにある程度広さが必要。
・相手の気分に振り回されない。
・自分の気分で振り回さない。ネガティブな気分は自分で片をつけておく。
・相手のミスをみつけたら責めたり呆れたりするのではなく「2人のうちの1人がそれを見つけられてよかった。幸いだった。2人でいて良かった」と思うようにする。
・話せばわかる相手なので話すべきことはきちんと話し合う。
・それぞれの仕事をプライドを持って頑張る。
・家事は平等。だからこそお互い感謝を忘れない。
・相手を心配させないように連絡はまめに返す。
・お互いの価値観をけして貶さない。嫌なことはしない。
・良いところは素直に口に出して褒める。

そういったルールから田舎に家を買って広めの空間を確保していたのが幸いした。コロナが流行ってワーケーションという言葉ができる前から私達はワーケーション的な環境で仕事をしていたし、ずっと一緒にいても喧嘩にならないような共同生活術を学んでいた。

それに、お互いの良さを伸ばすようなコミュニケーションを重ねてきて、今がある。それは年月を経て築き上げてきたものでなにものにも変えられない財産である。

今も私は財産を築いている。夫と散歩に出る度にそう思う。

以上が、私の幸せ成分の分析結果のすべてである。

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