学問とは知識ではなく態度である
江戸に新井白石と吉田松陰という二大傑物がいた。
司馬遼太郎はその著書の中でこの二人を取り上げ、学問に向かう態度について考察している。
「学問とは態度なのである」*
白石も松蔭も、体系的な学問をどこかで学んだわけではなく、それぞれ独自にその学習方法を構築し、体系化していった。今でいうと独学の天才ということなのだろうけど、この話を読んでいて、「学ぶということ」は一体どういうことなのか、改めて考えさせられた。
とかく、現代においては、丸々スクールに行かないと知識が身につけられない、丸々大学に行っておいた方が良いなど、学ぶ環境や箱の方に意識が向き過ぎているのではないか。
私自身、何となくそうしたことに違和感を感じながらも、気がつけばこの構造に絡めとられてしまっていることもある。
それはやはり不安だから。誰かが作ってくれた学ぶ枠組みに身を入れてしまった方が楽だからなのかもしれない。
これはある種「起業」ということに近いかもしれなくて、「起業」するということは自ずと自らいろいろなことを学んでいかなくてはならない。一方でサラリーマンでいる限りは、会社の枠組みの中であまり考えなくともある程度の生活はできる、というように。
江戸時代には、今のような大学や大学院、専門学校などの学習環境が整っていなかったかもしれないが、寺子屋をはじめ、学ぼうと思えば学べる状況にはあったのだろう。
白石や松蔭はその時代の中で、自ら学ぶという方法に挑戦し、形を作っていったパイオニアといえる。
このハングリー精神から学ぶべきことは多そうだ。
*「司馬遼太郎「歴史のなかの邂逅③」白石と松蔭の場合 より抜粋」
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